40年ぶりの富士山頂

 

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御来光

 

私が富士登山に出かけるのは20代で3回登っているので今回で4回目です。約40年ぶりの登山となります。一昨日(7月10日)、昨日(7月11日)の一泊二日で、9月のキリマンジャロ登山に向けての高地トレーニングの1回目として富士登山に行きました。キリマンジャロに行くのは私と小中学校の同級生である武者夫婦の3人ですが、今回の富士山登山は私の職場の同僚の山本と私の甥の拓也を合わせて5人でした。

 週間天気予報は登山日の土曜日曜は曇り一時雨でした。梅雨がまだ明けていないこともあり、雨にやられるのを覚悟して出かけていきましたが、その心配とは裏腹に天候は奇跡的に晴れ上がり青空の下での登山は絶好調でした。が、私の体調は前日の拓也との深酒で絶不調。富士吉田登山口5合目の食堂で500mlのペットボトルで作ったポカリスエットは汗が全く出ないため喉も乾かず殆ど飲まない。二日酔いと軽い高山病の現われか身体が重く大変でしたが、日頃の山行きの成果で身体のほうが山に反応してくれ、3250mに位置する8合目の宿泊山小屋の元祖室まで持っていってくれました。

038-1 元祖室の夕食はカレーでした。缶ビールを一缶飲んだだけで早々と夕食を済ませるとそのまま布団にもぐりこみました。山小屋は満員で寝場所は肩幅50cmの混みようなので隣の登山者と接触し中々寝付けませんでした。おまけに夜間は一晩中風が吼えていました。物凄い風音が止むことなく吹き荒れ、3時に起床し朝食の弁当を食べて4時の出発でしたが、まだ風は止んでいませんでした。ヘッドランプの光の中に細かい砂が飛び去っていくのが分かります。凄い風が吹いていました。その中を山頂に向け出発し9合目前で御来光を迎えました。

 私たちが宿泊した元祖室から山頂までの間には山小屋が3軒ありましたが、夜中の1時頃に山頂を目指して出発した登山客は既に通過したあとで、私たちが通過するころは空いておりゆっくり御来光を眺めることが出来ました。富士吉田コースと須走コースはどこの地点からでも御来光を臨めます。

 夜中に出発する登山者の騒ぎで起こされた1時頃に外に出たら、満開の星空が天を覆い隠していましたので御来光を確信していました。しかし、急いで山頂まで上がらなくても御来光は臨めるので、今回のように身体をゆっくり休めてからの出発は成功しました。御来光は何度迎えても心がシャキっと洗われ清清しい気持ちになります。風が強かったので体感温度はマイナスでしたが気持ちのいいものでした。

 富士山頂を目前にして渋滞が起きていました。1時間ほどは牛のような歩みでした。歩くよりも止まっていた時間のほうが長かったでしょう。そのような待機の時間を過ごして到着した山頂には多くの老若男女・善男善女が犇いていました。山頂山小屋は活気ある音楽を流し、小屋の若者の呼び込みの声も明るく響いていました。小屋の後ろ側に回って大きな口をあける爆裂火口を覗き込みました。赤茶色や赤黒い火口壁から釜底には多量の残雪がありました。今年の富士山は6月に多量の降雪があったため下山道も通行禁止でしたが、私たちが登った日に通行禁止が解除されたのでした。ですから爆裂火口の中も大量の雪が残っていました。

102-1 山頂は夜中に吹き荒れた風も弱まってはいましたが、それでも身体が吹き飛ばされるような強風が吹いていました。油断することは出来ませんでした。その中を登頂記念証に登頂日スタンプを押してもらうため、時計回りでお鉢回りをして富士浅間神社奥社の隣に建つ山頂郵便局に行きました。日曜日でもキチンと営業をしていました。仕事熱心で感心感心。登頂記念証は500円でした。5人分を買い込み、全てに「H22.07.11」の山頂郵便局の日付印を押してもらいました。

 浅間神社奥社脇の雪解け水が溜まった池には氷が張っていました。その場所から3776mの剣ヶ峰が大きく聳えているのが見えました。歩いていけば10分くらいのところですが今回の頂上登山の目的は既に達していましたし、下山時間のことも考えて引き返すことにしました。富士登山は7月1日が山開きでしたが、これから梅雨明けとともに最盛期を迎えます。私は、今後、キリマンジャロ登山の事前準備として7月下旬と8月中旬に、あと2回登頂する予定です。

 

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