最後の山、雁ヶ腹摺山へ
大月市選定の『秀麗富岳12景』、コンプリート
『秀麗富岳12景』の最後の山、雁ヶ腹摺山に登った
10月16日 月曜日 晴れ
今回の山旅の目的は2週間前の雁ヶ腹摺山へのやり直し登山である。前回は日帰り登山計画であったが、行程を大幅に見直して1泊2日の登山に変更し、1日目は天目山温泉から歩き出し、湯の沢峠から黒岳を経由して大峠に降りてテント泊とする。2日目は雁ヶ腹摺山から姥子山を経て、金山峠から金山鉱泉に降りて大月駅に向かう縦走登山としたのである。雁ヶ腹摺山と姥子山を登ることにより、大月市選定の『秀麗富岳12景』の全ての山に登ることになる。
登山駅となる甲斐大和駅
天気予報では両日ともに晴れマークがついていた。今朝のニュースによると、東京都心の最低気温は12.5℃で、今シーズンで1番低かったと報じていた。甲州市(標高401m)の最低気温は11℃となっており、大峠(標高1563m)とは標高差が1162mあり、標高が100m上がるごとに気温は0.6℃下がるので、大峠の最低気温は3.4℃となる。私が幕張の自宅を6時過ぎに出た時にも吐く息が白く見えた。長袖シャツとTシャツ、その上にベストを着て、ウィンドブレーカーを重ねて駅まで歩いた。
乗客は私を含めて6人だった
甲斐大和駅から平日の上日川峠(大菩薩峠)行きのバスは4便ある。その3便目の9時50分発に乗った。乗客は私を含めて6人だったので、車内はガラガラ状態だった。私は前回と同様に天目山温泉で降りた。降りたのは私ひとりだった。10時にGPSをセットして湯の沢峠に向けて歩き出した。湯の沢峠まで歩いて2時間である。さらに黒岳を通って大峠まで2時間半かかるので、予定としては4時間30分となる。大峠の到着は14時30分を目安としていたが、あくまでも休憩なしで歩いた時間である。
ススキが覆いかぶさる登山道
11時15分に湯の沢峠登山口に着いた。ここから山道に入っていく。2週間前に歩いたためにイメージは残っていたので、道は荒れていたが比較的楽に歩けた。草のなかから薄い黄土色のジムグリが出てきたが、私に気がついて慌てたように草むらに姿を消した。途中で下山してきた老夫婦に出会った。湯の沢峠登山口に自家用車が1台止まっていたので、その持ち主だろうと想った。
湯ノ沢峠避難小屋に着いた
12時10分に湯の沢峠避難小屋についた。駐車場には3台の車が止まっていた。小屋の中に入って、2週間の間に小屋を利用した人がいるかどうかを雑記帳で確認してみると、10月11日に相模原市の方が1人、10月15日に東京都の方が1人利用した記録が残されていた。
湯の沢峠でお昼ごはんを食べた
湯の沢峠の日の当たる場所に座って、お昼ごはんとしておにぎり1つと大福餅1つを食べた。天空には雲がないが、山沿いには雲が湧き出しており、周りの木々は赤や黄色に色づき始めていた。湯の沢峠から黒岳に向かうと、いきなりの急登だった。落葉広葉樹の森のなかを一歩一歩登っていった。すぐに額から汗が滴り落ちてきた。標高を上げるのに従って周りの山々が姿を現してきた。
白谷ノ丸1920mに着いた
13時10分に白谷ノ丸1920mに着いた。この山頂にはカヤトが拡がり、岩がゴツゴツゴツ出ており、見晴らしは抜群だった。あいにくと富士山は6合目〜8合目あたりを雲が隠していた。八ヶ岳連峰がよく見え、甲斐駒ヶ岳も見えたが、仙丈岳は雲のなかだった。山頂部を雲のなかに隠した南アルプスの山々が左に延びていた。
白谷ノ丸から眺めた富士山
黒岳の山頂手前で3人の家族連れと思われる登山者とすれ違った。「富士山が雲で隠れちゃいましたね」と挨拶をすると、「今朝は素晴らしい富士山が見えましたよ」という答えが返ってきた。私は「今日はテント泊ですから、明日朝に期待します」と返すと、「どこにテントを張るのですか?」と訊かれたので、「大峠です」と答えた。「大峠ですか。もうすぐじゃないですか」と返されたので、お互い気をつけましょう、と言い交して別れた。
黒岳1987m山頂は眺めがなかった
13時40分に黒岳1987m山頂に着いた。湯の沢峠から登りだして1時間10分だった。山頂は周りを全て針葉樹に取り囲まれていたので眺めはなかった。山頂表示板の下に、大峠まで2100mという距離が書いてあった。これから大峠まで降りて、そこでテントを張って泊まることになる。
針葉樹の墓場のように見えた
大峠まで降りる途中で台風の風で倒されたのだろうか、軒並み大木が倒れていた。立っているのも枯れており、まるで針葉樹の墓場のようなところを登山道が通っていた。倒れた木が登山道を横切っているものは、歩きやすくするためにチェーンソーで切られていた。ずいぶん前の台風の影響だろうと想われた。落ち葉の積もる登山道は、落ち葉が道を隠してしまうので、道を探しながら歩くので歩きづらい。
大峠の休憩用東屋の脇にテントを張った
15時に宿泊予定地の大峠に着いた。大峠を宿泊地に選んだのは、第1に水場が近くにあること。第2に駐車場の横にトイレがあること、だった。大峠にはログハウスの休憩用東屋があり、雨が心配されるときは躊躇なく東屋に泊まるのだが、せっかく簡易テント(ツェルト)を持ってきたので、クマの問題はあるけれどもログハウスの横にテントを立てることにした。久しぶりにテントを立てたので10分ほどかかってしまった。
「熊出没注意」の看板について考えてみた
登山口で見かける「熊出没注意」の看板について考えてみた。日本全国でクマの目撃情報が多発している。クマは草食動物であり、今年の夏は暑すぎて山のなかのドングリやブナがほとんど実をつけず、クマの餌がないためにクマは里に下りてきていると想う。しかし、出会い頭のような突発的な出会いや子連れ以外は、クマは臆病なので人間に向かってこないと想う。私は山のなかを歩く時は、私の存在を知らせるためにクマ鈴を鳴らしながら、見晴らしの悪い場所に入っていく特はホイッスルを吹くなどの対策をしている。私は50年山旅を続けているが、今まで山のなかでクマに出会ったことは幸か不幸か1度もないのである。
ひとり宴会が始まった
水場は大峠から雁ヶ腹摺山のほうに2、3分ほど歩くと、名水100選の「御硯水」があった。テント内にマットを敷き、寝袋は夏用だが、ネックウォーマー、レッグウォーマー、靴下2足重ね、ヒートテック上下、ダウン上下、ダウンジャンパーと防寒対策はばっちりだった。宿泊の準備が整うと、テントの横でひとり宴会を始めた。私はテント山行の場合は、持ち物を軽量にするために調理器具を持たない。調理済みのものやレトルト食品が中心である。夕ごはんは、ワイン、おにぎり、レトルトカレー、柿ピー、サラミ、イワシのしょうが煮などだった。時たまカケスの鳴き声が耳に届いた。
夕映えの富士山は美しかった
日没は17時09分とのことなので、宴会を切り上げて富士山を見に行った。雪を被った富士山の姿がすっきり見えるようになっていた。雲の上に山頂部が出ているので素晴らしい眺めだ。やがて日の入りとともに山際は茜色に変わり、山頂部の右側から徐々に赤く染まってきた。やがて空の赤さが薄れるとともに富士山も薄闇のなかに姿を消していった。素晴らしい眺めはテント泊したことの御褒美のように感じた。
テント内部の寝袋
宴会を終え、夕映えの富士山も見たので、18時には寝袋に入った。大地に横たわって眠るのは久しぶりである。シカの甲高く切なく長く伸びる鳴き声が響き渡っていた。絶叫ともいえる鳥の叫び声も聴こえてきた。風によって木の葉が擦れる時の音は小雨が降っているように感じられた。ポッポッポッという何だか分からない音も聴こえた。上空を通過する航空機の音など様々な音が闇のなから耳に届いた。家で眠るのと違い、2時間おきに気がつくような、うつらうつら眠りが続くように感じられた。夜明け前になると予想通り気温が下がり、寒さが身に染みるようになったので、寝返りが頻繁になった。
10月16日の登山データ
10月17日 火曜日 晴れ
5時頃に雁ヶ腹摺山に登る男性が自家用車でやってきた。自家用車があれば大峠まで登ってくることができるのだ。私は山行には自家用車を利用しないため、昨日は天目山温泉から5時間の山道を歩いて大峠までやってきた。ま、それもいいだろう。今日の午前中は素晴らしい富士山を眺めながらのハイキングができるので嬉しい。
朝日が当たりだして赤く染まる富士山
山梨県の日の出時刻は5時53分ということなので、10分前に富士山が見える場所までテントから50mほど歩いた。雲ひとつない素晴らしい富士山の眺めが目の前にパノラマで広がっていた。山頂の左側の雪が朝日をあびて徐々に赤さを増して来た。アオバトがお〜ぅお〜ぅと鳴いていた。
名水100選の「御硯水」があった
テントをたたみ、朝ごはんを食べて7時に大峠を出発した。今日の行程は長い。雁ヶ腹摺山と姥子山に登り、長い尾根を歩いて金山峠から金山鉱泉に降り、1時間ほど歩いて遅能戸バス停の通過時刻に間に合えばバスに乗って大月駅まで行くが、バスに乗れない時は、さらに1時間ほど歩くので約8時間の行程となる。今日も富士山の素晴らしい景色が見えるので、快適な山旅となるだろう。
ブナ林のなかに苔むした「足洗石 」があった
雁ヶ腹摺山に向けて登りだすと、いきなり急登である。白い砂と岩の混じり合った登山道を登るが、朝一番の急登は足に堪える。鎖場を過ぎると登山道は比較的なだらかな登りとなった。木の橋を2つ渡る頃には風よけのウィンドブレーカーを脱いだので、汗はかいているもののずいぶん楽になった。歩き始めて30分ほど経つと、ブナ林のなかに「足洗石 」という平らな苔むした大きな岩があった。この上に登って足でも洗ったのだろうか。周りの林は少しずつ色づいていた。空に雲はなく6合目あたりまで雪をかぶった富士山が木の間越しに見えた。
雁ヶ腹山1874mの山頂に着いた
雁ヶ腹摺山1874mの山頂に着いたのは、大峠から登りだしてから1時間後だった。雲ひとつない富士山が、目の前にど〜んと登場していた。長く裾野を引いた素晴らしい富士山が見えた。雁ヶ腹摺山は『山梨百名山』に選定されている山であり、大月市選定の『秀麗富岳12景』の第1番とされ、500円紙幣の裏側に印刷されている富士山は、この雁ヶ腹摺山から撮ったものである。
雁ヶ腹摺山は500円札に描かれた富士山の撮影地
山頂の下のカヤトの原っぱでカメラマンが三脚を立てて富士山を撮影していた。この方は5時すぎに大峠の駐車場から登ってきた方だろう。挨拶をしたが撮影に夢中になっていて、しばらく経ってから返事がきた。返事が遅れるのは無理もないことである。気温が下がれば空気が澄み、撮影には絶好の条件となる。カメラマンは夜明けの富士山を撮影しに来たのであろう。
イノシシがドングリの実を探した真新しい堀り跡
雁ヶ腹摺山から姥子山に向かうと、急激な下りの連続だった。途中でイノシシがドングリの実を探したのであろう真新しい堀り跡が何箇所も見られた。このコースはあまり人が入っていないので、登山道が分かりづらい。白や赤のテープを探しながら下って行った。途中で奈良子林道を横切ったので写真を撮りメモをしている時に、30代とおもわれる女性登山者が降りてきた。
姥子山西峰の山頂表示はマジックで書かれていた
姥子山は岩の双耳峰である。姥子山1503m西峰に9時10分に着いた。山頂表示が小さな岩にマジックで書かれたものだった。こういう表示板も珍しい。東峰に向かうと秋の花を代表する薄紫のリンドウが咲いていた。岩を攀じ登って東峰1487mに着くと、山頂名表示板が何者かによってドライバーで外されて持ち去られていた。県や自治体が立てた公式の表示板を持ち去るなどという不埒な人間がいることはとても残念である。初めての体験だった。
姥子山東峰山頂表示板がないことを大月市役所観光課に連絡した
山頂からの景色は素晴らしいものだ、山頂は岩場なので足元から切れ落ち絶壁である。富士山が正面に見えた。雲がずいぶん広がりだし富士山の姿を隠しつつあった。あと1時間もすれば全て覆い尽くされるだろう。先行した女性が山頂にいたのでスマホのシャッターを押してもらった。女性は「これからが山の良いシーズンですね。先月は滝子山に登りました。あれが滝子山ですか?」と質問されたので、「あの山頂にアンテナの立っているのは三つ峠山です。」と答え、訊かれるままに周りに見える山々について話した。
姥子山東峰から眺めた富士山
携帯電話のかかる地点まで戻ったところで、大月市役所の観光課に連絡し、姥子山東峰山頂表示板が持ち去られたことを伝えて対応をお願いした。担当者は「姥子山は奥まった場所にあり、そう簡単に登れない厳しい山で、おまけに林道が封鎖されているためにアクセスが難しい。発注を含めて課内で検討いたします。連絡ありがとうございました。」とのことだった。私は「表示板がなくなっていることを、まず現地で確認してください
」と重ねて依頼した。
ヒノキにはシカの食害防止のネットが巻かれていた
姥子山から木漏れ日のなかを金山峠に向かって降りていった。途中で道を見失なったが、GPSを確認しながら登山道に戻った。こういう時にスマホの登山地図は便利だ。急峻なヒノキの植林された林のなかを下っていく。実に急だ。登山道の脇に植えてあるヒノキには鹿の食害を防ぐためにネットが巻かれている。再び道を見失しなったが、下に林道のガードレールが見えたので、木々が伐採された崖を途中で転がりながらも強引に降りた。20kmの標識があった林道は、メンテナンスがされずに放置され、雨によってえぐられ使いものにならないまでに荒れていた。林業の廃れた姿があった。やれやれ。
金山峠のコース表示板
姥子山から降りだしてから2時間後に金山峠に着いた。金山峠に案内板があり、直接金山民宿に降りる急な沢沿いのルートは、数回の渡渉があり、道が荒れていて増水時は危険、と書かれていた。私は当初の予定通り、少し距離は長くなるが尾根伝いのルートを歩くことにした。しかしこのルートは金山鉱泉までは急坂に次ぐ急坂で、しかも植林されたなかのルートで周りの景色は一切見えず、このルートを登りに使えと言ったならば躊躇せざるを得ない。
東京電力が送電線作業をしていた
金山鉱泉に12時45分に降りた。金山鉱泉といっても建物はなく、いつの昔か知らないが、鉱泉宿や民宿があったのだろう。今は廃れて何もなかった。降りた近くで東京電力が、2台のバケット車を使って連携プレーで送電線の作業をしていた。
下山口の遅能戸バス停に着いた
下山口の遅能戸バス停に13時30分に着いた。大月駅行きのバスが14時に通過するので、間に合ってホッとした。14時の次は15時43分となっており、バスを利用しないと大月駅まで1時間歩くことになる。30分のバスの待ち時間があるので、着替えを済ませたあと、無事に縦走を終えたお祝いと、お昼ごはんを兼ねてワインでいっぱいとなった。つまみは草餅、ソーセージ、柿ピーだった。
雁ヶ腹摺山で大月市選定の『秀麗富岳12景』をコンプリート
今回の雁ヶ腹摺山と姥子山登山は、3年前から登りだした大月市選定の『秀麗富岳12景』の最後の山だった。その2つの山を無事に登り終えて全ての山を登ったことになった。大月市出身の山岳カメラマンの白旗史朗さんが、大月市に依頼されて選んだ山々の山頂から望めた富士山は素晴らしいものだった。今回だけはテント山行となったが、夕映えの富士山や朝日の当たる富士山など、日帰り登山では見ることができない富士山の顔を見ることができ、実に貴重な山旅となった。大月駅で妻と息子に山梨銘菓の信玄餅を買って帰途についた。
10月17日の登山データ