八丈富士に登った

 

八丈富士(標高:854m)に登った

 

10月5日 日曜日 晴れ

今回の目的は八丈島の山登りである。東京都八丈町は東京の南300kmに位置し、2つの島の火山が1万年前から噴火を繰り返し、その流れだした溶岩や噴出物が堆積して2つの島をつなげたために瓢箪のような形をしている。この2つの火山に登るために10日前から2週間予天気報を検討し、晴れや曇りが続く10月5日から10日までの5泊6日の計画を立てた。

 

八丈島航路の定期船『橘丸』

 

山登りのひとつ目は西山(標高:854m)で八丈富士と呼ばれる伊豆諸島の最高峰である。ふたつ目の東山(標高:701m)は三原山と呼ばれている。この2つの山に登ることが今回の目的である。八丈島は年間平均気温が高いために10月11月は海水浴はできないものの観光のベストシーズンだが乗船客は少ない。以前ハワイよりも近い新婚旅行先として冬でも暖かい八丈島は人気だったのだが・・・

 

10人部屋に私ひとりだけだった

 

私が竹芝桟橋に来るのは、2018年4月に小笠原諸島の父島・母島に出かけて以来7年ぶりだ。旅客ターミナルの自動発券機にQRコードを読み込ませて受け取ったチケットに印字された番号は3甲板のG209番だった。2等船室の10人部屋に私ひとり。貸し毛布1枚を100円で借りた。通路の反対側は8人部屋に男性客がひとり。隣の部屋には誰もいない。ゆったりしていて気持ちがいい。22時30分に竹芝桟橋を定時出航した大型客船『橘丸』は翌朝5時に三宅島、6時に御蔵島に寄港し、9時に八丈島底土港に着岸する予定だ。竹芝桟橋から八丈島まで10時間の船旅である。ちなみに飛行機だと羽田から八丈島までは50分である。

 

年齢確認の自動販売機を初めて使った

 

船内の自動販売機での缶ビール販売は、運転免許証をカードリーダーに差し込み年齢確認したあと、販売許可が出ないと買えない自動販売機だった。既に夕食は自宅で済ませてきたので、キリングレープフルーツ本搾り350mlを1本買った。部屋のテレビはBS放送が受信できたので、船内消灯までの1時間を「矢沢永吉ディープナイト」という番組を観た。

 

嫌な予感がする台風22号

 

小笠原父島の南に台風22号が発生しており、今日12時の進路予測では九州・四国・本州に接近となっていたが、16時35分の予測では急に東にUターンして本州に向かうようだ。明日八丈島に着いたら10月10日帰宅の定期船は欠航になるだろうから、10月7日便に変更しようと想う。

 

10月6日 月曜日 晴れのち曇り

7時30分から4甲板のレストランがオープンしたので、お湯をもらいに出かけた。自動販売機の奥に給湯器があった。ジェットボイルのなかに500mlのお湯を注いで味噌ラーメンを入れ、ほどよくふやけてきたところにレトルトカレーを入れて味噌カレーラーメンにして食べた。身体が芯から暖かくなった。ラーメンを食べたあと大福餅をひとつ食べて朝食を終えた。

 

朝食は味噌カレーラーメンと大福だった

 

窓から見える海は大きな波もなく凪いで青く輝いていた。朝6時の天気予報で台風22号の進路予測を確認すると、10月10日は東京南海上にあった。4日後に大荒れになるとは全く想えない静かな海である。嫌な予感がするので台風22号の接近に対して登山計画を大幅に見直し、今日八丈富士に登り、明日帰宅することにした。

 

八丈島底土港に着いた

 

八丈島底土港に着いたので東海汽船のチケット売り場に行き、10月10日のチケットを明日10月7日への変更手続きを頼むと、「明日の便の席は確保しましたが、明日にならないと運航されるかどうかわかりません。8時30分からチケット売り場は開いていますので明日再度来てください」とのことだった。台風22号に振り回されている感じがした。

 

山頂部分に雲のかかった八丈富士が見えた

 

フェリーターミナルを出ると正面に山頂付近に雲がかかった八丈富士が見えた。1台だけ待機していたタクシーに乗りキャンプ場でザックを降ろし、7合目登山口まで乗せてもらった。料金は2850円だった。登山の準備を済ませて9時40分に登りだした。

 

登山口から石の階段が続いていた

 

お鉢まわりまで50分という看板が立てられていたので、ゆっくり登っても1時間くらいだろう。私の前をレンタカーでやってきた2人の若い女性が登って行った。ススキの生い茂った階段を登っていく。今日は十五夜である。家を出る時に花見川の土手でススキを切って自宅の花瓶に挿してきたことを思い出した。周りからツクツクホウシの声が聞こえてきていた。風が止んでいるため蒸し暑く、額からは汗が滴り落ちていた。

 

階段は1280段も続いていた

 

登り始めて20分が過ぎたころ「石段中間点640段 火口まであと半分 ガンバレ」という手作りの看板が立っていた。ちょっとペースが早いかもしれないので、ゆっくり登っていこう。後ろを振り返ると八丈島空港の向こう側に東山(三原山)が見えたが、頂上付近は雲に覆われていた。これから登っていく西山の頂上も雲に覆われているようだった。

 

獣害防止柵が設置されていた

 

石段の半分看板からしばらく登ると、八丈島の植生を保護し八丈富士を守るために獣害防止柵が設置され、登山者は扉を必ず閉めてくださいと書かれていた。獣害とは千葉県で大繁殖しているシカの仲間のキョンのことだろう。先ほどまで見えていた底土港や町は霧に覆われて真っ白くなってしまった。天候がころころ変わり不安定である。

 

ナンバンキセルが咲いていた

 

石段を登っていくと足元にピンクのナンバンキセルが咲いていた。花の形がキセルの首に似ているのでナンバンキセルと呼ばれているが、初めて目にする花である。細長い形の花なので馬面だ。周りにも何株かナンバンキセルが小さな花を咲かせていた。

 

アトリに出会った

 

 石段を登り終わり登山道の傾斜が緩くなった地点で1羽の野鳥が眼の前に舞い降りた。距離は3mほどである。黒・白・黄色・橙が混じった綺麗な野鳥である。過去の野鳥観察から冬鳥のアトリであることを思い出した。アトリは群れで生活しているのだが、1羽だけだった。

 

お鉢まわりの分岐に着いた

 

登山口から登りだして40分で、お鉢まわりの分岐に着いた。火口の大きさは直径約500mである。空には5mほどの低さで数羽のイワツバメが舞っていた。この近くの火口壁にイワツバメの巣があるのだろう。お鉢まわりは「天空への道」と呼ばれており、火口壁の縁をぐるりと回ることである。これから時計回りにお鉢を回っていこう。ちょうど火口壁の反対側に1人の男性が歩いているのが見えた。私の前に登山口で出会った女性2人が歩き出していた。登山口では長袖を着ていた女性たちは半袖シャツになっていた。

 

火口のなかに丸い池が見えた

 

小さな案内板に従ってススキやイヌツゲなどが覆いかぶさる道幅30cmほどの山道を歩いて行くのだが、ぬかるみや穴ぼこが度々あるし、絶壁の縁を歩くこともあり、足元を確認しながら歩いた。先行していた2人の女性は途中で戻っていった。火口のなかを見下ろすと中央に丸い池が見えた。火口の周りがぐるりと絶壁に取り囲まれている。反対側に10人ほどのグループがガイドの案内で歩いて行くのが見えた。ガイド料金は1人8000円である。私の100m先に若い女性が火口のなかを眺めていた。

 

八丈富士(標高:854m)の山頂に着いた

 

お鉢まわりを歩き出して20分で西山・八丈富士の山頂に着いた。先ほど追い抜いた若い女性がやってきたのでスマホのシャッターを押してもらった。私もお返しにシャッターを押してあげた。海が台風の影響で荒れそうなことを話すと、彼女は今日の飛行機で帰るとのことだった。

 

紺碧の海に八丈小島が浮かんでいた

 

お鉢まわりを進んでいくと尖った八丈小島が紺碧の海に登場してきた。群青色をした素晴らしい海の景色だ。小島の頂上にも雲がかかっていた。八丈小島は周囲が絶壁なので上陸することは困難だろう。小さいが尖がった格好いい島だと感じた。休憩を取りながら暫く紺碧の海と八丈小島の景色を眺めていた。

 

八丈富士の火口は2重火口になっていた

 

山頂から反対側まで回り込んで火口のなかを覗き込むと、八丈富士の火口は火口のなかに火口がある2重火口になっていたのには驚いた。向こうの山頂方向から見た時は中央火口の陰になっていて2重火口がわからなかったのだ。長い八丈富士の歴史のなかで噴火を繰り返していた生い立ちを見た瞬間だった。

 

満足だったお鉢まわり

 

お鉢をぐるりとゆっくりまわり1時間20分かかって分岐点に戻ってきた。空はよく晴れていたので絶景を望むことができた。私が分岐点に戻ってきたときに、お鉢まわりをしている人は3人確認できた。これから火口のなかに降りて行き、浅間神社にお参りしたあと、中央に見えた丸い池に向かうつもりだった。登山地図には登山道の表示はないが、過去の登山記録やYAMAPの踏み跡履歴を参考にした。

 

浅間神社にお参りした

 

火口のなかは常緑広葉樹やシダが生い茂っているので湿っていた。火口に降り出してから20分ほどで浅間神社に着いた。昭和45年8月吉日と記したコンクリートの鳥居と、今にも朽ちそうな木の鳥居が立ち、木の鳥居の奥に小さな石の祠が3つ祀ってあった。お賽銭がたくさん供えられており、木の鳥居の下に好きな言葉を書いた色を着けた丸石がたくさん供えられており、ドラえもんを描いた石もあった。丸石は絵馬のようなものだろう。

 

中央火口丘のなかに踏み込んでいった

 

浅間神社から少し戻って中央火口丘のなかに踏み込んでいった。「危険 道迷い多発 携帯電話繋がらず 危険と思ったらすぐに引き返してください」という八丈町産業観光課観光係の警告看板が2つ立っていた。警告看板はあったが想ったよりも道はしっかりしており、歩き慣れない人はガスに巻かれたような状況では間違うこともあるかもしれないと感じたが、私には問題なかった。

 

シダをかき分けて丸い池に着いた

 

足元に覆い茂るシダをかき分け、細い木が密集しているなかや足元も見えない藪をくぐっていると、ハワイのホノルルマラソンを走った時に訪れたジュラシックパーク撮影地のジャングルのなかを歩いている気分だった。やがて中央火口丘内の池に着いた。お鉢まわりをしていた時に火口の中央に見えていた丸い池だ。風は全くなく静かな池の水に空の青が反射し、火口の垂直の壁が池に映っていた。音が全くなかった。実に静かなひと時が流れていった。池の周りの草は黄色く色づき始めていた。

 

帰りはキャンプ場まで歩いて帰った

 

火口内を歩いて分岐まで戻り下山を開始した。1280段の石段を降りていったが、階段の横に幅40cmほどのコンクリートの道がついていた。その坂を歩く方が階段を降りるよりも楽だった。40分で登山口まで降りた。登る時は港からタクシーで来たが、これから歩いてテント場まで戻るので2時間半くらいとみて到着は16時くらいだろう。車道を歩いて降りてくると、なんと道路を横切るイタチに2回も出会ったのである。私の家ではペットとして西洋イタチのフェレットを飼っているが、出会ったイタチは色艶もよく明るい茶色に輝いていた。餌が豊富なのか元気いっぱいという感じを受けた。

 

南国の花といえば

 

南国の花といえば、ハイビスカス、ブーゲンビリア、極楽鳥花だろうか。その3種類の花が道路わきに咲いている。艶やかな南国を感じさせる花である。予定よりも40分早くキャンプ場に着いた。すぐにテントを立ててフェリーターミナル前の酒屋に買い物に出かけた。酒屋で買ったのは500mlのサッポロビール2本、レモンサワー1本、島焼酎4合瓶1本だった。ひと晩だけなので、これだけあれば十分である。

 

広いテント場に2張りだけ

 

底土キャンプ場のテント場は3箇所70張り収容だが、今日は外国人夫婦と私だけである。バーベキュー場で若者3人が準備をしていたが、彼らはバーベキューを食べれば宿に帰るだろう。シャワーで汗を流した後はテント前で宴会のスタートである。10月になっても蚊が飛んでいて、随分あちこちを刺されてしまって痒い。天気予報を確認すると今晩の21時から24時頃と明日の明け方3時から5時頃に小雨が降ると出ていたので、芝生の上のテントを東屋のなかに引っ越した。実に静かなテント場で聞こえてくるのは潮騒のみだ。今晩はこれがBGMになるのだろう。

 

今日は十五夜だ

 

今日は十五夜だ。東の空から満月が登りだし、ひとり宴会を進めているうちに満月はますます煌々と輝き出した。奈良時代や平安時代の歌人ならば、酒を酌み交わしながら和歌のひとつも作ったであろうが、私にはそのような芸はないので、満月をツマミに島焼酎を飲みながら潮騒に耳を傾けていた。

 

八丈富士の登山データ

 

 計画は変更せざるを得なくなった

当初の登山計画は、定期船内で1泊し八丈島の底土キャンプ場で4泊の5泊6日だった。西山(八丈富士)に登ったあと、東山(三原山)へ登り、予備日は島内1周45kmサイクリング、温泉入浴、歴史民俗資料館入館などだった。しかし、台風22号が沖縄・南西諸島に進む予測が東側にUターンし、伊豆諸島を通過する見込みになったため、登山計画を変更せざるを得なくなった。そのため八丈島に着いた当日に八丈富士に登り、翌日は東京に戻るという計画に変えたのだった。

 

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