臨時火山情報が出された岩手山へ

 

岩の上に立っている男性たち

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岩手山山頂(薬師岳)2038mに着いた

 

98日 日曜日 快晴

"ふるさとの 山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山は ありがたきかな"は、26歳という若さで亡くなった歌人 石川啄木が第1歌集『一握の砂』のなかで岩手山を詠んだものである。石川少年は盛岡市の北部に位置する渋谷村で育ち、毎日眺めていた故郷の山が岩手山だった。今回のMCC夏山登山のふたつ目の山は岩手山だった。

 

草の上にある山

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南側から眺めた岩手山(南部片富士)

 

岩手山は活火山である。8月21日に気象庁から岩手山の噴火情報警戒レベルについての臨時発表があり、現在の噴火警報レベルは1だが、2月頃から地殻変動が確認されており、状況によっては警報レベルが1→2に引き上げられるかもしれない。レベル2になると火口周辺への立ち入りが規制され、その場合は8合目避難小屋までいけなくなる。地震震源地は岩手山の西側に位置する黒倉山で、今回8合目避難小屋に宿泊した翌日は、網張温泉に降りるために黒倉山の横を通過する。登山地図にもこの辺りの通過には「火山活動注意」の但し書きが記されていた。参加者にヘルメットを持っている人は、念のため持参して欲しいと要望を出したのだった。

 

屋外, 草, 人, グループ が含まれている画像

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馬返し登山口で出発の記念撮影

 

今回はそのような状況での岩手山登山だった。前日、早池峰山に登ったあと盛岡駅に戻り、駅前の居酒屋に入って1日目の登山が無事に終えたことでの乾杯をあげ、盛岡シティホテルに投宿した。参加者のせっかち山本は熱が出ているとのことで、みんなに迷惑がかかるといけないと急遽自宅に帰ることになった。残りの7名の参加者は駅東口から2台のタクシーに分乗し、柳沢コースの馬返し登山口に向かった。私が16年前の2008年6月に登った時は、岩手山の南麓を網張温泉までの路線バスが走っていたので、バスに乗って御神坂バス停で降り、クラシックルートの「御神坂コース」を登ったが、現在は路線バスが廃止されたために、柳沢コースから登ることにしたのである。30分後に登山口に着き、準備を済ませて標準コースタイムの2割増のペースで落葉広葉樹のなかを歩きだしたのだった。

 

木のそばに立っている男性たち

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木々の葉陰で暑さが和らぐ新道を進んだ

 

岩手山も山岳宗教の名残りで、登山道には登山口を0合目とし、山頂を10合目とする指標が立てられている。登山口から歩き出して1時間30分で、やっと1合目の旧道新道合流点に着いた。旧道は見晴らしが良いが、岩場・ガレ場のコースであり、それに比べて新道は樹林帯のコースである。9月中旬になっても残暑が厳しいため、木々の葉陰で暑さが和らぐ新道を進むことにした。

 

山の上を歩いている人たち

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振り返ると昨日登った早池峰山が見えた

 

2合目を過ぎて後ろを振り返ると、青空のもとで早池峰山が見えた。遠くから眺める早池峰山は、左右に裾野を広げて雄大な美しい姿をしていた。昨日の早池峰山登山はガスのなかだったが、薬師岳も三角形の姿を現していた。滝沢市にある陸上自衛隊岩手駐屯地の演習で、腹に響く大砲のズシ〜ンという発射音や、機関銃のパタパタという小さな音もひっきりなしに聞こえてきていた。

 

森の中にある岩

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登山道は急登の連続だった

 

旧道と新道は途中で度々繋がっており、4合目で合流したときに、ちびっこ小沢とエンジニア小林が旧道を登っていった。残りの5人は新道だった。新道といえども岩手山は活火山の岩山なので、溶岩の塊を登っていく場所が度々現れてきた。急登のために木の根っこを掴んで身体を持ち上げるのも度々だった。汗が滴る急登を登っている足元に、ひっそりと咲くダイモンジソウの小さな花を見ると、ほっとした気分になるのだった。岩手山は南部片富士と呼ばれているように、東側は富士山のように立ち上がっているが、西側はなだらかに延びながら下っているので、今回の東側に位置する柳沢コースは、岩手山で最も登られているポピュラーコースなのだが、急登に次ぐ急登なのである。

 

白い花が咲いている植物

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可憐なダイモンジソウを見ると心が和らいだ

 

30分に5分の休憩を取りながらゆっくり登っていった。何回か一緒の場所で休憩した男性単独登山者から「ガイドをされているのですか?」と尋ねられたので「ボランティアガイドです。当日の登山ガイドは勿論のこと、登山山域、登山コースの選定、登山計画書の作成、行き帰りの夜行バス、登山バス、宿泊ホテル、避難小屋の手配など、全ての事前準備も含めてのボランティアガイドで、もう30年以上続けています」と答えた。「本当にご苦労さまです」という労いの言葉が返ってきた。彼は「早池峰山は昔に登ったので、今回は岩手山ですが、あまりにも急坂の連続なので、来たことに後悔しています」という感想を述べた顔は青白く見え、相当バテているようだった。彼とは8合目避難小屋で再会したのだった。

 

丘の上に立っている男性

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7合目の新旧道合流点のちびっこ小沢(別名は小笠原の帝王)

 

7合目で旧道と新道が最終的に合流し、8合目の避難小屋へと続いている。私は避難小屋の宿泊手続きをするために、スピードを早めて登っていくと、合流点でちびっこ小沢とエンジニア小林が待っていた。すでにザックは小屋に置いてきており、「誰が一番バテていますか?」と聞かれたので 「吉原がバテている」と答えると、エンジニア小林が救援に向かった。結果的にはポパイ吉原は足がつってしばらく動けなくなり、吉原のザックを小林が背負って避難小屋に到着したのだった。

 

山の中の家

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8合目避難小屋に着いた

 

8合目避難小屋には夏山・秋山登山シーズンの7月1日〜10月のスポーツの日まで管理人が常駐し、協力金という名目の宿泊料金が1人1700円、毛布3枚借用で1000円を支払い、寝る場所を確保した。事前に予約を入れておいたので、1階の窓際の良いポジションだった。管理人に「日没後にお酒を飲みたいのですが、談話室はありますか?」と尋ねると、「ここはあくまでも避難小屋なので談話室はありません。お酒を飲む場合は自分の寝る場所で飲んでください。外ならいつまでも飲めますよ」とのことだった。夏場ではないし、標高1800m近い場所での日没後は気温が下がり、外での宴会は無理なのは分かっていた。みんなが集まりしだい荷物を整理し、小屋前の広場で遅くなった昼食だった。

 

山の上にいる人たち

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ようやく火口壁まで登った

 

14時に昼食を済ませると、女性2人は避難小屋で休憩となったが、男性5人が岩手山山頂に向かって登りだした。予定としては山頂の火口壁のお鉢周りをして、2時間で避難小屋に帰ってくるつもりだった。9合目の不動平に着くと、右折して細かい火山礫の歩きにくい道を山頂目指して登っていった。不動平にも避難小屋があり、私が16年前に登った時は、不動平避難小屋に泊ったが、宿泊したのは私ひとりだけだった。今日は不動平避難小屋の前に3、4人の人影が見えたので小屋に泊まるのだろう。

 

山の景色

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爆裂火口のなかの「おっぱい山」

 

細かい火山礫のため崩れやすく、3歩登って1歩下がるような捗らない登りを続けていくと、ようやく爆裂火口の一端に着いた。すごい眺めである。2重火山となっているために火口のなかに小さな山ができている。小さな山は妙高岳と名前が付いているが、なだらかなふたつのてっぺんにケルンが積まれており、それが乳首のように見えるため、俗に「おっぱい山」と呼ばれている。前回登った時は反対側から「おっぱい山」のてっぺんのケルンの積まれている場所まで登ったことを思い出した。

 

砂漠にある岩山

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火口壁には立派な浮き彫りの石像が並べ立てられていた

 

登りついた場所から最高峰の薬師岳は反対側にあるため、ぐるっとお鉢をる形となる。時計回りにお鉢道中を歩いていくと、道の脇には立派な浮き彫りの三十三観音石像が並べ立てられていた。石像の後ろに刻まれた年代を確認すると、江戸時代に担ぎ上げられた石像群だった。昔の人は背負子で担ぎ上げたのだろう。

 

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山頂には石仏と剣が奉納されていた

 

ようやく岩手山山頂(薬師岳)2038mにたどり着くと、奉納された剣が何本も置かれており、以前登った時と同様に石の祠と小さなお地蔵さん、それと30cmほどの石仏が置かれていた。山頂としては殺風景なものだが、眺めは素晴らしい大展望であった。お鉢を一周回って不動平に降りて、避難小屋へと戻っていった。

 

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ビールが最高だった宴会のスタート

 

2時間で戻ったので、待機していた2名の女性を含めて避難小屋前広場で最初の宴会のスタートである。避難小屋にはビールは売っていないので、私とでぶっちょ碓井が500mlのアルミ缶を6本ずつ、エンジニア小林が350mlのアルミ缶を6本、それぞれザックのなかに忍ばせて担ぎ上げたのを、避難小屋到着時に湧き水に冷やしておいたので、ビールはギンギンに冷えていた。全員そろっての乾杯のビールは、乾いた喉に沁み込み、実に美味かったのである。

 

屋外, 草, 菌, 座る が含まれている画像

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“クマには注意して下さい”と言われるけれど・・・

 

太陽が西の鬼城に沈むと、気温が急速に冷え込んできたので、宴会場所を避難小屋内の寝床前の板の間に移し、2回目の飲み会のスタートである。9月中旬ともなると避難小屋への宿泊者も少なくなり、宿泊者の通行に支障が出ないように気をつけていたので、管理人に注意をされることはなかったのである。避難小屋の消灯は20時だったので、参加者は山登りの感想を含めて、消灯まで和やかな宴会となったのである。

 

マップ が含まれている画像

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9月8日の登山データ

 

99日 月曜日 快晴

早朝5時前から東の空から登ってくる日の出を観ようと、宿泊者が三々五々小屋から出てきた。5時6分に東の山際から太陽が登りだし、完全に真ん丸の太陽の全てが見えたのは5時9分だった。登山者は無言のまま3分間の天体ショーを、ひとりひとりの心のなかで感じているのだった。自宅の側から見る日の出も、山の上から見る日の出も、同じ太陽に変わりはないが、やはり苦労して登ってきて、雲海を下にして山際から登ってくる日の出を見たときは特別の感情になる。自分が元気に山に登れて、美しいものを見たと感謝せざるを得ないのである。

 

砂浜に立つ人々

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日の出を待つ登山者

 

今日は網張温泉まで行く長い6時間の10kmコースで、9合目の不動平で鬼ヶ城の岩稜コースと樹林帯のなかのお花畑コースに分かれる。私たちは比較的安全なお花畑コースを進むことにした。気象庁から臨時火山情報が出ている大地獄、黒倉山、姥倉山の近くを通り、犬倉山から展望台に降って、網張スキー場を通って網張温泉へ降りるコース である。

 

建物の前に立っている男女のグループ

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網張温泉に向けて元気にスタートした

 

 歩く距離が長いために避難小屋の出発を6時とし、標準コースタイムの2割増しで計算したところ、網張温泉への到着予定は12時だった。準備を済ませて宿泊した避難小屋の前で記念写真を撮るため、避難小屋の手伝いボランティアにやってきていた女性にスマホのシャッターをお願いすると、操作途中で待ち受け画面の水着の女性に変わってしまい、「あら?おっぱいの大きい女の人に変わっちゃった。昔の私の写真かと思った」などと岩手弁でギャグを言いながら、朗らかにシャッターを押してくれたのだった。

 

山の上に立っている人たち

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不動平からお花畑コースを降っていった

 

不動平まで登るとベンチでサングラスをかけた若い単独女性登山者が朝食のおにぎりを食べていた。話してみると夜中の0時に登山口をスタートした夜間登山で、素晴らしい星空と、素晴らしい日の出が見えて満足満足の登山になった、とにっこりしていた。実に逞しい。不動平から降りるコースは樹林帯のなかとはいえ、かなりの急坂の連続だった。樹林のなかの丸い御田代湖を見ながら降っていった。谷を進むお花畑コースと稜線を進む鬼ヶ城コースはほぼ並行しているので、ときたま鬼ヶ城コースを歩く登山者が望めた。

 

テキスト

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火山活動に注意!!の看板が目立った

 

この急な降りでもポパイ吉原がやってくれた。段差のある場所で立ち木を摑んだまま、ザックの重さに振られて左下に転倒したのだ。裏返ったカメの如くザックを背負ったまま起きあがれない。その姿に笑ってしまった。吉原は手助けされながら起きあがったが、岩場の転倒でなくて木がクッションとなり、左手を少し擦りむいただけで済んだので本当に良かったと思った。

 

森の中に立っている男性

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クマが齧り、爪痕が残る標柱

 

 降っていく途中で「お花畑まで●km」の標柱が度々出てくるのだが、そのひとつをクマが歯を立てて齧りつき、爪痕も生々しい傷となっていた標柱があった。クマにしてみれば自分のテリトリーに人間が勝手に柱を立てるなんでもってのほかと思ったに違いない。あくまでも私たちはクマたちの生活圏のなかを歩かせてもらっているのだ。

 

草の中に入っている花

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お花畑には秋を代表するキキョウがたくさん咲いていた

 

過激な下りを降りてお花畑に着いた。秋の花を代表するキキョウが紫の花をたくさん咲かせていた。お花畑の分岐を右折すれば、降ってくるときに見えた緑色の火山湖の御田代湖を訪れることができるが、時計を確認すると予定よりも1時間遅れていた。出発が15分遅れ、更に下りを慎重に降りたために、想ったよりもペースに遅れが出ていたのだった。「網張温泉の送迎バスの関係で、今のペースだと温泉に入り、食事をする時間がなくなる」と仲間に伝え、ペースを上げることにした。

 

岩の上にいる人たち

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登山道が崩れ、何回か渡渉した

 

沢ぎわの登山道が崩れている場所での渡渉が何回かあった。水量がほとんどなかったので安心したが、6月の東北豪雨の時は凄い水量だったのだろうと想った。硫黄のキツイ匂いと白濁した沢の場所も通過した。気象庁からは8月30日以降の火山臨時情報の続報がないので、火山活動は比較的安定しているようだが、過去に御嶽山の噴火事例もあるように、大地獄〜黒倉山〜姥倉山の危険地帯は早めに通過したいのが人情である。

 

丘の上にある岩山

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大地獄〜黒倉山〜姥倉山の間は危険地帯だった

 

犬倉山東分岐で休んでいると、マドンナ紀美江から「この藪のなかから突然クマが出てきたらどうしますか?」という質問が出てきた。私は「団体で話しながら登っている時は、クマも事前に状況を察知して人間の前には現れない」ことを話した。「山のなかのクマは里に出ているから、山のなかではクマに出会わないよ」と話す仲間もいたが、里に出ているのは少数のクマで、相変わらず山のなかにはたくさんクマが棲んでいるが、人間の気配を感じて人間との接触をクマが避けているだけなのである。大地獄〜黒倉山〜姥倉山の火山活動地帯を抜け、姥倉山手前の分岐から網張温泉方向に降っていくにつれて、危険地帯からは遠くなるのでひと安心だった。下りの休憩は1時間に1回として、予定よりも遅れたペースを回復するようにしていた。

 

山の景色

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山並みの遠くに鳥海山が見えた

 

スキー場の第3リフト手前の展望台に着いたときに、途中で帰宅したせっかち山本から、コロナウイルス感染のPCR検査結果で陽性判定が出た、と連絡が入ったが、その時点で仲間には体調不良者はいなかった。網張温泉に降りる道は、スキー場のゲレンデの端を淡々と降りる単純な道で、ゴールは見えているのになかなか到着せず、単純なだけに爪先に応えるのだった。途中で網張温泉登山口から登っていく登山者に出会ったが、日陰もなく単調な登りは、精神的にも堪えるのではないかと想った。『日本百名山』のなかに岩手山を選んだ深田久弥は網張コースから岩手山に登っていった。

 

草の上に乗っている人たち

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スキー場の端を淡々と降っていった

 

ようやく網張温泉に無事に降りたったのは、予定時刻よりも5分遅れただけだった。お花畑での1時間遅れを、その後の仲間の頑張りのペースアップで挽回したのだ。お見事!仲間の頑張りによって温泉に入る時間と、入浴後にレストランでビールの乾杯と食事時間が確保できたのだった。メデタシメデタシ。温泉は5つに分かれており、私たちは本館の「大釈の湯」に入った。少し濁り気味の単純温泉・硫黄泉で、露天風呂脇にヤマボウシが赤い実をつけていた。実をもぎ取って口に放り込むと、子どもの頃に食べた味が蘇ってきたのだった。

 

建物の前に立っている子供たち

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網張温泉に無事に降りたった

 

13時45分の送迎バスに乗って小岩井農場で降ろしてもらった。目的は名物のアイスクリームを食べることにあった。実際に食べてみると濃厚な味で美味かった。半分食べたところでウイスキーを流し込み、一味違う味を楽しんだのだった。その後は岩手山を正面に眺めながら、路線バスの発車時刻までウイスキーの水割りでの酒盛りだった。

 

レストランで食事をしている人達

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岩手山登山も無事に終わってレストランで乾杯だった

 

最終路線バスで盛岡駅に戻ると、今回の早池峰山・岩手山という東北の名峰への連続登山が、大きな事故もなく無事に終わることができたので、レストランに入って夕食を兼ねて祝杯を挙げたのだった。みんな満足の顔をしていた。それにしてもことあるごとに、よく飲む仲間たちである。これだから登山はやめられない。

 

人, 男, テーブル, 座る が含まれている画像

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岩手山を眺めながら北上川畔での宴会は記憶に残るものだった

 

 打ち上げ後、新幹線で東京へ帰る3人を見送ったあと、私たちは酔い覚ましに盛岡市の中央を流れる北上川の開運橋まで歩いて行った。川畔は夏祭りの残りなのだろうか、電灯が長い区間で灯っていた。芝生のなかに喫茶店や食べもの処や点在していた。私たちは芝生のなかで夜行バスの発車時刻まで宴会しようとしたが、ポパイ吉原が「船着場の方が岩手山が見えるのでそちらで宴会しよう」と提案してきた。その場所に行ってみると。確かに昨日登った岩手山が眺められ、北上川の流れを眺めながら宴会をすることにした。エンジニア小林がセブンイレブンまでひとっ走りして、4合瓶の日本酒を2本とつまみを買ってきた。日本酒はもちろん盛岡の地酒である。ここから夜行バス発車まで記憶に残る宴会が始まったのであるが、東京駅にバスが到着するころには、すっかり記憶が飛んでいたのだった。

 

マップ

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9月9日の登山データ

 

後日談

10月2日に気象庁より岩手山の火山情報が追加され、危険レベルが12に引き上げられた。それにより全ての登山口に「入山禁止」の立て看板が設置され、入山禁止となった。私たちがお世話になった8合目避難小屋も封鎖され、管理人も山を下りたとのことだ。入山禁止が1カ月前だったなら、私たちも岩手山に登れなかったわけで、今回は実にラッキーだった。(^^

 

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