白銀は招くよ
女子国体コースの入り口から日光連山を望む
1月27日〜30日の3泊4日の日程で尾瀬岩鞍スキー場に遊びに出かけた。尾瀬岩鞍スキー場は16本のコースがあり、初級者2コース、中級者7コース、上級者7コースというコース設定なので、比較的コンパクトなスキー場だが、国体コースから初級までの幅広いゲレンデといえる。
1月27日 土曜日 晴れ
初日は11時にJR東所沢駅で相棒と待ち合わせ、そのまま関越高速道路に乗り入れ沼田インターで降りた。高速道路を走行中に左側に雪を被った富士山が綺麗に見えた。高崎近くからは雪を被った浅間山がたおやかな姿を現していた。私が子どものころは毎日浅間山を眺めて暮らしていたが、雪化粧した浅間山を見るのは久しぶりだった。片品村の宿であるロッヂさんらいずに着いたのは14時ころだった。片品村はあちこちで温泉が湧きだしており、さんらいずの温泉は経営者の星野さんの親父さんが旅館を経営していたころに、駐車場の隅に300mほど堀ったときに湧き出た自堀りの温泉で、温度が低いために加熱しているとのことである。温泉を浴びたあとは宴会で、ビールから始まり日本酒に変わり、夕ご飯を挟んで夜はしこたま飲んだのだった。
定宿のロッヂさんらいず
1月28日 日曜日 晴れ時々小雪
朝8時15分のロッヂの送迎バスに乗り、8時半よりゲレンデに入った。今年からチケットが変更になり、スーパーシニアは70歳から75歳へと年齢が引き上げられた。私はすでに75歳になっているのでスーパーシニアの2日券を買うと8900円だった。チケットは基本的に1日券のみに変わったので、2日券以上は宿の宿泊証明がないと買えないことになった。スキー客やボーダー客が減り、スキー場は収入減となっているため、単価の高い1日券のみとし、割引対象年齢も引き上げたのだと想った。
尾瀬岩鞍ゲレンデ
昨晩の酒がまだ残っており、身体がポカポカしていた。日曜日とあってゲレンデは朝から大賑わいである。まずはゴンドラに乗って山頂駅から距離2800mのミルキーウェイをノンストップで滑りおり、再びゴンドラに乗って西山の距離1100mのななかまどコースを滑り、ロマンスリフトを乗り継いで山頂に向かった。ゲレンデでは気温が氷点下なので雪面が凍っており、スキー板との接触衝撃が直に脚に伝わってくる。ロマンスリフトに乗っている時に、左側からフィフィという独特の鳴き声が聞こえてきたので、目を左のカラマツ林に移すと、3羽のウソがピンクの胸毛も鮮やかに可愛らしい丸い体で、餌を探しながら枝から枝へと動いているのが見えた。西山の一番東側の距離1140mのとちの木コースを2度滑り、再びロマンスリフトを乗り継いで山頂駅に戻って距離1650mの女子国体コースを滑って、お祭り広場でしばしの休憩となった。いずれのコースも滑りだすと途中で止まることなくノンストップで滑り降りた。今シーズン初めてのスキーなので腿が疲れているのを感じた。この休憩では酒は飲まない。
暖かな日差しを浴びながらお祭り広場のベンチで休んでいると、30歳代と思われる女性がやってきて隣のベンチに座ろうとした。そこは斜めのベンチだったので、「私の座っているところがもうすぐ空くので、こちらに座られたらどうですか?」と話かけると、私の横に座り、しばらくスキー談義をした。彼女は尾瀬岩鞍スキー場に度々訪れており、「今日は雪が降ったばかりの男子国体コースに期待して入ったところ、圧雪されてしまったので期待外れだった」などと喋りながら、「一緒に来た相棒とここで待ち合わせしている」とのことだった。「なぜ相棒と一緒に滑らないの?」と質問すると、「私はスキーだが相棒はスノーボードのために滑るエリアが違う」とのことだった。5分ほど待っていると相手がやってきた。相棒は男性だったので、多分夫婦だろう。私も相棒が戻ってきたので、チャンピオンコースへと進んで行った。
チャンピオンコースの入り口
休憩後はチャンピオンコースを2本滑って、再びゴンドラに乗って西山のななかまどコースととちの木コースを滑り、山頂に戻ってミルキーウェイを滑って13時に1日目の滑降を終えた。アフタースキーは居酒屋『お祭り広場』で一杯である。小屋に入ってみると焼酎と日本酒のメニューが多数追加され、お祭り広場は食堂となっているが、まさに古き時代の居酒屋状態であった。14時にお願いしていたロッヂの迎えまでの1時間で、もつ煮込み、コロッケ、水餃子、漬け物などを肴に、エビス生ビールをジョッキで2杯、日本酒のコップ酒を1杯飲んだところでお迎えとなった。
まずはエビス生ビールで乾杯
1月29日 月曜日 快晴
朝から雲ひとつない快晴だった。8時30分発のバスに乗ってゲレンデまで運んでもらった。月曜日となったので昨日とは違いゲレンデはガラガラ状態だった。ゴンドラに乗って山頂駅に行き、そこから最初の足慣らしでミルキーウェイを滑り降りた。ロープウェイからは日光白根山はもちろんのこと秩父連山の山なみの向こうに富士山が綺麗に見えた。
ゴンドラから見た日光連山
再びゴンドラに乗り、昨日と同様に山頂駅から西山のななかまどコースを滑り降り、連絡リストを乗り継いで西山のとちの木コースを2本滑った。ともに上級コースに指定されているコースで、そのあと女子国体コースを滑ってチャンピオンコースに向かった。チャンピオンコースを2本滑ってお祭り広場で10分間の休憩である。これで予定の半分を滑ったことになった。
ゴンドラ山頂駅から見た上州武尊山
連日、春スキーのように暖かく、空は雲ひとつなく晴れ上がり、空の青さで目に痛くなるような快晴である。富士山の前に連なる秩父連山の右に見えた上州武尊山も、まとわりついていた雲が飛んで5つの凸凹の山頂が見え、素晴らしいスキー日和だった。
白銀は招くよ
真っ青な空と真っ白な雪を見ていると、1956年の冬季オリンピックのアルペン3冠王や1958年のアルペンスキー世界選手権でも3個の金メダルを取ったスーパースターのトニーザイラーが主演した映画『白銀は招くよ』を思い出す。22歳の絶頂期にスキー競技を引退し、歌手や俳優の道に進み、数多くの映画に出演した。そのひとつが『白銀は招くよ』だった。当時中学生だった私は、スキーの片方を流してしまったザイラーが、片脚スキーで見事なシュプールを描いて滑降する姿は、今も瞼に焼きついており、深く感動したのだった。その映画の主題歌のメロディーとダークダックスが歌った歌詞が浮かんでくる。
雪の山は友だち 招くよ若い夢を ホーヤッホ ホーヤッホ 歌声も招く
雪の山は友だち 走れ若い心よ ホーヤッホ ホーヤッホ 歌声も走る
富士山も綺麗に見えた
2回目の滑りに出発した。1回目とほぼ同じパターンで、まずゴンドラに乗って山頂駅に行き、西山のななかまどコースを滑り、東回りのとちの木コースを2本滑り、再び山頂駅に戻りミルキーウェイを滑り降りると12時を過ぎていた。昨日と同じ本数を滑ったのだが、スキーヤーやボーダーが少ないために、リフトやゴンドラを待つ時間が全くなく、その分だけ滑り終わる時刻が早く、約1時間も早くお祭り広場に戻って来たことになった。14時のお迎えまでの2時間を居酒屋・お祭り広場で過ごすこととなった。
まずはエビス生ビールを大ジョッキで乾杯
まずはエビス生ビールを大ジョッキで乾杯である。つまみはコロッケ、チャーシューメンマ、とんかつだった。漬物の3種類は無料で、いくらでも食べられるので実に過ごしやすい居酒屋である。昨日はあまり見かけなかった外国人も10人ほどのグループで食事をしていた。以前から感じていることだが、日本人も最近はずいぶんヘルメットを被ってスキーを楽しんでる人が見受けられるようになったが、外国人は20年も前から殆どの人がヘルメットを被って自分の頭を保護していた。転倒や衝突した時にどのようなことになるかわからないので、頭を保護することは重要なことだと思う。私はヘルメットを被っていないが、ラグビーのヘッドギアを被り、その上に西表山猫のキャラクター帽子を被って頭を保護している。
宿でも当然のこと乾杯である
1月30日 火曜日 快晴
天気予報によると今日は3月上旬の暖かさとなっていた。4日目になると身体のあちこちの筋肉にきしみが出てきていたので、今日はゲレンデには出ずに部屋で読書をすることにした。持ってきた本は『岳人備忘録・登山界47人の山』という500ページ近くある分厚い本で、その本を読みながら半日を過ごすことにした。相棒は8時半のバスで出かけて行った。窓から見える道路の法面の雪が斑に融けて下の草が現れている。道路には全く雪が見られず春の陽気である。