棒ノ折山・岩茸石山・惣岳山へ縦走
棒ノ折山969m山頂
今回の登山は棒ノ折山969m・岩茸石山793m・惣岳山756mの縦走であった。棒ノ折山は東京都奥多摩町と埼玉県飯能市の県境に位置し、登山ルートは南の東京都側と北の埼玉県側にそれぞれあり、縦走ルートもある。今回の登山計画は、南側のJR青梅線の川井駅からスタートし、奥茶屋登山口まで歩き、そこから山に入って棒ノ折山に登り、広い山頂で展望を楽しんだあと、棒ノ折山の南に位置する岩茸石山から惣岳山へと縦走し、御嶽駅へ下山するもので、予定時間は7時間30分の日帰り登山であった。
武蔵御嶽神社境内の畠山重忠像
棒ノ折山という名前は、平安時代後期から鎌倉時代初期の武将であり、源頼朝・頼家・実朝の鎌倉3代に仕えた御家人で、知勇優れ、清廉潔白な板東武士の鑑と称された畠山重忠が、この山域を越えた際に、杖として使っていた棒が折れてしまったことから棒ノ折山になったと伝えられている。なお、畠山重忠の像は今回の下山口とした御嶽駅近くの武蔵御嶽神社境内の宝物殿前に立っている。上掲の写真は、昨年8月に大岳山に登った際に御嶽神社境内で写したものである。
赤く染まった日の出の雲
家を出るとき東の空は朱色に染まり、南の空に大きな入道雲が出ていた。雲が赤く焼けてとても美しかった。その空になぜかコウモリが1匹飛んでいた。私が住んでいる地域では、夕方にコウモリを見ることは度々だが、明け方に見るのは初めてだった。
川井駅に立つクマ出没注意の看板
無人の川井駅に降り立った。天気予報では早朝5時から7時の2時間に強く雨が降ると出ていた。予報通りに雨が降ったようで道路は濡れていたが、空から時たま薄日が差しだしていた。改札口横に「クマ出没注意」の看板が立っていた。川井駅から奥茶屋登山口まで都合のいいバス便がないため、大丹波川に沿って1時間20分歩いた。
奥茶屋登山口から登りだした
登山口までの間に奥多摩の自然に囲まれた大丹波川沿いに、清東園キャンプ場、中茶屋キャンプ場、百軒茶屋キャンプ場、奥茶屋キャンプ場と4ヶ所のキャンプ場があった。清東園キャンプ場は封鎖されていたが、他のキャンプ場は開いており、家族連れのキャンパーが思い思いに楽しんでいる姿があった。中茶屋、百軒茶屋、奥茶屋などという名前は、奥多摩と飯能を結ぶ峠道を歩いた旅人が休憩する茶屋があった名残りと思われた。川井駅は甲州街道の裏街道と位置づけられていた青梅街道沿いにあり、東側に大きく迂回するよりは、棒ノ折山をひとつ越えれば、埼玉県の名栗なのである。
渓流沿いにワサビ田が続いていた
私は登山準備を整え、ザックとストックにクマ鈴をつけて登りだした。山道は最初から杉林の中の急登だった。それを過ぎると渓流沿いにワサビ田が見られるようになった。青々としたワサビの葉は太陽に輝き、生命力に満ちていた。しかし登るにつれて綺麗な緑だったワサビ田も消え、全く作られずに打ち捨てられたワサビ田が続くようになった。ここでも働き手の高齢化により、農村の耕作放棄地のようにワサビ田も見捨てられる運命なのだろう。
放棄されたワサビ田が続いた
やがて山道は小さな祠のところからワサビ田のある沢から離れ、杉林の中を山頂めがけて伸びていた。この山道がまた急登だった。あえぎあえぎ一歩一歩登っていく私の前に、赤いザックを背負った単独の男性登山者が見えた。やがて暗い杉林のなかから登っていく先に青空が見え出し、山頂が近いことが感じられた。
棒ノ折山山頂からの眺め
棒ノ折山の山頂は平らで広かった。山頂に立つ山名表示には棒ノ嶺と書かれていた。東屋が建っており、休んでいたひとりの男性登山者に挨拶した。昔は山頂に茅葺屋根の材料となる茅が一面に生えていたというが、現在では小さなグラウンドのように広々と開けて明るかった。東屋で休んでいた方にお願いして、スマホのシャッターを押してもらった。山頂からの奥武蔵の山並みや都心方面が一望できるはずだったが、湧き出した雲によって隠れてしまっていた。空は晴れており日差しは強く、赤トンボがたくさん舞っていた。赤トンボが里に下りていくのも間もなくだろう。
『関東ふれあいの道』の道標
山頂でオニギリをひとつ食べた。汗まみれになって登ってきたので、凍らせてきたプロテインの甘い味が心地よかった。今回の登山は先の長い縦走なので10分ほど休憩し、岩茸石山に向けて歩きだした。途中、権次入峠の分岐点で埼玉県側に降りだしたが、100mほど進んで間違いに気づき、分岐点まで引き返して岩茸石山方面に進んだ。間違いの原因は、案内板の表示が分かりづらかったのだが、常に自分がどこを歩いているのかを確認することの重要性を再認識した。
県境尾根の黒山分岐
『関東ふれあいの道』が今回のルートである百闥ラョから御嶽駅まで伸びていた。棒ノ折山から黒山までは県境尾根がなだらかに続いていた。ひとり静かに尾根道を歩いていると、下界では新型コロナウイルスの感染拡大で大騒ぎをし、「不要不急の外出自粛・・・」云々と言っているのが、別世界のように感じられた。私は自分の行きたい場所に、人の来ない時間帯に出かけ、身体を動かすことにより行動体力を上げ、身体を健康に維持する免疫力・防衛体力を上げ、自然の中で遊ぶことによる精神のリフレッシュによって、心身ともに健康でいることが、新型コロナウイルスへの最大の感染防止対策になると考えている。黒山分岐にはベンチが置かれ、女性単独登山者が休んでいた。東側が切り開かれ、西武ドームの白い屋根が緑の森の中に見えた。
岩茸石山793m山頂
縦走路のほとんどは木々の中に伸びており、見通しは良くないのだが、たまに木々が切り開かれていると周りの山並みが望め、奥多摩の山々が連続していた。山の上には雲が湧き上がり、眼下には麓の家が20軒ほど散らばっているのが見えた。私が歩いているコースは今年5月16日に「TOKYO成木の森トレイルランニングレース」が開かれ、そのルート表示や看板が分岐点などに残っていた。アップダウンの連続を歩き、13時5分に岩茸石山に着いた。この山頂に立ったのは3度目だった。青空の下に都心のビル街が見えた。秩父の山々も奥多摩の山々も素晴らしい眺めだった。山頂には私ひとりだけの実に静かな時が流れていた。
惣岳山山頂に建つ金網に囲まれた青渭神社奥宮
岩茸石山山頂で10分ほど休憩し、惣岳山に向かった。登山道の脇がイノシシに掘られ、登山道が削られている場所もあった。惣岳山手前で植林地が広範囲に伐採された場所があった。伐採された後には何も植えられていなかったので、このまま自然の広葉樹の森に戻るのであろう。14時に惣岳山山頂に着いた。この山頂も広く、青渭神社奥宮が金網に囲まれて建っていた。アブラゼミが鳴いていた山頂で、私はひとり静かな時を過ごした。
登山道脇がイノシシに掘り返されていた
ヒノキの林の中の登山道を下っている途中に、丸太の輪切りが置かれていたので、久しぶりの休憩をとった。あと30分で御嶽駅に到着するだろう。ツクツクボウシの鳴き声が四方八方から聞こえてきていた。今回の登山は約1ヶ月ぶりだったので、足腰に疲れがきているのが分かった。用意してきた1Lの水も全て飲み切ったので、下山後のビールが待ち遠しい。
JR御嶽駅前の土産屋も緊急事態宣言で休業中
JR御嶽駅に下山し、喉が乾いていたので駅の周りの酒屋を探したが見つからず、バス停の運転手に酒屋の位置を尋ねると、無情にも酒屋は無い、とのことだった。土産屋を確認したところ、駅前の観光センターが開いていれば、とのことなので行ってみると、東京都の緊急事態宣言により9月12日まで休業です、と入口に鍵が掛かっていた。酒屋なし、土産屋もなしのダブルパンチだった。今のコロナウイルスの感染拡大状況では、こういうこともあるさ、と諦めたのだった。
棒ノ折山・岩茸石山・惣岳山の縦走データ
今回の縦走登山は1ヶ月ぶりの登山だった。前回登った川苔山は、今回の棒ノ折山から縦走できる西側に位置する山である。奥茶屋登山口に前回歩いた川乗橋登山口からの林道が、今年の8月2日から来年3月中旬まで緊急工事のため通行禁止となっている表示があった。1ヶ月遅れていれば歩けなかったわけで、実にラッキーだと思った。今回は縦走データの標高図に示されているように、標高400mの登山口から一気に969mの山頂まで急登続きだった。二日酔いの身体からアルコールが汗となって一気に体外に放出され、身体が目覚め、軽くなるのが分かる感覚だった。それにしても久しぶりに、下山後に温泉は無し、酒屋も無し、土産屋も無しのトリプルパンチをくらってしまった。
雲湧きあがる奥武蔵の山並み
東京オリンピックが終わって間もなく、IOCバッハ会長が用もないのに銀ブラしている姿がテレビ放映され、記者から「国民に不要不急の外出自粛をお願いしている時期に、バッハ会長は特別か?」の質問に対し、丸川珠代オリンピック大臣は「不要不急の外出も全て自己判断」という見解を述べた。各自、自由に判断してくれ、という開き直りとも思えた。私は以前からウイルス感染予防対策をしながら、自己判断で登山を続けている。週間天気予報で晴れが続くようになったら、テントを担いで縦走登山に出かけようと思う。(^^♪