みんな頑張った富士登山

 

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富士山頂での集合写真

 

 7月19日、20日の両日で1泊2日の富士登山に出かけた。私にとっては7回目の富士登山であった。今回の目的は11月4日から出かけるネパール登山準備のためのもので、最初はネパールに一緒に出かける4人の参加を考えていたが、周りに話しているうちに一緒に登りたいという人が増えて、結局、小学生4名を含む13人の登山隊となった。そのうち、9人が富士登山は初めてという人たちの集まりだった。登山隊長は私が務め、往復の登山バスの予約、山小屋の予約、各自の登山装備の確認、登山地図の手配などの雑用も処理して当日を迎えた。

 

 新宿高速バスターミナルから定時の8時40分に富士山5合目行きの登山バスは発車したが、19日は夏休みが始まって最初の3連休とあって行楽地へ向かう車で高速道路は大渋滞し、私たちが富士山吉田口5合目に到着したのは予定よりも2時間遅れの13時だった。トイレと昼食を済ませ明るいうちには本8合目の元祖室という山小屋へ到着すればいいと思いながらの出発であった。今回の登山隊はいつもの夏山登山隊とは異なり、高い山などには登ったことがないという初心者が対象なので25分登ったら5分休むという登山パターンを守りながら標高を上げて行った。

 

 6合目の富士山安全指導センターで昨年から徴収し始めた富士山保全協力金として、大人1000円、子ども100円を募金し缶バッチをもらった。缶バッチのデザインは葛飾北斎の「富岳三十六景:甲州三坂水面」だった。5合目から6合目までは比較的になだらかな登山道だが、この6合目を越えると九十九折りの登山道となり傾斜が増すと同時に、登山路は登りと下りの一方通行の登山道となる。6合目と7合目の中間で虹が見えた。通常の虹は見る人の視線よりも上部に円弧を描くように見上げるものだが、その時に見えていた虹は眼下に見え、両端が確認できる珍しいものだった。雨が降ったと思ったら太陽が顔を出すような不安定な天候のため、虹も消えたり出現したりの繰り返しだった。

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眼下に両端まで見える虹が見えた

 

 7合目まで登ってきた段階で、「もう歩けない」という初心者の登山者。歩けないと言われても、その場所に置いて行くわけにもいかず、私がその人のザックを担いで歩を進める。足がつって歩けないという登山者にも殿を任せたものにザックを背負ってもらう。このようにして日没前の19時に予約してあった山小屋・元祖室に到着した。5合目から5時間半の登りだった。元祖室は5年前のキリマンジャロ登山準備でお世話になった山小屋だが、今回は寝具が布団から寝袋に変わっていた。登山者にとってはありがたい対応だった。夕食時に缶ビールを飲み、食後にウィスキーの水割りを車座になって飲みながら午後からの登山を振り返り、翌日の登山に向けて話し合うのであった。午後9時には消灯とのことなのでヘッドランプを枕元に置き早々と寝袋に潜り込んだのであった。

 

 翌日は夜中の1時半頃に山頂で御来光を拝む登山者のために目覚まし代わりの起床の呼びかけが山小屋従業員からかかる。私たちは小学生を含む登山隊なので4時半の御来光を山小屋で迎え、明るくなってから山頂を目指す安全登山の行動だった。4時頃に目覚めて前日の夕ご飯時に渡されていた朝食用弁当を食べ、登山準備を整えて御来光を拝むために山小屋を出た。気温は低く風が強い。東側の雲が厚くすっきりした御来光は拝めそうもない。予想したとおりだったが雲間からの御来光の光は弱弱しかった。しかたないことだが台風11号が日本海に去ったばかりで、まだ天候が安定していない状態だったのだ。

 

 前日、足にトラブルが起きた3人は無理せず、元祖室横からブルドーザー道を歩くと下山道に合流するトラバース道があるので5合目吉田口に下山する方法を選んだ。残った10人は山頂を目指して前日同様に30分をひと区切りに一歩一歩登って行った。目指す富士山頂上浅間大社奥宮の石柱の脇に立ったのは5時に元祖室を出発してから2時間半後の7時半だった。登頂者10名の集合写真を撮った。苦しいながらも頑張った小学生に拍手を贈りたい。今回の富士登山は小学生4人の心の中に夏休みの思い出のひとこまとして残るに違いないと思った。

 

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