気持ちよく歩けた若葉の森

 

嵐山山頂に着いた

 

 今回のスケジュール

行き:幕張駅640732御茶ノ水駅738→快速高尾行き→846高尾駅849→甲府行き→857相模湖駅 \1782

ハイキング:徒歩2時間50

相模湖駅90015915相模湖大橋駐車場→10925産霊宮水上神社参道入口→401005嵐山1030701140鼠坂・さがみ湖MORIMORI前バス停→101150さがみ湖温泉・うるり入浴

帰り:さがみ湖MORIMORI前バス停1324101334相模湖駅→かどや食堂(食事)→陶芸展→相模湖駅→高尾駅→幕張駅

 

今年も陶芸展の案内葉書が届いた

 

 4月17日 金曜日 晴れ

 今年も多摩陶工芸代表の山本さんから陶芸展の案内葉書が届いた。会場はJR相模湖駅前の『かどや食堂』2階ギャラリーで、期間は3月22日〜4月25日となっていた。その期間に相模湖駅周辺のハイキングを計画しようと地図を見ていると、相模湖東側にある嵐山が目についた。ハイキングのあとは『さがみ湖温泉・うるり』に入浴し、相模湖駅に戻ったら私が生まれた77年前の1948年(昭和23年)に創業した駅前の『かどや食堂』に入り、2階の陶芸展を観たあとは郷土料理で昼食を摂る計画を立てた。

 

相模湖大橋と嵐山

 

御茶ノ水駅、高尾駅で乗り換え、相模湖駅に降りたのは9時だった。YAMAP登山地図を呼び出してGPSをセットして歩きだすと、しばらくして前方に三角形の嵐山が見えだした。相模湖大橋を渡り登山口に向かった。

 

相模ダムの水位は3m低かった

 

相模湖大橋を渡っていると橋の中間地点に神奈川中央交通バスの相模湖大橋バス停が設置されていたので驚いた。どういう経緯で橋の真んなかにバス停が置かれたのかは知らないが、こんな橋の真んなかで乗り降りする人がいるのだろうか?橋の下は1947年に相模川が堰き止められて出来た神奈川県相模ダムである。人造湖は相模湖と呼ばれた。1955年に与瀬町外2カ村合併で相模湖町ができ、翌年1956年に国鉄与瀬駅は相模湖駅へと改称された。ダム湖の水は満水時から3m近く減っているのが湖岸の水深跡から分かる。

 

クサイチゴが清楚に咲いていた

 

サクラは散ってしまったので、ヤマブキ、スミレ、タンポポなどの花々を見ながらノンビリ歩こうと想っていたところ、足元に直径3cmほどの真っ白い花が現れた。木の高さは20cmくらいで枝には棘があった。バラ科の植物だろうとスマホで調べてみると、「クサイチゴ」だとわかった。初めて見た清楚な花だった。私は食べたことはないが、5月6月に真っ赤な実が熟すと、甘酸っぱくて生で食べてもジャムにしても美味しいとのことだ。

 

地味なウラシマソウが咲いていた

 

9時30分に登山口に着いて登りだした。嵐山の頂上には縁結びの神社が祀られている。嵐山山頂からの相模湖の眺めは『神奈川の景勝50選』に選ばれている旨の表示が登山口にあった。登山道は東京都の明治の森・高尾国定公園から出発し、大阪府の明治の森・箕面国定公園まで1697km伸びる東海自然歩道の第2区間に選定されている。つづら折りになった急坂を登っていくと、足元にウラシマソウが咲いていた。花は地味で焦げ茶色をしており、マムシソウとも蛇の腰掛けとも言われている。

 

嵐山の山頂から眺めた相模湖

 

杉林のなかの急登を抜けると広葉樹の森のなかの登山道となった。後ろに人の気配を感じたので振り返ると、20歳代と想われる1人の男性が登ってきたので道を譲った。嵐山(標高:406m)の山頂に着いたのは、相模湖駅を歩き出してから1時間が経っていた。神奈川県自然環境保全センターが立てた山頂の説明板によると「ここの山相が京都の嵐山に似ていることから、鎌倉時代には嵐山と名付けられていたと伝えられ、また京都の嵐山に祀ってあった千手観音が由来となり、この嵐山にも千手観音を祀ったことから「千手山」とも呼ばれていた。一方、相模湖・相模川・国道412号線に囲まれた、この嵐山を含む小さな山塊は北に小仏峠・景信山、南に石老山との間に位置しているので、「間の山」とも呼ばれていた、と書かれていた。説明板の前から眼下に相模湖が見えた。山頂の反対側には東海自然歩道の地図とルート図の説明板が立っていた。

 

頂上には縁結びの神様「産霊宮水上神社」が祀られていた

 

頂上には縁結びの神様として「産霊宮水上神社(むすびのみやみなかみじんじゃ)」が祀られていた。門に貼られていた由緒記によれば、御祭神は中央に天之御中主ノ神(天地創造神)、左に皇祖二ニギノミコト(父祖)、右に皇后コノハナサクヤヒメ(母祖)を祀り・・・ 相模の哲人・二宮尊徳翁の言葉に「天地相和して万物生じ、夫婦相和して子孫生じ、貧富相和して財宝生ず」の意をくみ、また、富士仙元の宮にも因み・・・ この地は相模(神奈川県)武蔵(東京都)甲斐(山梨県)の国境であり、昔から要塞地帯でありましたから、「世界の平和と人類の幸福」をも祈願致すことになりました。神社は70年前の1955年(昭和30年)に創建された、と記されていた。読み終わり、なるほどと思いながら芽吹いたばかりの若葉の尾根道を歩いていった。

 

いくつもの木橋を渡った

 

縁結びの神社に参拝したあと尾根道を下って行くと、途中で幅40cmほどの木橋を渡った。橋下には微かな水音を出しながら細い流れが見えた。アップダウンを繰り返すので谷を越すときには次々に木橋が出てくるのだった。木橋は中央が一番沈み込み揺れも大きいので、左右のバランスを取りながら渡った。3mほどの高さがあるので落ちれば怪我をするだろう。登山道の簡単な橋なので欄干などは無かった。

 

夥しい数のオタマジャクシが泳いでいた

 

アップダウンを繰り返すうちに水たまりが現れ、夥しい数のオタマジャクシが泳いでいた。オタマジャクシを見ると春になったことを感じる。その奥にはイノシシが、どろんこになったヌタ場があった。イノシシは毛に着いたダニや寄生虫を、泥を浴びることによって落とすのである。周りは若葉が輝き、ガビチョウの声が届くなかを気持ちよく歩いている。ガビチョウは美しい声で鳴く外来種だが、やかましいくらい高い声で鳴いている。

 

竹林のなかで筍をいただいた

 

しばらく歩いていくと竹林のなかの道となった。たくさんの筍が出ており、イノシシに食べられた跡がいたるところにあった。山のなかの竹林なので所有者は筍を堀りに来ないのだろうか?イノシシに食べられるままではもったいないと思い、私も1本いただいた。スコップなど掘る道具を持っていない場合は、筍の根元をめがけて靴の踵で思いっきり蹴るのである。そうすれば簡単に根元から掘り出すことができる。進んでいくと登山道の真んなかに出ていた筍を、杉の枝で掘ろうとして途中で諦めた跡があったが、靴の踵で蹴って掘ることを知らなかったのだろう。

 

ヤマブキが咲いていた

 

終点の鼠坂まで1kmの表示を過ぎたところで、枯れ木にサルノコシカケが付いており、その脇にヤマブキが咲いていた。今回のハイキングで出会いたかった花である。サクラが終わると、ヤマブキ、ツツジ、フジの花が次々に咲き出すのが春の山の花の順番である。

 

ヤマツツジが咲いていた

 

下山口の鼠坂に向かって降りていくと、朱色のヤマツツジが咲いていた。自然のなかでヤマブキやヤマツツジを観ると派手さはないものの、心が洗われるように感じる。鼠坂バス停の相模湖駅行きバス時刻表を確認したあと、ハイキングの汗を流すために「さがみ湖温泉・うるり」に向かった。

 

「さがみ湖温泉・うるり」で汗を流した

 

「うるり」に入るときに広報無線から正午の時報が流れてきた。温泉では強炭酸温泉で血流を高め、ジェットバスで筋肉マッサージを行い、気持ちが良かった。入浴後は牛乳瓶のフルーツ牛乳を飲むと、子どもの頃を思い出した。

 

駅前の「かどや食堂」に入った

 

バスで相模湖駅まで戻り、駅前の「かどや食堂」に入った。注文したのは瓶ビール500mlと生酒300ml、ツマミは「おまめちゃんプレート」だった。料理が運ばれてくる間に2階で開催されている陶芸展を観ることにした。

 

陶芸展は自由な作品が多かった

 

陶芸展の入り口に多摩陶工芸代表の山本さんの作品が展示されていた。さすがに代表だけに素晴らしい出来だった。10数人の作品を順番に観ていったが、作品にはお馴染みの皿や丼や茶碗などがあるが、それよりも作者の好きな形や面白い形を自由に作っているのが印象的だった。入口に並んでいたバザー作品から500円の湯飲みをひとつ買った。

 

郷土料理「おまめちゃんプレート」は素朴の味がした

 

陶芸展を観て1階のテーブルに戻ってくると、ビールと生酒が置かれていた。喉はビールを欲していたので、ビールを一気に流し込むと喉が喜んでいるのが分かった。筍の煮物をツマミに飲んでいるうちに「おまめちゃんプレート」が運ばれてきた。皿のうえには、鳥の手羽揚げ、ハンバーグ状にして串に刺して焼いたもの、煮豆・ニンジン・ゴボウが乗っていた。ハンバーグ状のものが何だか分からなかったので、お姉さんに尋ねると、「昔からこのあたりで作られていた大豆を潰して味噌を練り込んで焼いた郷土料理です」とのことだった。サツマイモかと想ったがマメだったとは。素朴な味がした。レジの前にパン耳菓子とラスク菓子が置かれていたので、家族のお土産に買うと会計は2850円だった。

 

相模湖駅舎の梁にツバメが止まっていた

 

相模湖駅に戻ると駅舎の梁にツバメが止まって囀っていた。

「のど赤き 玄鳥ふたつ 屋梁にゐて 足乳根の母は 死にたまふなり」

斎藤茂吉の歌を教えてくれたのは中学校の恩師半田喜作先生だった。その赤い喉の燕が梁にいる。あれから60数年経ったことになり、私は馬齢を重ねたが、恩師はすでにこの世にはいない。

 

 

今回の登山データ

 

 今回の嵐山ハイキングは、登山口の最寄り駅である相模湖駅前の食堂で陶芸展が開催されているので、ハイキング・温泉・陶芸展・郷土料理の4重奏というものだった。芽吹いたばかりの若葉の森を歩く3時間のハイキングは、自然のなかに身体を置くことにより心が洗われるようだった。おまけに筍のお土産もあり満足満足の山旅だった。

 

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