ロウバイが満開だった

 

ロウバイが満開だった

 

今回は内房の御殿山ハイキングに出かけた。御殿山のいわれは、鹿野山・九十九谷にも日本武尊を祀る白鳥神社があったが、今回の御殿山も日本武尊が東征したおりに拠点となる御殿を築いた山として「御殿山」の名前が残っている。日本武尊は『古事記』や『日本書紀』に登場する日本古代史上の伝説の人物で、実在した人ではなく想像上の人物といわれているが、全国各地に名前が残っている。8世紀前半に編纂された『古事記』や『日本書紀』は、当時の支配者に都合が良い視点で作られたものであり、辻褄が合わない点も多々あるが、何らかの史実は反映されているのだろう。

 

オレンジ色に輝く太陽が顔を出したのは6時50分だった。内房線の君津を過ぎた電車の窓に映るオレンジの光が日の出を知らせてくれた。車窓から見える空はウロコ雲に覆われていた。右側に東京湾越しの富士山が見えるのだが、今回は残念ながら雲の中だった。

 

内房線の岩井駅は無人だ

 

岩井駅で下車し、市営路線バス・トミー号に乗り国保富山病院前で下車した。先日登った房総のマッターホルンと呼ばれる伊予ヶ岳が間近に見えた。田畑には一面に霜が降りていた。昨日は3月を思わせる暖かな日であったが、今日は一転して寒さがぶり返していた。伊予ヶ岳を左に見ながら平久里川に沿って県道89号線を高照禅寺登山口に向かった。のんびりとした山里の田園風景が続くが、平久里川には北の国から渡ってきたコガモが羽を休めていた。

 

田んぼの向こうに伊予ヶ岳が聳えていた

 

今朝目覚めた時に吐き気をもよおした。体調があまり良くなかった。予兆は昨晩にあった。いつものように夕ご飯の準備をし、帰宅した妻とともに食べ出したが、お昼ご飯を食べて6時間経っているのにもかかわらず満腹感でいっぱいだった。それでも晩酌をしながら食事を終えたが、違和感は消えなかった。寝る前に念のために胃腸薬を飲んだが、やはり起きてみると吐き気をもよおし、尾籠な話ながら腹をくだしたのであった。

 

御殿山登山口に設置されている遊歩道案内図

 

ハイキングには予定通り出かけることにし、コースの変更を決めた。当初は御殿山・鷹取山・宝篋印塔山・大日山を縦走する予定でいたが、最高峰である御殿山山頂から360度の展望を楽しんだあと、縦走はやめて登った道を引き返すことにした。

 

田舎道を歩いていると、ツグミの鳴き声が聞こえて来た。同時にツィツィと小さな鳴き声とともにホオジロが飛び去り、50mほど先の枝先で留まった。ホオジロの姿を久しぶりに見ることができた。梅林の中にミツバチの巣箱が5個置かれていた。

 

御殿山登山口のハイカーへのお願い

 

バスを降りた国保富山病院前から35分ほど歩いて高照禅寺登山口に着いた。駐車場とトイレが設置されていた。登山口の橋のたもとに「田や畑には入らないでください」というハイカーへのお願いが書かれてあった。用もないのに田や畑に入るのは非常識極まりないことであり、私には田畑に入る気持ちが理解できないが、そのような行動をとるハイカーがいるのだろう。なげかわしいことである。私の前に2人、登山口の駐車場で準備中の方が2人いた。平久里川を渡り山の中に入って行った。

 

イノシシの捕獲罠と注意書き

 

登りだすと足下にはスイセンの清楚な白い花が開き、紅白の梅の花がほころび、黄色のロウバイが満開で甘い香りが漂っていた。薄黄色のロウバイの花を久しぶりに見た。品のある花だと思う。登山道の脇にイノシシ捕獲用の罠が設置してあった。入口は閉じていたが、檻の中には何もいなかった。

 

整備されていた登山道

 

登山口で準備していた2人連れに追い抜かれた。2人は凄いスピードだった。登山はレースではないのだから、そんなに早く登るものではない。四季の移ろいゆく季節を楽しみながら、周りの景色や足元の草花を眺め、一歩一歩登って行くものだ。登山道は徐々に傾斜を増していった。

 

里を見おろす大黒様からの眺望

 

  やがて「里を見おろす大黒様」に着いた。展望が素晴らしかった。この場所から南側が切り開かれ、正面に伊予ヶ岳が聳え、左側に富山が見えた。その後ろは重畳たる房総の山並みがうねっていた。大黒様の説明文によると、大黒様は江戸時代中期に造られた模様で、石材はこの辺りでは出土しないもので、最初は麓の村の中心に置かれていたが、村人たちが現在の場所に担ぎ上げて祀った、との由来も書かれていた。

 

宝暦3年建立の大日如来の石板碑

 

大黒様を過ぎてしばらく歩くと、右側に大日如来の石板碑が置かれていた。相当古いもののようだったが、宝暦3年という文字が微かに読めた。宝暦3年といえば1753年であり、大黒様が造られたとされる江戸時代中期と同じころである。今から約270年も前から風雪に耐えてこの地に置かれていたものである。尾根上の登山道はやがて稜線伝いに進み、東星田に降りる分岐点を確認すると、分岐先は地すべり発生中のため立ち入り禁止となっており、通行止めのロープが張られていた。

 

御殿山山頂への急登が始まる

 

途中の展望台に寄るとたくさんのツツジが周りを囲んでいた。今はまだ蕾もないが、ツツジが咲く5月頃は素晴らしい景色が広がっているだろう。今回は縦走をやめたが、ツツジが咲く新緑のころに再度訪れるのもいいと思った。さらに登っていくと、御殿山と鷹取山・宝篋印塔山・大日山への分岐に出た。分岐を直登して御殿山に向かった。補助ロープが設置され久しぶりの急登だった。

 

御殿山山頂に着いた

 

御殿山364m山頂に着いた。山頂には小さな石の祠が2つ置かれ、赤い花をつけたヤブツバキの木がたくさん植えられていた。下草が刈り払われ、とても明るかった。気温は7度で手が冷たく痛かった。大木が生い茂っていたが、一昨年の台風の被害も大きく、太い枝が何ヶ所も折れていた。

 

山頂にヤブツバキが咲いていた

 

山頂からの展望は、正面に双耳峰の富山が見え、その右側にお椀を伏せたような津辺野山、後ろには東京湾が広がり、富士山が見えるわけだが、残念ながら富士山は雲の中であった。津辺野山より右に目を移すと、三浦半島が見え伊予ヶ岳から鋸山、さらに嵯峨山へとつながっていた。

 

御殿山山頂からの眺め

 

一方、富山の左側は岩井海岸が見え、その左側に大台山、さらに大房岬へとつながっていた。山頂の反対側は太平洋である。曇り空ではあったが、打ち寄せる白波は太陽に照らされ、静かな海が輝いて見えた。私が山頂に到着した時に4人が休んでいたが、いずれの方も縦走はせずに登ってきた高照禅寺登山口に降りていった。山頂でおにぎりを一つ食べ下山することにし、私もゆっくりと腰を上げた。

 

イノシシに掘り返された登山道

 

私は山道で登山者とすれ違う時は、3m〜5mほど離れて挨拶をしてから、すれ違うようにしている。このような行動をとればソーシャルディスタンスは保たれると思われる。下山途中に出会った登山者は7名であった。いずれもタオルやマスクで口を覆いながらすれ違っていた。お互いにコロナ感染に十分注意しながらの登山である。それでいいのだ。山が好きな人は山に出かけ、十分注意しながら楽しむことが必要だと思う。

 

道ばたにスイセンが咲いていた

 

下山途中から太陽は出ているのだが、小雨がぽつぽつ落ちてきた。天候が不安定なのだ。明日明後日は再び雨が降るという天気予報が出されていた。高照禅寺登山口に下山したあと、バス停がある国保富山病院まで歩いた。菜の花やキンセンカが咲いていた。土手に咲くスイセンも目にとまった。国保病院に到着し今回のハイキングは終了した。8時半にスタートして4時間ほどがたっていた。

 

今回のハイキングルート

 

 今回のハイキングで1番良かったのは、麓で観た満開のロウバイの花であった。私がロウバイの花を見るのは2度目だった。前回は2011年に埼玉県秩父市長瀞町の寶登山に咲くロウバイを観に行ったときだった。それ以来10年ぶりのことだ。ロウバイはウメの花に似ているが種類は異なる。ウメはバラ科サクラ属だが、ロウバイはロウバイ科ロウバイ属であり、甘くフルーティーの香りが漂っていた。透き通るような黄色の花は美しく、清楚感がいっぱいだった。ロウバイは中国からもたらされた木であり、ウメ、ツバキ、スイセンとともに「雪中4花」と呼ばれている。その4花に今回のハイキングで全て出会ったことに満足だった。

 

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