真っ赤に熟した木苺が美味かった

 

御来光1

白山山頂での御来光

 

4時前に隣で寝ていた3人組が御来光を山頂で迎えるため出発した。向かい側の夫婦も出発した。日の出は5時15分頃となっている。私は宿舎の室堂センターから山頂までの所要時間は40分を考慮し4時30分にスタートした。周囲はすっかり朝霧に包まれている。手に持つライトで足元を照らしながら祈祷所脇から登山道を登っていく。実に整備された登山道だと思う。高天原と言われている辺りで雲が切れ、星が瞬いているのが確認できた。御来光を仰ぐことが期待できる。30分で立派な白山神社奥社が建つ山頂に到着した。南風とともに昇ってくる霧を防ぐために東側に廻り込み岩陰に身を寄せ日の出を待つ。日の出予定時刻の5分前に明るかった東の空が急に雲に覆われてしまった。時は過ぎ行くが一向に雲が飛びそうにもない。残念だがしかたないと諦め火山湖巡りに出発しようとした矢先に歓声が上がり東の空が一気に明るくなり雲間から太陽が顔を出した。雲海から登る日の出は見えなかったものの霧のために輪郭がぼけて大きく輝く太陽が昇った。頂上にいた100人近くの登山者はみな感激の声を挙げ、お互いが写真を撮り合っている。朝が生まれ神々しく輝く太陽というものに正対するとき人は素直な心になる。

 御前峰山頂から油ヶ池、紺屋ヶ池、翠ヶ池、血の池、五色池、百姓池、千蛇ヶ池、と7つの池を廻って宿舎に戻る火山湖(お池)廻りコースに踏み出そうとした時、西方に垂直に上る虹が出ているのを見た。これまでの30年に渡る登山の中で二重の虹や色のない黒い虹を見たことはあるが垂直の虹を見るのは初めてのことだ。まっすぐに立ち上がる弧のない垂直の虹というのは上部が中空に消えてしまうので変なものだ。お池廻りの中では一番心を惹かれる景色は残雪を池の脇に残しながら剣が峰を映す翠ヶ池だった。翠ヶ池は決して大きな池ではないが実に綺麗な光景だと思う。

midori

朝日に映える翠ヶ池


 登山道の両側に実る木苺は実に見事なもので大きさは2cmを超えるだろう。今までこれほど大きな木苺を見たことがない。真っ赤に輝く宝石のようだ。指が触れると手の中に転げ落ちてきた状況が現すように熟し正に食べ頃であった。なぜ登山道の両脇にこれほど見事な木苺の実が食べられずに残っていたのだろうと不思議な気がしたが、よくよく考えてみると野山の草木の実を食べるか食べないかは幼児体験が重要だと思う。子どもの頃に草木の実を食べたことがない人は大人になっても手を出さないような気がするし、食べられるものと食べられないものを判断する基準を持っていない気がする。私は小さいときから草木の実を食べていたので今でも抵抗感なく味わうことが出来る。朝食前ということもありゲップが出るほど甘酸っぱい真っ赤な木苺の実を味わってしまった。実に美味かった。室堂に戻り祈祷所に参拝し白山奥社の御神符と神馬鈴を買った。自宅に飾ろうと思う。

 

朝露を宿し朝日に輝く高山植物の葉は美しい。群れて咲くミヤマリンドウの紫の花も濡れ、花弁を落とし寂しそうな実が印象的なのはミヤマクロユリだ。ヨツバシオガマが薄桃色の花をビッシリつけ、純白の花の時期を過ぎたチングルマの穂が風に揺れ、コバイケイソウの葉が黄色に色づく爽やかな高原は徐々に秋色に変わり始めている。

 

ニリンソウ1

清楚なニリンソウ

 

 白山は富士山、立山とともに日本3霊山・3名山のひとつに挙げられ、717年(養老元年)越前の僧・泰澄が初めて白山に登り修行をしたのが信仰の始まりと伝えられている。その際に白馬の神馬に乗ったヒメに導かれたといわれ、白山神社は、そのヒメが祭られている。祭神は女の神様であり日本全国に散在する2700の白山神社の総本山でもある。

 

1日目の登山ルートは砂防新道を選んだが、2日目の下山ルートは尾根の違う観光新道を選んだ。砂防新道は横手川に砂防堰堤を作るための工事材料を運んだ道を現在登山道として使用している、との説明版が別当登山口に掲げられていた。登山口から砂防新道に入るにはすぐに横手川に架かる立派な吊橋を渡るが、土石流に流されてしまった以前の吊橋の写真が現在の新しい吊橋の脇に掲示されていた。その写真を見ると土石流の物凄さが手に取るように分かる。現在も土石流を防ぐための工事が続けられている。自然現象として崩落地での土砂崩れは今後も継続するので気の遠くなるような人間と自然との対応が続いている。

 砂防新道はブナなどの広葉樹の木々の中に作られた道だが、観光新道は尾根筋上に作られている道なので眺めがよく気持ちのいいルートである。しかしコースは急坂の連続である。観光新道は登りよりは下りに使うほうがはるかにいい選択だろう。登山道の両脇に、ミヤママツムシソウ、ハクサンフウロ、ミヤマキリンソウ、イブキトラノオ、ハクサントリカブト、などの花が絶え間なく咲いている。カメラのシャッターを押すたびに立ち止まるので下山のスピードは遅くなるが花を愛でながらのゆっくりしたペースも時間の許す限りいいものである。

秋迫る室堂高原

 

今回の白山登山で感じたことを2点記録しておきたいと思う。第1点は、白山登山はゴミ持ち帰りが徹底している。2日間歩いた登山道でゴミを見かけなかったのは勿論のことだが、宿舎の室堂センターの売店で買って飲んだビールの空き缶も「自分で圧縮し持ち帰りが原則」とのことで売店に受け取ってもらえなかった。どこの山小屋でもその場で買ったジュースやビールの空き缶は山小屋側で処理するものだが、白山の場合は徹底した利用者側の責任を追求している。登山者が、それが当然と受け止めていたのは自分で出したゴミは自分で持ち帰ることが徹底している現われだと思う。自然環境とその構成員の一部としての人間の関係を考えるときゴミ持ち帰りは大切なことだと思う。

 

 第2点は、登山と飲酒の関連である。私は単独山行の時はビールを飲む程度で深酒を慎んでいるが、どうしてあれほどまでに酔っ払うのだろかと思う登山者を見かけた。一人目は思うように歩けず転んだのか女性会員と宿舎のスタッフにサポートされ千鳥足で応急手当に向かう70歳代の男性。二人目はマグカップを持ちながらろれつの廻らない口で何やら話しかけている60歳代の男性と、三人目はろれつの廻らない男性と対応しているこれまた何を話しているか判断不明の50歳代の男性。四人目はスーパーの買い物袋を頭に被り真っ赤な顔ではしゃいでいる50歳代の男性。日常生活から遮断されたことによる精神的な自由さが酒量を増加させるのか、気圧が薄くなることにより酔いが早まるのか、とにかく危ない中高年齢者が多いことが分かる。酒を飲みすぎて二日酔い状態での登山による注意力の散漫や動作の緩慢が思わぬ事故を引き起こさないとも限らないのである。北アルプスを始めとして他の山域ではあまり見かけない光景であることは確かなことだ。登山というスポーツは全て自己責任にあることを改めて感じさせられた。

 

8月も中旬を過ぎると金沢からの直通登山バスは土日に1日1本のみとなる。バス発着所脇の売店も既に閉店しビールはおろかジュースもない。冷たい沢水で喉を潤しながらバスを待つ時間に今回の登山メモを書いていたが、時たま顔を出す太陽の日差しは強く長袖を捲くっていた腕に日焼けの跡がくっきりと付いた。対岸から飛んでくるのであろうか大量の綿毛が白く舞っていたのが強く印象に残っている。

 

                                           2008年9月1日

 

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