夢のなかの紅葉狩り 奥多摩の御前山へ
木のあいだから富士山が望めた
奥多摩三山と呼ばれている山々がある。大岳山、三頭山、そして御前山である。その三山の中で姿が一番美しいと言われているのが御前山である。もっとも美しい姿というのは遠くから眺めた場合のことであり、富士山に登るのと同様に、実際に登るのと美しい山容とは関係ないことだが、大岳山と三頭山にはすでに登っているので、今回は御前山に出かけることにした。山容が容姿端麗ということは、頂上までの形が三角形をしており、上りも下りも急登があるということだ。
今回の山旅のコースは、奥多摩駅前から西東京バスに乗り境橋バス停で下車し、栃寄登山口から上り始め、御前山山頂に着いたあとは惣岳山を経由して大ブナ尾根を奥多摩湖に下山する6時間の行程である。
境橋から見おろした多摩川
奥多摩駅に降り立つと雲ひとつない快晴であり、今朝の最低気温は4℃だった。吐く息が白かった。先月上旬に出かけた山梨県昇仙峡の羅漢寺山からも、また下旬に出かけた大月の高畑山や倉岳山からも富士山は望めなかったが、今日は雪を被った美しい富士山を見ることができるだろうと期待した。電車が到着した2分後に出発する奥多摩湖行きのバスに飛び乗った。境橋バス停に着くとバスから降りたのは、私と女性単独登山者だけだった。境橋から多摩川を見下ろすと紅葉に染まる木々が見えた。
養殖池で群がるヤマメ
境橋から奥多摩駅方向に戻り、橋詰トンネルの手前を右に折れ、奥多摩都民の森に入っていった。御前山登山道に入る手前に、奥多摩町が事業主体になっているヤマメ種苗生産施設があった。難しい名前の看板が掲示されていたが、ようするにヤマメの養殖池である。ちょうど関係者がいて門が開けてあったので、養殖場の中に入ってヤマメの養殖状態を覗いてみると、池の中には20cmほどに成長したものすごい数のヤマメが群がっていた。その施設の右下にも渓流に沿って養殖池があり、そこでも作業をしている関係者がいた。
台風被害で通行禁止の登山道
今年は各地でクマの出没情報がニュースで流れているので、今回の山行にはクマ鈴をザックに着けた。鈴の音は比較的に小さいが、クマさんには人間がいることを知らせてくれるだろう。併せて奥多摩湖側に降りる登山道が急なので、トレッキングポールを携行した。グリップ部分に出雲大社にお参りした際に買った鈴を付けた。今回も紙の登山地図とヤマップの電子地図を併用し、ポイントポイントで現在地を確認しながら歩いた。出発から30分ほど歩き、御前山登山道に入ろうとすると通行止めだった。登山道は昨年の台風被害で橋が流され、歩行が危険なために通行禁止ロープが張られていた。昨年の台風被害とあるので1年以上登山道は修復されていないわけだが、登山道は他の道路に比べて修復順位が低いのだろうと思う。早くも登山コースの変更だった。
カラマツの黄葉も真っ盛り
歩きながら奥多摩の山々が 11月になっても稜線まで緑が多いのはなぜだろう?と考えていたのだが、スギやヒノキを広範囲に植林したため山に広葉樹が少なくなり、そのために緑が多いことだと納得した。それでも植林されていないところでは赤や黄色がパッチワークのように眺められた。林道を進んで行くと杉林の中に御前山へ抜ける登山道案内があった。地図を確認すると案内の道は私が歩こうとしているコースと違い、御前山を通り越して惣岳山と御前山の中間点に出てしまい、御前山へは登り返す形になる。私は林道をまっすぐ進みカラマツ広場から御前山に登ることにした。案内板には熊出没注意の看板が取り付けてあった。
御前山周辺の熊出没注意の看板
カラマツ広場に着き、登山道を上り出した。カラマツが黄色に色づき、葉が散りだしていた。周りの木々の紅葉も綺麗に色づいている。登り始めて10分たったころ、登山道に違和感があった。道を間違えたようなので戻ることにした。違和感は当たった。登山道が直角に右上に上る場所があり、私は踏み跡に沿って直進していたのだ。登山道が曲がる位置に何の表示もなかったので、踏み跡に沿って直進する人が多いのだろう。違和感で戻って正解だった。間違ったと思ったら必ず登山道を確認しながら戻ることだ。
クロスズメバチの巣があるため通行禁止
30分でカツラの大木に出会った。大木の根元に直進する登山道への立ち入り禁止のテープが張られていた。説明文によると、この先にクロスズメバチの巣があるので迂回路を進んで下さい、とのことだった。丸いハート形の黄色く色づいたカツラの葉の大半は落ちていたが、私はカツラの木の大きさに圧倒された。このように大きなカツラの木を見るのは初めてだった。枝に止まった好奇心旺盛なヤマガラが、首をわずかに傾けながら、不思議なものを見るように私を見ていた。
湧水の広場からの眺望
落ち葉を踏みしめながら登っていくと、カエデの赤や黄色が目に沁みた。カラマツの小さな黄色い葉はほとんど落ちて登山道に散っていた。明るい森を更に登っていくと湧水の広場という場所に着いた。この森は東京都の水源なのだ。ベンチが2つあったが、いずれも根元から折れて倒れていた。北側が切り開かれており秩父の峰々が見えた。あちらの山は赤く染まり随分紅葉しているようだった。
御前山避難小屋はコロナ対策で使用自粛の貼り紙があった
マユミのピンクがかった赤い実が青空に映えて綺麗だった。周りの木々の葉が落ちているため、マユミの実がよけいに目を引いた。予定より1時間も早くログハウス風の御前山避難小屋に着いた。男性単独登山者がテラス側の戸を開けてお湯を沸かしていた。小屋のドアに新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、当面は緊急時以外の使用は自粛してください、の貼り紙があった。今年は新型コロナウイルスの感染拡大によって、登山もさまざまな規制がかかっている。ウイルスは見えないので厄介な存在だ。単独登山者が御前山から降りてきて、私が登ってきた方向に下山していった。小屋の中に入ってみると協力金付きのトイレには鍵がかかっていた。外に、生水は飲めません、の注意書きの掲示と2か所の水場があった。水は沸かせば飲めるということのようだった。私の予定では、この避難小屋のテラスでお昼ご飯をとることになっていたが、奥多摩駅前でおにぎりを買う時間がなかったので、行動食で持参したフルグラを食べ、ペットボトルの水を口に含んだだけだった。
御前山1405m山頂に着いた
避難小屋から少しの登りで御前山1405m山頂に着いた。男性単独登山者がお湯を沸かしてカップラーメンに注いでいた。食事中の人にスマホのシャッターを押してもらうのは気が引けたので、セルフタイマーを設定して山頂到着の写真を撮った。パイロットの顔が分かるような低空で赤いヘリコプターが旋回していた。遭難捜索だろうか?
シカの食害を防ぐためにネットが張られていた
登山道の両側には植生保護のために、立ち入り禁止のロープが張られていた。御前山の山頂一帯はカタクリが群生していることで有名である。カタクリの優しいピンクの花が咲く時季になると、大勢の登山者が訪れるようだ。シカの食害を防ぐための網も設置されていた。シカが増えすぎたための食害は、全国各地で問題になっている。先月登った山梨県の山でもシカの食害対策が取られていた。
雪を被った富士山が見えた
南側に雪を被った富士山が美しい姿を見せていた。枝が邪魔をして写真がなかなか取れないのがもどかしい。富士山は5合目あたりまで雪を被り、頂上は西からの風が相当強く吹いているようで、雪炎がたなびいていた。天気予報を確認し、富士山の姿を観るために晴れの日に登山を計画して正解だった。
木漏れ日が射す尾根道
ひと休みしたあと惣岳山に向かって降りていった。明るくはしゃぎながら登ってくる中国人の若い女性グループに出会った。先頭の2人が、山頂はまだか?と聞いてきた。あと20分ぐらいで山頂に着くことを伝え、急激な登りなので十分気をつけながら行くことも付け加えた。先頭のリーダーが私とのやりとりを中国語に翻訳してグループ内に知らせていた。
色づく岩尾根
黄色く色づいたブナ林の岩尾根を下っていくと、左側に緑色に輝く奥多摩湖が見えた。木のあいだに富士山が神々しく見えた。急激な下りのあとになだらかな尾根が続いていた。こういうのんびりできる落ち葉の上をゆっくり歩くのが私は好きだ。カエデ、クヌギ、カツラ、ブナそれぞれの木が黄色に色づいている。とても気持ちの良い尾根を快調に下山した。
指沢山展望台から奥多摩湖が見えた
落ち葉が積もった惣岳山山頂は平らで広かった。ベンチが4か所に置かれ、男性単独登山者が2名いた。写真を撮ったあと惣岳山山頂から大ブナ尾根を1時間下って指沢山に着いたが、この下りも急坂だった。転倒や滑落に注意しながら、足元に神経を集中させて降りていった。設置されていたテラス展望台から眼下に奥多摩湖が見えた。展望台の説明板には大菩薩嶺、鶏冠山、飛龍山、七ツ石山、水根山などの奥秩父から奥多摩の山々の写真の上に山名が書かれていた。標高を下げているので奥多摩の家々の一軒一軒が手に取るようにはっきり見えるようになった。
真っ盛りの秋
展望台横の林の中で青い作業服に青いヘルメットをかぶった2名が、何か相談しながら太い木にピンクのテープを巻きつけていた。何をやっているんだろうと思って声をかけてみると、展望台に携帯電話の電波が届きづらいので、電波がよく届くように太い木を何本か切るために印をつけている、というのだ。それを聞いて、私たちよりも長く生きている立派な木を、人間の都合によって切り倒すとはなんともやるせない気持ちになった。
滑落事故が多発する急坂尾根
指沢山から下山口の奥多摩湖までの1時間の下りも、やはり急坂で過激だった。登山は上りよりも下りの方に事故が多い。特に転倒事故や滑落事故が絶えないのだ。木の根につまずき転倒し、足首を骨折して行動不能になり救助要請をしたり、岩尾根で3m転落し、頭を岩角に打ち付け重傷あるいは死亡した、という事故はほんの些細な切っかけから発生することがある。登山道には落ち葉がうず高く積もり、木の根っこも頻繁に飛び出ている。急坂を下りながら、今回の山旅は逆コースを選んだほうが安全だったと思われた。理由は脚が疲れていないうちに奥多摩湖登山口からの急坂を登りはじめ、御前山に到着し脚が疲れてきたころに比較的になだらかな栃寄登山口に下りることになるからである。山旅を楽しむためには絶対に遭難事故を起こしてはならない。スリップに注意し慎重に下った。
水をたたえた奥多摩湖
奥多摩湖の小河内ダム堰堤へは下山予定時刻よりも50分早く降りた。バス時刻を確認すると40分ほどの待ち時間があった。観光客に混じって湖を見渡すベンチに座り、穏やかな陽を浴びながらスキットルに入れてきたウイスキーを舐めた。スコッチの甘い味が口内に拡がり、良い香りが鼻をくすぐった。西東京バスに乗って奥多摩駅に戻り、山旅の汗を流すために歩いて10分の奥多摩温泉もえぎの湯に向かった。
奥多摩温泉もえぎの湯
もえぎの湯は入湯料が850円だが、スマホでサービスクーポンを提示したら100円割り引いてくれた。もえぎの湯は日本列島の地層で最も古いとされている古成層から湧き出している温泉である、という説明があった。今日は女風呂と男風呂が逆になっていたので、初めて入る露天風呂だった。
蕎麦は大盛り、イワナも太っていて最高にうまかった
温泉にゆったりつかり温まった身体でレストランに入った。前回は健康診断前だったため酒は飲めなかったが、今回はビール、蕎麦、イワナの塩焼きを頼み、遅いお昼ご飯をとった。頼んだ料理が届く前にザック内を確認すると、日帰り登山ではあったが、ツェルト、レスキューシート、レインウェア、上下の薄手のダウン、ヘッドランプ、非常食、エイドキットなどは手つかずのままだった。届いた蕎麦は予想に反して大盛り、イワナも太っていた。最高にうまかった。今回の山旅は紅葉の山道を歩き、久しぶりに雪化粧した美しい富士山を見ることができた。下山後には温泉に入り、蕎麦とイワナを肴にうまい食事がとれた。無事に下山できたことで乾杯もできた最高の山旅だった。下山した奥多摩湖で飲んだウイスキーと、もえぎの湯で飲んだビールが酔いを深め、私は夢の中だった。次回はどこの山旅で夢の中に入れるのか楽しみである。