遥かなトムラウシ

 

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御鉢平から遥かトムラウシ山へ

 

 深田久弥の『日本百名山』という本がこの世の中に存在しなかったならば、私はトムラウシという山の名前も知ることはなかっただろうし、ましてや避難小屋3泊4日という長い縦走を計画することもなかっただろう。今回、層雲峡温泉を始点としトムラウシ温泉を終点とする避難小屋3泊4日表大雪山縦走計画を実行したわけだが天候にも恵まれ素晴らしい山旅だった。思いつくままに、その素晴らしかった山旅を振り返ってみたい。

 

 1、アクシデント発生

 思いもよらぬアクシデントに見舞われたのは出発の羽田空港だった。JAL1103便:7時55分発の搭乗手続きを終え出発ロビーで待機していると、私の名前が呼ばれ搭乗ゲートまで来て欲しい旨のアナウンスがあった。何事かと思って搭乗ゲートまで出向くと、手荷物で預けた登山ザックの中にキャンプ用高圧ガスボンベが認められ、飛行機には危険物として乗せることができないので一時預かりさせて欲しいということだった。確かにザックの中にはキャンプ用の携帯ガスボンベが入っており、ザックからボンベを取り出しJAL係員に手渡した。このガスボンベの没収によって次の新たな問題が発生してしまった。縦走中の飲料水の問題である。

 本州、四国、九州の地域は、どの沢の水でも飲料水として直接飲むことができるが、北海道の水はエキノコックスという野ねずみが持っている風土病を防ぐため、必ず煮沸して飲料水とすることが習慣化している。羽田空港でのガスボンベの没収はこの煮沸を不可能としたのである。この危機を乗り切る対応策として2リットルのペットボトル3本を購入しザックに詰めることにした。3泊4日の縦走日程で1日に2リットルのペットボトル1本(kg)ずつ減ってはいくものの、初日にして新たに6kgの重量が増えてのスタートとなったのである。

 エキノコックス症というのはエゾヤチネズミなどの野ねずみに多包条中の幼虫が寄生し、それを食べたキタキツネに成虫として寄生する。寄生されたキタキツネの糞などに多包条中の卵が排出され、沢の水などに混じり込み、それを飲んだ人間に寄生する。卵は熱に弱いので必ず煮沸してから飲むというのがエキノコックス症に罹患しない予防策なのである。エキノコックス症に罹ると肝臓、肺、脳などが侵されていく。

 

 2、黒岳へ登頂し黒岳石室へ(1日目)

 層雲峡ロープウェイとリフトを乗り継ぎ黒岳7合目まで運んでもらう。私にとって層雲峡ロープウェイとリフトは毎年年末に初スキーと湯治に層雲峡を訪れているので馴染みのものである。7合目の登山事務所の登山者カードに必要事項を記入し入山手続きを済ませる。私の隣では韓国人ペアが登山カードに記入していた。

 距離は短いとはいえ、この黒岳山頂までのコースは急登である。残雪が残る登山道を8合目、9合目と区切りのいい場所で休憩し、足元に咲く高山植物の花々をカメラに収めながら徐々に高度を上げていく。その花の中に大雪山の特産種であるダイセツトリカブトの小ぶりな紫色の花があった。私が7合目を登り始めたのは14時ころだが山頂までの1時間20分の間で下山者にもずいぶん出会った。結構、軽装の方がおり、スカートの裾をまくりながら降りてきた女性の姿には驚いた。

 

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視界が閉ざされた黒岳山頂

 

 黒岳山頂は石に囲まれた小さな祠と「黒岳頂上1984」と書かれた標柱以外はなにもない広い山頂だった。私より年配と思われる男性登山者が一人標柱の前に立っており、反対側から登ってくる仲間を待っているようだった。頂上からの景色は濃いガスに包まれ視界は閉ざされていた。年配の登山者は私にシャッターを押して欲しいと頼んできたので標柱のところで2枚写し、私も同様に依頼した。

 私は全く周りが見えない状況であったが石室側から登ってきた登山者の方向に足元を確認しながら降りていった。晴れていたならば山頂から10分ほどの石室は目視確認できるはずだが仕方のないことだ。

 私は今回の山旅にシュラフはもちろんだがテントを持参した。避難小屋泊まりを前提としているが、小屋の混雑状況によってはテント泊を考慮してのものだった。ロープウェイに乗車する直前に携帯電話で確認した天気予報では夜間に雨が降ると出ていたのでテント泊を中止し小屋泊まりとした。小屋は空いており余裕の宿泊ができ、17時ころから予報通りに雨が振り出し夜中にも雨は降り続いた。

 

 3、縦走を開始し、御鉢平廻り・北鎮岳・白雲岳に登り白雲岳避難小屋へ(2日目)

 石室を出発し縦走を開始すると右にオニギリ型の凌雲岳が迫り、御鉢平展望台までの登山道は雲ノ平と呼ばれている高原台地で高山植物の花々が、これでもか、というように群落を造り、まさに天上の花園である。一度にこんなに多くの高山植物の花を見た記憶は過去になかった。雲ひとつない青空と朝日に輝く花々は美しいの一言に尽きる。高山植物の女王と称されるコマクサ、ピンクのスズラン型の花が可愛いエゾツガザクラ、純白のチングルマ、背丈は小さいが可憐なキバナシャクナゲ、これらの花々が群れをなして足元に咲いているのだ。周りの峰々は白く輝く残雪が雪渓として残り、ハイマツの緑とのコントラストが実に爽やかな風景を出している。この景色は7月中旬にのみ見られる風景でもある。

私が今回縦走するコースは表大雪山で最も人気のあるコースだが、旅行会社が企画する「百名山縦走登山ツアー」は、百名山の一つである旭岳側から登り最短距離でトムラウシ山まで抜けていくのが一般的であり、コース取りの日程に全く余裕がなく4年前の2009年7月のトムラウシ山8人遭難死などという無謀登山がまかり通っているのが実情なのだ。

私は百名山登山とは距離を置いているので自分で計画を立て、登りたい山を選んで登っている。今回は御鉢平廻りの途中で北海道第2の高峰である北鎮岳に登った。御鉢平は有毒な亜硫酸ガスが噴出しており立入禁止となっている。風向きによって硫黄の独特な匂いが鼻につき、御鉢の中を覗き込むと草木も生えない灰色と黄色の殺伐とした風景となっている。北鎮岳山頂からはすぐ先に旭岳が望まれ、携帯電話のアンテナ表示が3本たったので家族と友達に旭岳の写メールを送信した。

 

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北海道第2の高峰:北鎮岳頂上

 

なだらかな荒井岳・松田岳・北海岳を通り白雲岳へと向かう途中で釧路から来たというカメラを肩から吊るして花や風景を写している青年と言葉を交わした。今年2度目の大雪山登山だという。前回は雪の多かった旭岳に登り、今回は黒岳からの御鉢平廻りをしているという爽やかな青年だった。

登山道の左には周りのたおやかな山容とは異なり尖頭の烏帽子岳の赤茶けた岩肌が目を引く。『日本百名山』の著者である深田久弥が大雪山に登ったときは烏帽子岳にも登ったように記録されているが現在の登山地図に登山道は示されていない。

この辺りの登山道は北海平というところを歩いているため足元に花園が拡がり、ウラシマツツジ、オヤマノエンドウ、キバナシャクナゲ、コマクサ、キバナシオガマ、ヨツバシオガマ、イワブクロ、イワウメ、イワヒゲなどが咲き乱れている。私は全国の山を歩いているが、キバナシャクナゲ、キバナシオガマ、イワブクロという花は北海道に来て初めて出会う花だった。

岩が折り重なった白雲岳北側の長い雪渓を横切り白雲岳分岐に出たので縦走路から外れて白雲岳頂上に向かった。白雲岳は今までのなだらかな山々とは異なり岩が積み重なった猛々しい山容である。白雲平のむこうに岩山が聳え立ち、足元にはエゾコザクラのピンクの花が密集して咲いていた。頂上直下の大岩が累々と積み重なる場所ではナキウサギが時たま確認できるとのことだが私は出会うことはできなかった。つい1週間前に岩場で足を滑らせて落下した登山者が亡くなったという。私以外は誰ひとりいない静かな山頂は360度の大展望であり周りの風景を十分満喫することできる。ツアー登山とは全く違う山旅の姿である。

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シャクナゲの咲く北海平と白雲岳

 

雪渓の脇に2階建ての赤茶色をした白雲岳避難小屋が見えてきた。本州で見る花よりもひとまわり大きく鮮やかな黄色の花をつけたエゾリュウキンカが雪渓からの流れ出しに沿って咲いていた。白雲岳避難小屋への到着は私が一番目だった。早朝5時に黒岳石室を出発し7時間の行程だった。小屋番の青年は赤銅色に日焼けした顔で純朴な人柄だった。青年に小屋の開設期間を尋ねると今年は6月15日から920日までの約100日間で2人の小屋番が交代で番をしているとのことで、話しているうちに交代の小屋番がやってきた。こちらも20代の青年でかなりのハンサムボーイだった。私と話をしていた青年は明日山を降りるという。小屋の入口付近にエゾシマリスが住み着いており、あんなに人間になついて警戒心をなくしていると何時かキツネやオコジョに殺られてしまうだろうと覚めた目で話してくれた。また、昨日は20人のパーティが3組入ったので70人近くの登山者で小屋は溢れかえっていたといい、1階よりも2階の方が暖かいからと2階を奨めてくれた。助言通り2階に上がり、1番から3番までの3人分の場所を確保し一晩お世話になることにしたのだが、結局、その晩の宿泊者は2階で15人、1階で2人だったので前夜の石室に引き続き余裕の宿泊だった。

宿泊者の中で東京三鷹からやってきたという30代の女性単独登山者の話している言葉が聞こえてきたが、彼女は毎週山に入っているという。話の内容は実にパワフルであり言葉に切れがあり頭の回転が早い。来週は北アルプスの白馬岳に登るという。独身のようだがよく資金が続くものだと感心する。彼女は山が全てであり山に出かけるために仕事をしている。一番好きな山を職業としたら、山が趣味ではなくなるから息抜きができなくなるので山のガイドなどの職業にはつかない、と言う。一理あると思う。

 

4、神々の遊ぶ高根ヶ原を通りヒサゴ沼避難小屋へ(3日目)

4時半に快晴の空のもと遥か彼方に聳えているトムラウシ山に向けて縦走を開始した。入山前の週間天気予報では曇り空が多く雨模様も出ていたが連日の快晴のため足取りも軽快である。高根ヶ原という標高1800m前後の広大な溶岩台地に10kmの長さで1本の縦走路が伸びている。遥か彼方まで見通しが効く。その縦走路を歩いている登山者は前も後ろも確認できない。雄大な景色の中を私だけが唯ひとり歩いている。周りに木々がないためヒグマが出てくる気配もない。足元に咲くコマクサやイワブクロの群生を見ながら、残雪の峰々を遠望し台地を歩いていく。明治の歌人大町桂月は「富士山に登って山岳の高さを語れ、大雪山に登って山岳の大きさを語れ」と述べたというが実際に歩いてみると大雪山の大きさを実感する。実に雄大なのだ。途中、大雪高原温泉に降る三笠新道というのが縦走路から枝分かれしているが「ヒグマ出没多数につき通行止め」の看板が表示されていた。私は暫く崖下を覗き込み黒く動くものを探したが雪渓が多量に残っており、温泉の湯気が立ち上っているあたりも注意深く見てみたがヒグマは確認できなかった。

 

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西側が切れ落ちた忠別岳を映す忠別沼の鏡のような水面

 

高根ヶ原を過ぎ雪渓を下ると忠別沼の鏡のように静かな水面に忠別岳が映し出されていた。綺麗だなぁと心から思う。池の周りには薄紫色のトカチフウロや黄色のチシマノキンバイソウの小さな花が咲いていた。西側がスッパリ切れ落ちている忠別岳へのハイマツ帯のなかの上りでクロユリの花に出会う。登山道の脇に咲く花は2本とも小さな花だった。

忠別岳の山頂に到着すると、それまで忠別岳の陰に隠れて見えなかったトムラウシ山が眼前に大きく登場してきた。雲が湧き出しトムラウシ山頂を覆い始めたのでカメラのセルフタイマーをセットし忠別岳山頂の標柱の前で写す。あたり一面はチングルマの群落だ。まさに花畑の中にいるようだ。

忠別岳山頂で休憩していると男性登山者が登ってきてシャッターを切って欲しいと頼まれ、山頂を雲で覆われてしまったトムラウシ山を入れてシャッターを押した。忠別岳を降りだすと雪渓の脇に立つ忠別岳避難小屋が左手に見えてきた。天候不良時などには避難しようと考えた避難小屋であったが、今回は快晴続きなのでその心配も杞憂に終わった。五色岳への登りはハイマツの林の中を進んでいくのだが全く周りが見えない長い登りだった。

五色岳山頂からはトムラウシ山が手の届きそうな近さで聳え立っていた。堂々とした岩山だ。明日はあの頂きに立つのだ、という実感が徐々に湧き上がってきた。五色岳山頂で暫く休憩したあとハイマツとナナカマドのトンネルの中を抜けて化雲岳に向かう。足元には純白のイソツツジの小さな花が鞠のように密集して咲いていた。イソツツジの花を初めて見たのは岩手山から下山する途中だったが、その小さい花が密集して咲く姿に感動したことが思い出された。

化雲平の湿地帯には木道が整備されていたのだが、その木道は残雪の下へと隠れてしまっていた。辺りにはホソバウルップソウの垂直に立ち上がった薄紫の花穂が目を引く。「神遊びの庭」と名付けられている化雲平の中の木道に沿って3泊目のヒサゴ沼避難小屋に下っていく周りにもピンクのエゾコザクラ、純白のハクサンイチゲ、チングルマが群落となって辺り一面を覆っている。

この木道も途中から雪渓の下へと姿を消した。雪渓の上を適当に歩いて下まで降り、次の雪渓で沼の辺まで降りるのだが、こちらのルートが分からなかった。2度ルート変更してようやく沼のほとりの登山道に出たのだが、明日登っていく登山道も完全に雪渓に覆われており、雪渓下部は沼に落ち込んであり亀裂が走っている。亀裂の上部をトラバースし第1の雪渓を渡り、その次の第2の雪渓はどのようになっているのか分からない。本日中に縦走路に交差するまでのルートを確認しておかなければならない。

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第2の雪渓上からトムラウシ山頂を右手に仰ぎヒサゴ沼を見下ろす

 

5、ヒサゴ沼避難小屋で出会った72歳のタフな男性

12時にヒサゴ沼避難小屋に到着すると、すでに男性登山者が一人ベンチに腰掛けていた。沼畔にはオレンジ色の大きなテントが一つ張られており、北海道大学の学生が何かの研究のために張った常設テントとのことだった。荷物を小屋にいれ宿泊場所を確保したあと男性登山者と山を中心とした四方山話を始めた。

72歳の男性は埼玉の柏市からマイカーで青森の下北半島の突端にある大間まで行きフェリーで函館にわたり、その後北海道の山々を登り続けているという。北海道にやってくるのは今年で3年目となり北海道での滞在期間は長くて3ヶ月、短くて1ヶ月だという。今年で北海道の山々はほぼ登り尽くすので最後とし来年からは別の地域の山に登りに行くという。山に登らずに車で移動しているときは「道の駅」の駐車場に車を止めて眠り、山に入るときは下で食料を調達し、テント・シュラフ・炊事道具一式をザックに詰めて3泊ほどの予定でそれぞれの山域を登っているという。従って北海道の各山の登山ルートや避難小屋の情報にとても詳しい。当然年金生活者なのだが山に登る脚力をつけるため自転車を趣味とし、自宅の柏市から東京神田の山専門店に行く時も片道60km往復120kmの距離を自転車で出かけるという。山に登らず自宅にいるときは50坪の家庭菜園を趣味とし、夏場で家庭菜園を休んでいる時に山に登っているという。

私は羽田空港でガスボンベを没収されたことを途中で話すと、お茶でも飲みましょうと気楽にガスバーナーでお湯を沸かし一緒に飲んだ。彼はコーヒーを飲み、私は木の実入りパウダーを飲んだ。今までお湯が沸かせず入山3日目にして久しぶりに温かいものを腹の中に入れたとき、温かいものが体の中に入ることの快さを感じたと同時にエネルギーが身体に満ちてくるのを感じた。

 

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北海道大学の研究用テントが常設されていたヒサゴ沼畔

 

6、目的のトムラウシ山へ登頂しトムラウシ温泉へ下山(4日目)

入山して4日目も雲ひとつない快晴の朝を迎えた。沼の水面は鏡の面のように穏やかに周りの山々や雪渓を映していた。

4時45分に避難小屋を4人で出発する。私が前日に縦走路までの雪渓上のルートを確認済みだったため4人のリーダーとしての出発だった。臨時パーティーのメンバーは、トムラウシ温泉から登ってくる仲間を迎えに行くという九州からの年配登山者、東京から来た40代の女性単独登山者、青森からバイクで来た年配の男性単独登山者と私である。

昨日は14時ころにルートを確認したわけだが、好天のため雪がザクザクに緩みストックは必要なかったが、夜間の冷えと早朝のため雪渓は凍っておりストックが必要だった。私は登山道の保護のためストックを使用しない方針であり今回も持参していなかった。そこで避難小屋の隅に立てかけてあった立ち入り禁止などの場所にトラロープを張るための先端の尖った鉄棒を借用することにした。

案の定、第1の雪渓は凍ってツルツル状態だった。足を滑らすと池の中の零度の水の中に滑落する。慎重な足運びが要求された。私はステップを切らなくても歩くことが出来たが、女性はスリップが怖くて仕方がないと言い遅れだした。私は後ろに続く登山者のために登山靴で雪の斜面にステップを切り出した。ステップが有るのと無いのとでは雲泥の違いで女性登山者も安心して歩けるようになった。ステップを切る私の額からは汗が流れ出してきた。ようやく第1の雪渓をトラバースし、第2の長い雪渓も同様にステップを切りながら登りきり縦走路に合流した。避難小屋を出発してから1時間が経過していた。通常の2倍の時間だったが4人が無事に縦走路に出たことによって私の臨時リーダーとしての役目は終わった。

トムラウシ山はゴツゴツした岩の塊である。今回登ってみてその感じを深めたわけだが、大岩の間に咲くチングルマやエゾコザクラ、アオノツガザクラやイワウメなどの花と岩の対比が素晴らしい日本庭園と名付けられた広場。大岩が積み重なりルート判断が難しいロックガーデン。それを乗り越えた先にある雪田の残る北沼。雪田が融け、池に懸かる間際の例えようのない白く光る水色の美しさ。その美しい水色はパキスタンで見た氷河の割れ目の色と同じだった。同行した九州から来た登山者は4年前のトムラウシ山大量遭難の死者に対し、その現場となった北沼の石積みの上に持参したお饅頭と煎餅を供養のために手向けたあと、仲間を迎えるために下っていった。

 

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トムラウシ山山頂

 

私たち3人は大岩を乗り越え山頂を目指した。トムラウシ山頂は二つの岩石の塊が有り、右側の一段と高くなっている方が2141mの標柱が立っている山頂だった。山頂は複雑な形をしており火口のように窪んだ場所もあったが360度の大展望である。旭岳が、北鎮岳が、黒岳が、白雲岳が、遠くには正三角形の阿寒岳が、近くには石狩岳やニペソツ山が望め、反対側には美瑛岳が、十勝岳が姿を現している。長かった3泊4日の縦走の後に目的としたトムラウシ山の頂上が私の足元にあった。

3人は30分ほど頂上に滞在し大雪山の山々を遠望したあとトムラウシ温泉に向けて長い下山コースを降りなくてはならない。下山後は秘境の湯トムラウシ温泉が疲れた体を温かく包んでくれるのだ。

 

7、ヒグマに遭遇する秘境のトムラウシ温泉

今回の表大雪山縦走計画は3泊4日・予備日2日の計画で入山したわけだが、幸いにも天候に恵まれ思う存分に大雪の景色を堪能でき、天候不順を考慮した予備日を使うことなくトムラウシ温泉に下山できた。入山前と下山後の体重比較では4kg減っていた。縦走を無事終了したことのお祝いと体の労わりのためのご褒美はトムラウシ温泉3連泊だった。自然の中で静かに温泉に浸り山旅の記録にペンを走らす私がいた。朝食前、昼食前、15時、夕食前の1日4回温泉に浸り体を揉みほぐし体力の回復に務める静かな時間を過ごすことができたことに感謝している。

トムラウシ温泉は全くの山奥である。国民宿舎:東大雪荘がたった1軒たっているだけであり、辺りは原生林に取り囲まれている。バスは季節運行であり7月中旬から8月中旬の1ヶ月間に限り1日2便が運行されるのみだ。他はタクシー、レンタカー、マイカーを利用することになる。温泉に一番近い最寄り駅はJR新得駅であり、そこからの距離はバスで1時間30分、料金は2000円である。

 

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登山道入口に立つヒグマ注意の看板

 

私がフロントでチェックインの手続きをとっている時に入ってきた男性が興奮気味に「先ほどクマが車道を歩いているのを見ました。」とフロントに伝えると、「クマはいつも歩いていますよ。」とフロントマンは平然と答えた。そういう場所がトムラウシ温泉なのだ。源泉温度93度という高い温泉が東大雪荘の敷地内から湯気を立てながら湧き出している。登山口にも「クマ出没中 注意! キケン!」の立て看板が立てられ、登山者はヒグマと出会うリスクを負う覚悟で入山してください、ということのようだ。実際に登山道にはしばしばヒグマの糞が落とされているのに出会う。ヒグマのテリトリーに人間が踏み込んでしまっているから仕方のないことだが、出来るならばヒグマとは出会いたくない。従ってヒグマに人間がいることを知らせるためにクマ鈴が必携となる。クマ鈴を持ち合わせていない登山者は大声を出しながら歩いているのを見かけた。クマと人間が共存していく知恵だと思う。

温泉に滞在して3日目の午前11時頃だった。

「お客様失礼します」と言って温泉の男性従業員が部屋に入ってきて窓を開け一人がベランダに出た。金属音を鳴らしながら「どこに行った?」などと話すと、もう片方が「あそこ、あそこにいる」と指を指す。私は何事かと思いそばに寄っていくと、体長2m程のヒグマが建物に近づいてきているという。距離にして10mほどだ。5連発の爆竹を鳴らすと藪の木が動いた。「あそこにいるよ。3本電線と2本の木の間だよ」今度は3階にいた女性従業員から「いるよ、いるよ、クマ動かないねぇ」などの声。

 ベランダに出ていた男性従業員は運動会にスターターが使う2連発の火薬銃で耳を押さえながら爆発音を響かせる。しかしヒグマは動じない。「クマちゃん、慣れちゃったかな」などと言いながら2回目の火薬を詰め再度爆発音を響かせるとようやくヒグマは姿を消した。このようなことが日常的に起こっているのが大雪山の山懐に抱かれたトムラウシ温泉なのである。

 

 8、北海道の山の登り方について

 今回、北海道の屋根と呼ばれている大雪山に出かけたわけだが、そもそも大雪山という山はない。北海道中央部にある山々の総称として大雪山と呼んでいる。古来アイヌの人たちは「神々の遊ぶ庭としてカムイミンタラ」と呼んでいた。

 北海道の山々は登山口までの交通が不便だ。従ってタクシーは高額なのでマイカーやレンタカーを使って登山口まで入る人が多い。その結果、今回私が行ったような縦走ではなく登っていった登山口に下山するというピストン登山の形が多い。

 北海道に2週間、3週間という単位でやってきてキッチリと登山日程を組むのではなく、大雑把な登山計画を立てておき、車を利用しながら天気予報を確認し天候不順の場合は下で待機し晴れるようだったら登っていくやり方だ。この山に登ったら次の山に向かう、という形で登っている人が多い。

 日本百名山完登を目標に登っている方に何人も出会った。100の山を登るのには1年に5山登ったとしても20年かかる。学生時代から山に登っている人が多く、社会人の時は一時中断し会社員を辞めたあと再び登りだしたという人が多い。それらの方々は殆んど年金生活者でありヒサゴ沼避難小屋で宿泊した10人のうち40代の女性登山者を除くと男性登山者9人は全て年金生活者であった。しかし、70代になってもバリバリ山に登っている元気な方たちであった。今回、北海道の山に登り、その広さを確認したと同時に登山口までの交通の便をいかに確保するのかが課題だと思った。トムラウシ温泉からの帰りはJR新得駅までバス予約をしていたが、同室の埼玉県越生から来ていた登山者がレンタカーで帯広駅まで送ってくれた。ありがたいことだった。

 

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