女神とお姫様に逢いに早池峰へ
ハヤチネウスユキソウ
盛岡駅前を7時10分発の急行「早池峰登山バス」はリンゴ畑やブドウ畑の脇を走り文字通り両側から迫る山襞を縫うように山奥へと走りこんでいく。早池峰登山の最終集落「岳」を過ぎるとかつて登山道であった山道は現在アスファルト道路となっているが中型バス1台が通れる道幅となって岳川沿いを小田越登山口に向かって上って行った。
私の乗った登山バスは座席20席の中型バスで盛岡駅前から16人乗車し、岳から8人が新たに乗り込んだ。6月期〜8月期までの夏山シーズンの土休日はマイカーの乗り入れが朝7時から18時まで時間規制されている関係で登山者は岳駐車場でシャトルバスか登山バスに乗り換えるのである。
バスは9時に登山口の小田越に到着した。左に薬師岳への登山道が延び、右に早池峰への登山道が延びているがバスを下車した登山者は全員が早池峰登山道へと踏み込んでいく。6月中旬から7月中旬の梅雨時期の1ヶ月間に限って早池峰に咲く「ハヤチネウスユキソウ」を目当てに続々と登山者が集まってくるのである。また「ハヤチネウスユキソウ」より少し早く咲き出す「ヒメコザクラ」の純白で清純な花も幻の花として人気が高い。今回の私の登山の目的は女神といわれる「ハヤチネウスユキソウ」とお姫様といわれる「ヒメコザクラ」の2つの花に出会うためである。
ヒメコザクラ
登山口から登り始めて30分で森林限界を抜け出て岩と高山植物の生える明るい大地を歩いていく。実に気持ちがいい。東北地方は平年通りに6月19日に梅雨入り宣言が出されたが、天候は薄曇りであり時たま日が射す登山日和である。時たま頬を撫でていく風も快い。
蛇紋岩の大岩が大地に頭を出す脇を登山道が山頂に向かって延びているわけだが高山植物を保護ずる目的で登山道の両脇にロープが張られている。ロープを張らずに登山者の自覚に任せて高山植物を踏み荒らさないようにするのが理想なのだが現実はゴミ持ち帰りなどを通して登山者のマナーが良くなったとはいえ植物保護のためにロープに頼らざるを得ないのが正直なところだと思う。
目的の「ハヤチネウスユキソウ」は一輪咲いているのがすぐに見つかった。カメラを出してピントを合わせようとするがなかなか合わない。5枚ほど撮ったが家に帰ってパソコンで確認してみるといずれもピンボケであった。残念至極である。「ヒメコザクラ」も登山道の脇に姿を見せるようになった。花の大きさは1cmほどの本当に可愛い花である。その小さな花が微笑みかけているように感じられる。
「ミヤマアズマギク」は薄紫の花を元気に咲かせ、「ミヤマシオガマ」は紫がかった濃いピンクで大きい花を咲かせている。「ミヤマオダマキ」は先が白く薄紫色の花を下向きに咲かせ、「イワウメ」は小さな白い花をびっしり咲かせている。バラ科の「チングルマ」は純白の花を開き、「ナンブイヌナズナ」は真黄色の花をばら撒かせている。「ベンケイソウ」は渦巻状に黄色い花を咲かせ、「ミヤマトラノオ」は濃いピンクの花穂を風に揺らせている。登山道の両脇は文字通り高山植物の花で彩られている。6月の早池峰は大げさではなく花の山である。
岩壁に咲くチシマアマナ
眼に飛び込んでくる花々の写真を撮りながらゆっくり登ってきたのだが2時間で山頂に到着してしまった。山頂直下には雪が残り芽吹いて間もない木々が目に付く。雪解け期に咲くピンクの「ショウジョウバカマ」が沢山眼に入り、「ヤマザクラ」の小ぶりの花も咲いている。小田越登山口から登って来たわけだが、高度が上がるにつれて初夏・春・早春が2時間の間にタイムスリップし季節が濃縮して流れるようにやってきた感じを受ける。
早池峰山頂は剣の形をした標柱が沢山立っている。さすが霊山としての名残りだ。赤く塗られた鉄製の早池峰神社奥社が建っている。扉に三日月と太陽のくりぬきがあったので太陽の丸型から中の様子を除いて見た。最初は何が置かれているか分からなかったが目が中の暗さに慣れてくると右側に赤い隈取りの真っ黒な大権現の獅子頭が鎮座していた。初めて大権現の獅子頭を見たのでビックリした。
大岩があちらこちらで重なりあった山頂にも沢山の花が咲いている。30人ほどの登山者は丁度お昼時間ということもあり三々五々に場所を選んで清々しい雰囲気の中で周りの景色を堪能している。小田越を挟んで薬師岳がピラミダルな端正な姿で対峙している。登ってきた登山道が遥か下から続いているのも見下ろすことが出来る。これから河原の坊登山口へと急激に下っていくルートも見下ろすことが出来る。さあ、食事も済んだ花を愛でながら下山に入ろう。
早池峰神社奥社の大権現
今回は梅雨に入ったばかりの東北地方で雨に祟られるのではないかと心配したが幸いなことに雨に降られず目的とした「ハヤチネウスユキソウ」と「ヒメコザクラ」の可愛い花たちに会え、満足満足の山旅であった。宿を取った盛岡では名物の「盛岡冷麺」を食べ、地酒の純米吟醸原酒「あらえびす」と特別純米原酒「喜平治」を飲んだ。非常に美味い酒だったことは言うまでもないことである。下山した日は無人小屋の「うすゆき山荘」で久しぶりに凄まじい雷鳴を伴う雷雨に会ったが地酒をひとり楽しみながら雨音のみ聞こえる山荘で静かに今回の楽しかった山旅を思い起こしていた。