原生林の巨杉群に会いに行く
金剛杉の前で
10月28日 晴れのちくもり
6時15分に宿泊した国民宿舎海府荘前の海岸にバードウォッチングに出た。海府荘の裏山は岩壁で、周りの木々が色づき始めており、あと1週間もすれば素晴らしい紅葉となるだろう。30分で7種類の野鳥に出会ったが、珍しい鳥はいなかった。早い時間だが路線バスが走っていた。トビが上空で気持ち良さそうに大きく丸い円を描き、カモメも風に乗ってグライダーのように舞っていた。
倒木を取り除く現地ガイド
今回の原生林のなかの巨杉群をまわるコースは、8月30日にNHK―BSプレミアムで放送された『にっぽん百名山・金北山〜佐渡島 巨樹と花々の山〜』のコースとは別の巨杉群だった。NHKで放送されたものは県有林内の「大佐渡石名天然杉」で、遊歩道も整備され、誰でも気楽に見ることができるものだった。しかし、私たちの参加した原生林エコツアーは、関集落の共有林内と新潟大学の演習林内にある巨杉群を回るもので、一般社団法人佐渡観光交流機構が企画しているものだった。エコツアーには@内海府コース、A外海府コース、B千手杉コースの3つがあり、私たちはAの外海府コースを歩いた。
登山道脇のツルリンドウの赤い実が目立った
エコツアーには現地ガイドが同伴することが必須条件となっており、参加者5人に現地ガイドが1人付くため、私たち11人の参加者に現地ガイドは3人だった。小笠原諸島が世界自然遺産に登録された以後は、現地ガイドと一緒でないと山のなかを自由に歩けなくなったのと同じだが、無秩序な入山者を防ぐと同時に、残された原生林を保全していくという意味では、現地ガイドの同伴はしかたがないのだろう。所要時間は7時間30分だった。
雪上伐採された「関の大杉」
宿泊した海府荘前から2台の車に分乗し、関集落から関川沿いの林道に入り、ゲートをくぐって車が入れるところまで行った。あとは徒歩となり、関集落の共有林と新潟大学の演習林内にある巨杉群を回った。現地ガイドから渡された地図はメモのようなもので、詳細な地図はなかった。登山ルートの表示も案内板もなく、現地ガイドがいなければ歩けないルートだった。登山道は倒木を鋸で切りながら進む場所もあった。最初に出会った巨杉は、「関の大杉」と呼ばれていた。昔、杉の伐採や搬出は冬の積雪のなかで行われた。関集落から登ってきて、雪から出ている上部を切断したために、現在では残された下部の幹から新しい幹が数本生えているような形になっていた。老木という感じを受けた。
フランギにあった3体の石仏
私たちが歩いた山道は、外海府側と内海府側とを結んだ古道を歩くときもあった。現在は佐渡ヶ島を一周する道路ができているが、外周道路が無かった頃は、舟で海岸沿いに行くか、徒歩で山越えをするか、のどちらかだった。海が荒れた場合は山越えの道だった。その頃のなごりの石仏が3体置かれていた。石仏は宇宙の根元とされる大日如来だという。3体はいずれも首が切断されており、明治維新後の神仏分離の際に切られたものと思われた。2体は苔が付き古いものと思われたが、小さな1体は苔も少なく、比較的新しいように感じた。石仏が置かれていた場所は、札ノ辻→札の木→フランギとなまった場所だった。
「金剛杉」
2007年に写真家の天野尚さんが『佐渡ー海底から原始の森へ』という写真集を発表した。この写真集が注目されて翌年の2008年に北海道で開かれた洞爺湖サミットの晩餐会会場で紹介されたのが「金剛杉」だった。当時、「金剛杉」の存在が殆ど知られておらず、新潟県に問い合わせが入っても対応できなかったという。今では「金剛杉」の根を保護するために木道と観賞用のテラスが設置されている。木を保護するために必要なのは根を踏まないことである。どの植物でも根から養分を吸い上げて、自らの成長を図っている。根を守ることが木を守ることに通じている。写真では「金剛杉」の大きさを伝えられないのが残念だが、自分の目で見ると巨大さが実感できる。
「金剛杉」の上部
屋久島の「縄文杉」も昔は手で触ることができたが、幹に近づくことは根を踏むことであり、それを続けたことによって樹勢が衰えてきたために、観賞用テラスを設置して縄文杉に近づけないようにした。今から21年前だったが、まだ屋久島が世界自然遺産に登録される前に、私は宮之浦岳に登ったあとの下山ルートで縄文杉を訪れたが、そのとき既に縄文杉には近づけないようにテラスが設置されていたのだった。「金剛杉」も雪上伐採されており、途中から幹が数本伸びているが、てっぺんは三角形になっているので、樹の勢いは良さそうだった。
「関越しの仁王杉」に巻き付いていたツルアジサイ
「鬼杉」の次に「関越しの仁王杉」を見た。これも巨杉だった。杉も巨大なのだが、驚いたのは杉の幹に絡みついている直径20cmほどのツルアジサイの蔓の太さだった。いやはやなんとも。すごい蔓があるものだと感じた。花はアジサイと同じ形のものが咲くという。巨杉には写真集を出した天野尚さんが名前をつけているが、新潟大学はいい感触を持っていないという。理由は巨杉に名前をつけると、特定の杉が有名となり、人気が集中するので、あえて名前はつけずに巨杉群として見てほしいとのことである。屋久島の巨杉にもそれぞれ名前が付いているが、やはり名無しの権兵衛よりも、名前が付いていたほうが理解しやすいと思う。
「連結杉」は隣の杉と結びついていた
「連結杉」でお昼ごはんだった。海府荘で作ってくれたのは巨大な三角おにぎりだった。私たちが巨杉を見て回ることに関連して、巨大なおにぎりを作ってくれたのではないと思うが、大きすぎて2個は食べられない人もいた。私はひとつもらって3個食べたので、お腹は十分に満腹となった。風を避けて暗い杉の林の中での食事で身体が冷えたが、添乗員の堤さんが作ってきてくれた葱入りスープで身体が温まり、ありがたかった。
マタタビの実
登山道の脇に細長いマタタビの実がなっていた。まだ青かったが手に採ってかじってみた。キウイフルーツのような甘い味が口の中に広がった。猫も食べるのだから毒ではないだろうと思い、更に一口かじって飲み込んでみた。その時は少しピリッとしたが、特段異常は感じられなかった。しばらくすると猛烈なイガイガ・ヒリヒリ感が喉の全体に広がってきた。内心は焦ったが、我慢する以外に方法はなかった。2時間ほど歩いた場所で再びマタタビの実が目についた。今度の実は熟して黄色が強かったので、再度食べてみた。甘かった。未熟の実と熟した実の違いを、まざまざと実体験したのだった。
一番背の高かった「大王杉」
原生林の巨杉群ツアーも後半に入っていった。「連結杉」から道を戻って「大王杉」に向かった。細い山道は急傾斜で歩きづらかった。出会った「大王杉」は雪上伐採されていないので形が良かった。上は何本かに幹が分かれて伸びていたが、立派な大木だった。今回のツアーで出会った巨杉のなかで、一番背の高い杉だと思った。「大王杉」の根を踏まないようにロープが張られ、近づけないようにされていた。このあと「三尊杉」や「蛸杉」を見たが、名の付いていない巨杉が次々に出てきたのだった。冬の厳しい風雪に耐えるため、幹は曲がり、枝は垂れ下がる杉が多かった。再び「関の大杉」に出会い、「関越しの仁王杉」まで戻ってきたときに、にわか雨が降り出した。急いでカッパを着込んで一目散に車が止めてある場所まで下山した。
黄色く色づくブナの大木
15時20分に車が止めてある場所まで降りた。車に乗り込んだドライバーが、キーを回してもエンジンが始動しなかった。バッテリーが上がっているとドライバーが叫んだ。アクシデントの発生だった。エコツアーに出発したときに、後部座席のドアが半ドアになっており、バッテリーが消耗してしまったのだった。ブースターケーブルで他の車のバッテリーと接続しても、エンジンは始動しなかった。残念だがしかたがない。ゲートまで1kmを歩いて、迎えの車を待ったのだった。にわか雨はやんでいた。アクシデントは思わぬところに潜んでいるものである。
名前の付いていない巨杉がいたるところに
原生林に生えている杉の年齢は、切り倒して年輪を確認するわけにいかないので大雑把に考えて、天下分け目の関ヶ原の戦いが1600年であり、その戦いに勝って政治の実権を握った徳川家康が江戸幕府を開き、翌年の1601年に佐渡ヶ島は天領となった。関集落の共有林のような入会権がある森を除いては、森から自由に木を伐ることが出来なくなったので、巨杉の年齢は500年以上となるのであろう。登山地図が無いなかで、現地ガイドが付いていなければ、歩くことが出来なかった原始の森の貴重な体験だった。