素晴らしかった富士の高嶺
富士山の真上に太陽が来た
2023年最初の登山は、日本一の富士山を眺められるところと想い、山梨県内の山に登ることにして考えた計画は、下吉田から歩き出し、新倉山浅間公園の忠霊塔と富士山を眺めたあと、新倉山、御殿、霜山、天上山(嘯山)を歩いて河口湖に降りるルートで、所要時間は4時間30分だった。
高速バス車内の行き先案内表示
1月12日 木曜日 快晴
午前3時に目が覚めると、昨晩の酒が残っているようで、頭がぼ〜っとしていた。布団から脱け出すには早いので、もうひと眠りするつもりでまどろんでいた。4時に起きだし、パンを焼き、昨晩のカレーの残りを付けて、温めなおした餃子スープを飲んだ。身体から力が甦ってくる感覚だった。今回は東京ドームホテル前から河口湖駅行きの高速バスに乗ってみた。料金は2000円。前日予約の席が1Dと若かったので、車内はがらがらだろうと思った。予想通り乗客は私を含めて4人だけだった。
高速バス車内から見えた富士山
新宿の街並みを抜けると高いビルが消え、遠くまで見渡せるようになった。進行方向の正面に丹沢山塊の上に白銀の富士山が見え、右側には奥多摩や奥秩父の山々が連なっていた。上空には薄雲が広がっていたが、絶好の登山日和となる予感がした。富士山を御神体とするのは浅間神社である。千葉市稲毛区にも子育て浅間神社として末社が存在しているが、全国に散在する浅間神社の祭神は「木之花咲耶姫(このはなさくやひめ)」という女の神様である。今日は神様の機嫌がいいようで、惜しみなく全体の姿を出してくれている。機嫌が悪いと一日中雲の中なのだが、今日は機嫌が良い予感がした。
富士急行線の富士山駅
終点の河口湖駅まで乗っても、富士急行線に乗り換えて下吉田駅まで戻ってくるので、手前の富士山駅で降りた。富士山が世界文化遺産に登録された後に、富士吉田駅は富士山駅と名前を変えたのだった。富士山駅の待合室で、各駅周辺案内の『ぶらり各駅散策マップ』を見ていると、谷村町駅案内のなかの『泰安温泉』というのが目に留まった。ホームページで確認してみると、最寄りの谷村町駅から400mの距離で徒歩5分と書いてあった。ひなびた田舎の銭湯のような温泉だったので、下山したあとは立ち寄ることにした。料金は400円と書いてあった。
トーマスくんのパッケージ電車
富士山駅のホームから見える富士山は素晴らしいものだった。奥多摩の山々から眺めるのに比べて、圧倒的に迫力の違う大きさなのだ。富士山は雪化粧をしているが、最近は雪が降らないために雪の量が少なく、岩肌が見えている状態なので、3月か4月ごろの富士山の姿と言ってもいいだろう。9時5分発の大月駅行き電車に乗った。車内外の全てがトーマスくんのパッケージで化粧されていた。車内には中国人と思われる団体が乗っており、さかんに富士山の写真を撮っていた。やはり外国人にとっても富士山は素晴らしいのだろう。
『三國第一山』の扁額が掛けられていた鳥居
下吉田駅に降りるとすごい人の数である。なぜこんなに多いのかは最近インスタグラムなどで、新倉山浅間公園の忠霊塔と富士山のツーショット写真が絶景として人気が出ているのだ。私の周りは中国人だらけだった。下吉田駅から浅間神社の赤い鳥居が見えた。「新倉山浅間公園忠霊塔」という表示に従って歩いて行った。富士浅間神社の表参道を歩いていると、「どーん・どーん・どーん」という腹の底に響くような音が聞こえてきた。自衛隊の北富士演習場で大砲を撃つ音である。駅から歩いて10分で大きな赤い鳥居に着いた。『三國第一山』の扁額が掛けられていた鳥居の前で帽子を脱いで一礼し、境内に入っていった。
新倉山浅間公園の忠霊塔と富士山
長い石段を登って五重塔である忠霊塔の前に着いた。紅白に化粧した忠霊塔の前のベンチでひとりの男性が富士山を眺めており、中国人と思われるふたりの若い女性が富士山をバックに写真を撮っていた。さらに忠霊塔の上から富士山を見るために展望台へと向かった。紅白に化粧した忠霊塔を入れた富士山の写真は、度々見かける有名な撮影スポット写真である。今日も三脚を備えて写真を撮っている男性のほかに、スマホで写真を撮っている人が10人ほどいた。
富士山麓に広がる富士吉田市街
更に上の展望台まで来る人はひとりもいなかった。上の展望台の方が忠霊塔の展望台で見た時よりも、富士吉田市街を見下ろすこともでき、富士山の眺めも素晴らしかった。絶景である。ここから山道に入って行った。山道はハイキングコースとなっているため、踏み固められており歩きやすかった。ヒノキの林の中を新倉山に向けて一歩一歩登っていった。植林されたヒノキに日の光が遮られているため、風は吹いていないが肌がヒンヤリする感じだった。10分ほど登ったところに「ふじみの会」の標識が立っていた。私は左に折れて新倉山に向かった。山道に霜柱が出てくるようになり、シカの食害を防ぐための食害防止ネットが見えるようになった。どの山に入ってもシカネットが見受けられる状況である。シカ肉はさっぱりしてくせがないのだから、解体処理施設さえ整備すれば、シカ肉の需要はもっと増えるに違いない。
「ふじみの会」の標識が立っていた
山道の脇に「自然を守りましょう」という立て札が立っており、「森林は二酸化炭素を吸収し、地球温暖化の防止に貢献しています。 富士吉田市農林課」という内容だった。こういう看板を山道から目だつところに立てて、登ってくるハイキングを楽しむ人達に教育するのはいいことだし、大切なことだと思う。地球温暖化の弊害は世界各地で頻発しており、待ったなしの対応が必要なのだ。
『自然を守りましょう』の看板が立っていた
山道はヒノキの林からアカマツの林に入っていった。すると下山してくる人に出会うようになった。男性ふたり、その後に女性ひとり、ザックも水も持たず、杖だけの軽装なので、地元の「ふじみの会」の人たちの毎日登山だろう。再びふたりの男性が降りてきたので、「毎日登山をしているのですか?」と尋ねると、「そう。上にも5、6人いて、すごくにぎやかだよ」という声と共に降りていった。再びふたりの男性と出会った。これで7人になった。まだまだいるのだろう
頭を入れるとゴンゴン石の反響は凄かった
やがて「ゴンゴン石」についた。赤い鳥居が祀ってあり、鳥居の前に玉を抱いた赤い色の向かい獅子があった。大きな石に丸い穴が開いており、注連縄が張られていた。休憩していたふたりの女性によると、「丸い穴に頭を入れると、ゴンゴン鳴るのでゴンゴン石と言われている」とのことなので、私も頭を入れてみた。しかし音は聞こえなかったので、自分で小さくゴンゴンと言ってみると、音が反響してゴンゴン聞こえた。つまり頭を入れた人の吐く息や、かすかの音が反響して耳に届くようだった。
周りは水源涵養保安林に指定されていた
ひとりの男の人が降りてきた。挨拶をすると「上にはもっといるよ」という声を出して降りていった。休憩していたふたりの女の人は登山靴を履いており、一週間にいっぺん程度登るとのことだった。また「霜山に着く手前に左に折れて滝に向かう道があるが、ほとんど人が歩いていないため、荒れていてとても危険な箇所もあり、ロープなども頻繁に出てきて、この間ひとり亡くなった」という話をしてきた。私はそのコースではなく、霜山から天上山を通り、カチカチ山から河口湖に降りるコースを伝えると、「それならば大丈夫ですね」とのことだった。相変わらず自衛隊の砲弾の音が途切れなく耳に届いていた。
新倉山1180.2mの山頂に着いた
新倉山の手前で使われなくなったUHFテレビ塔の前で、4人が降りてくるのに出会った。新倉山山頂はすぐだった。その山頂で先行するふたりの女生と御殿から降りてきたふたりの人が話をしていた、その中のひとりにスマホのシャッターを押してもらった。年配のかたが「少し進むと左側に南アルプスの聖岳と赤石岳が見えるよ」と教えてくれた。地元の方が言うように聖岳ならば2回、赤石岳には4回、過去に登った山行のことが思い出された。
雪をかぶった南アルプスの山々が見えた
確かに少し進むと木が伐られて見晴らしがよくなっている場所から、雪をかぶった南アルプス連峰を望むことができた。素晴らしい。新倉山から5分ほど登ると御殿山頂だった。御殿には先に歩いていたふたりの女性が登っており、「リニア新幹線の線路が見える」というので、双眼鏡を出して覗いてみると、中央高速道路の奥に新しいトンネルが見えたのがリニア新幹線だろう。御殿山頂にも展望台が作られており、正面に素晴らしい富士山が姿を現していた。木之花咲耶姫は機嫌がよく素晴らしい。山頂でセルフタイマーをセットして写真を撮り、三ツ峠山方面に向かった。
針葉樹と広葉樹の混合林にするため植えられたヒノキの苗木
この先の枯れ葉が散る山道を歩くのは私ひとりだろう。急な下りの次はヒノキの植林された山道を歩いて行った。ヒノキは植林されたばかりで、ネットが巻かれているところも見られた。そこは広葉樹の林の中で、広葉樹を全て切らないで針広混合林にするような形になっていた。そこには「平成26年度 保安林改良事業施行地 面積2.31ha 山梨県」という看板が立てられていた。
急な登りには度々補助ロープが取り付けられていた
三ツ峠山からの尾根分岐に登りついた。いやいや実に急な登りだった。補助ローブが度々あらわれ、そのロープを握りながら登った。岩場も次々に出てきた。特に最後の30mほどは特に急だったので、ひと汗かいてしまった。登りついた場所からの富士山の姿は実に素晴らしい、のひとことに尽きた。今日は絶好調だ。
霜山分岐から望む富士山
霜山に向かう分岐で三ツ峠山から歩いて来た夫婦連れにあった。三角点が打たれた霜山1301.7mの山頂は木が茂っていて見晴らしはなく、寂しい山頂だった。霜山山頂にはトラバース道があり、三ツ峠山から下山してくる人は霜山山頂には寄らずに通過してしまうようだ。
霜山の山頂は木々に覆われていた
三ツ峠山から河口湖に降りる尾根道は、以前三ツ峠山に登った時に下山に使ったルートであり、歩くのは2度目だった。山道の落ち葉を踏みしめるカサコソソワソワいう音と共にゆっくりと標高を下げていき、やがて右側に御坂山塊が見え出し、眼下には青く輝く河口湖が見えるようになった。正面には木の枝ごしに雄大な富士山が見え、やがて山道はヒノキの林の中へと続いていた。
冬季封鎖された西川新倉林道
冬季封鎖された西川新倉林道まで降りてくると、ひとりの外国人が私の降りていくのを待っており、挨拶をした後、彼は山道を登っていった。天上山に向かう山道は広くてカラマツの葉が全て落ちているためには、明るく歩きやすい気持ちがいい道だった。右側に三角形の黒岳をはじめとした御坂山塊が、眼下には河口湖が見え、河口湖大橋が見えた。30数年前に河口湖マラソンを走り、ゴール直前にあの河口湖大橋をヘロヘロになって走っていたことを思い出した。一度見えなくなっていた南アルプスの白い峰々が御坂山塊の左側に登場してきた。山座同定ソフトを使って確認してみると、中央に赤石岳、左に兎岳、右側に荒川三山が表示された。
嘯(うそぶき)山の山頂に着いた
嘯(うそぶき)山の山頂に着くと、ちょうど太陽が富士山の真上に来たところだった。珍しい光景に出会ったので写真を撮った。山頂には4人の方が休んでいた。この嘯山(天上山)を迂回する山道を歩かずに、真っ直ぐ山頂まで登って来て正解だった。山頂には小御嶽神社が祀られていた。小さな祠の横に立てられた由緒を読むと、富士山麓の農民は農閑期に富士山に入り、木を伐採し角材や板材に木挽きをしていた。その安全を願い富士山5合目に小御嶽神社を創建した。麓に住む家族たちは入山者の安全を願い、里宮の意味を込めて富士山に対峙する嘯山山頂に小御嶽神社を分祀したのは1668年(寛文8年)のことだったという。確かに富士山登山の吉田口5合目には小御嶽神社が祀られており、その分社が現在私のいる嘯山の小さな祠なのかと思った。お賽銭をあげて手を合わせた。
大賑わいのカチカチ山
カチカチ山から嘯山に登ってきた若い男性にシャッターを押してもらったところ、韓国の青年だった。話した言葉はハングルと英語だった。見た目は日本人と変わらない。カチカチ山まで降りていくと、平日にもかかわらず人・人・人で大賑わいなのでびっくりした。ここは河口湖畔からロープウェイで昇り降りする人がほとんどだが、私は「あじさいハイキングコース」と名づけられた昔の小御嶽神社の参道を河口湖まで降りた。
「惚れたが悪いか」という太宰治の文学碑
降りてきた途中で平らなところがあり、太宰治の文学碑が置かれていた。碑文は「惚れたが悪いか」という開きなおったような一言が書いてあった。碑の背景は富士山である。広場には桜の木がたくさん植えられており、4月の桜の花が咲く頃は素晴らしい景色となるだろうことが想像でき、弁当を持って花見に来るのもいいだろう。
こぎれいな谷村町駅
河口湖駅から大月駅行きに乗り、途中の谷村町駅で降りた。町なかを歩いて5分のところにある『泰安温泉』に入るためだった。町は都留市の中心部に位置し、静かで綺麗な印象を受けた。戦国時代から江戸中期まで武田家臣の小山田氏の居城であった谷村城跡や桂川の対岸には勝山城跡もあり、例年9月上旬には『ふるさと時代祭り』としてお囃子や大名行列で大賑わいするという。
泰安温泉の入り口
銭湯の受付けで検温のあと、番台の女将さんに「風呂でシャンプーと石鹸を使いますか?」と聞かれたので「使います」と答えると「入浴料は480円です」と言われた。自分でシャンプーや石鹸を持ってくると入浴料は400円だった。私が「風呂上がりに番台の裏側の休憩室は使えますか?」尋ねると、女将さんは「温泉に入ったり出たりする人の休憩室ですが、今日はいないのでいいですよ」とのことだった。6畳ほどの広さにテーブルが3つ置いてある畳の部屋だった。
泰安温泉の番台
泰安温泉は、およそ100年前から地元の人たちに利用されている大衆銭湯で、露天風呂はなかったが、ジェット噴射の湯船、薬草の湯船、水風呂というものだった。午後3時に入浴している人たちは、みな顔見知りで、お互いに色々な話をしていた。私は湯船のなかで、白髪で短髪のおじいさんと話をした。やっぱりお風呂はいいね。約30分で山旅の汗を流すと、番台の女将さんに挨拶をして休憩室に入った。ザックから日本酒とつまみを出し、スマホに記録してあった山旅のメモを見ながら、次の電車が来るまで約30分の休憩を取った。2階ではカラオケ大会をやっているらしく、男の人女の人がこぶしをきかせながら、次々に演歌を歌っていた。のどかな田舎の銭湯という感じで、ゆったりと時間が流れていった。
今回の新倉山・御前・霜山・嘯山ハイキングデータ
今回のハイキングは、富士山の絶景スポットとして紹介される新倉山浅間公園の忠霊塔をスタートとして、新倉山・御殿・霜山・天上山(嘯山)などを通り、河口湖までの馬蹄形コースを歩いたのだが、絶好の晴天に恵まれ、今年の好スタートをきった。下山後に山旅の汗を流す入浴は、最近はやりの大きな温泉ではなく、昔ながらの鄙びた温泉を偶然見つけることができて満足だった。風呂上がりに自動販売機がなかったためにビールは飲めなかったが、持参した日本酒を味わいながら、しばし絶景続きの山旅を思い返した満足の山旅だった。帰りに大月駅で妻と息子に甘い羊羹の土産を買った。