強風のち快晴の3000m稜線漫歩
小赤石岳山頂での集合写真
8月24日〜28日の4泊5日の日程でミーハー・クライミング・クラブの夏山登山が行われた。今回のコースは南アルプスの千枚岳・荒川三山・赤石岳縦走であった。週間天気予報によれば静岡県は概ね曇りか晴れであったが、24日になると日本海に発生した前線が南下して日本列島を通過するため広範囲にわたって雨や雷雨となる、という予報に変わった。その予報通り、私たちの山旅は26日の午前中の千枚岳から荒川三山を縦走する稜線歩きの時に雨と強風にさらされた。足場の悪い稜線で左右から吹き付ける風は体全体が吹き飛ばされるほどの強さであり、一瞬たりとも気の抜けない登山となった。風の勢いに負けて滑落すれば無事ではすまない稜線歩きだった。
24日の23時に東京竹橋の毎日新聞東京本社前を出発した毎日アルペン号は2時間ごとの休憩を取りながら翌朝の5時30分に静岡県の畑薙ダム夏季臨時駐車場に着いた。2時間後の東海フォレスト運行の登山バスを待つ間に握り飯の朝食を済ませていると、登山者が多いために臨時バスが定時よりも1時間早く6時30分に発車した。出発が早まれば計画が前倒しされるため当日宿泊予定の山小屋到着までのスケジュールに余裕が出るため実にラッキーだった。
登山基地となっている椹島に到着し各自飲料水とトイレをすませ千枚小屋に向けて樹林帯の中の登りを開始した。ペースはパーティーによっては60分ごとに5分の休憩をとる場合もあるが、私は30分歩き5分休憩という歩き方である。そのほうが過去の経験から疲れが少ないと感じるのである。樹林帯の中の登りは展望というものは全くない。ただただ千枚小屋に向かって汗水たらしながらのきつい登りであり、苦行をしている気分になってくる。
緑の多い森を歩いていると、たまに雨がぱらつくことがあったが、雨具を着ることもなく椹島から出発して6時間後に千枚小屋に到着した。到着して間もなく雲に隠れていた富士山が徐々に秀麗な姿を現した。前庭で談笑していた登山者たちは一斉に声をあげ喝さいを浴びせた。千枚小屋は富士山の展望地として知られている小屋であり、実に見事な富士山を望むことができる。日本一の富士山の人気度は抜群である。
千枚小屋から望む富士山
荒天を予想させた御来光と朝焼け
翌日は小屋の屋根を打つ雨の音で目が覚めた。時おり強く屋根を叩く雨音はなかなか消えることはなかった。出発の早い登山者たちは強風と土砂降りの雨の中を次々と出ていった。私たちの登山計画は通常1日で歩くコースを2日で歩く余裕のスケジュールとしたため、宿泊予定の荒川小屋までの行程は半分なので私たちの出発は7時と遅かった。雨は小降りとなってきたが風の勢いは衰えておらず、稜線で吹き荒れるであろう風のことを考えながらの出発だった。
当日、千枚小屋には17名のツアー客を3人のツアーガイドが引率するパーティーがいた。そのガイドリーダーはスマートフォンで山の天気予報をリアルタイムで収集し出発の時刻を9時と決めていた。私はスマートフォンを持っていないのでWebで公開されている有料サイトの『山の天気予報(ヤマテン)』に加入していないが、ヤマテンは全国の山岳地帯50か所の天気予報をピンポイントで行っている。月間契約料金は500円なので度々山行を計画する人は加入したほうがいいと感じる。テレビや新聞に載る天気予報は県庁所在地のものが多く、おおよその参考にはなるが山の天気とは違うのが多々あるからである。
千枚岳山頂はガスに包まれていた。登頂記念の集合写真のシャッターを押してもらい荒川三山の縦走のため稜線に出たとたん体が浮くような強烈な吹き上げてくる風に見舞われた。強風は稜線を歩く私たちの両方から吹き付けてきた。体のバランスを崩し谷側に滑落すれば、それで人生は終わりである。緊張した稜線歩きとなった。千枚岳から丸山に向かうときに1箇所とても危険な箇所があるが、今回はその場所に真新しいアルミ製の梯子が設置されていた。5mほどの崖なのだが、梯子が設置されたことにより随分助かった。中岳避難小屋で休憩しながら昼食を摂っていた時にも小屋番のおじさんと危険個所について話したが全く同感だった。
見晴らしが全くなかった千枚岳山頂
悪沢岳山頂もガスに包まれ展望は全くなかった。雨はほとんど降っていなかったが、前回訪れた時と同じ真っ白な世界だった。風は相変わらず強く、11時に中岳避難小屋に到着したときは、このまま荒川小屋まで降ろうかと思ったが、強風の中を縦走してきたので小屋に入って風を避け休憩を取りながら昼食にした。私たちが小屋に入った時、体を温めるためコーヒーを注文して飲んでいた3人の先客がいたが、スペースが広くない避難小屋のため小屋番からは荒天時は小屋が混みあうので休憩時間は20分ほどにして欲しいと注文が入った。昼食の握り飯を食べ終わるのに20分あれば十分だった。
悪沢岳山頂も白いガスに包まれていた
翌日は4時半にトイレに起きると満天の星空だった。荒川小屋の正面に富士山が黒いシルエットで立ち上がり、左側の空が白くなりだしていた。予想通りに雲海に浮かぶ富士山の左山際から太陽が昇った。前日の天候が崩れる真っ赤な朝焼けの空ではなく、好天を約束する穏やかな雲海が拡がる空だった。
雲ひとつない快晴の下で、ハイマツ帯の中の気持ちのいい稜線漫歩が始まった。最近のミーハー・クライミング・クラブの山行は悪天候続きでスッキリ晴れたのは久しぶりである。各メンバーの気持ちも快晴の空のように晴れ晴れとしているのが交わす会話の中に表れていた。荒川小屋から樹林帯の中をひと登りすると明るいハイマツ帯の中の縦走路に出た。ここら辺りは雷鳥に出会う場所なので注意深く周囲を見ながら進んだが、残念ながら雷鳥に出会うことはなかった。雷鳥は猛禽類をはじめとした捕食者から自分の身を護る意味を含めて活動するのは雨模様の天候が崩れた日が多い。好天の日に雷鳥に出会うのは稀である。
タカネウスユキソウ
大聖寺平から小赤石岳を越え、南アルプス南部の盟主と呼ばれている赤石岳に登った。3120mの標高を持つ赤石岳は深田久弥の『日本百名山』に選定されている名山でもある。大きな巌の山容は見事なものだ。山頂は遮ることのない360度の大展望である。南側には雲海の上に堂々と屹立する富士山。東側には昨日の縦走時には真っ白なガスに包まれていた千枚岳と荒川三山。その後ろに仙丈ケ岳、北岳、間ノ岳が堂々と聳えている。北側には中央アルプスの木曽駒ケ岳、千畳敷カール、宝剣岳、空木岳の稜線。その後ろに北アルプスの特徴的な大キレットと槍ヶ岳も遠望できる。北アルプスから左に離れて乗鞍岳も穏やかに聳えている。実に素晴らしい山岳展望が眼前に展開していた。私たちは山頂での記念撮影をすませると山頂直下に建っている赤石岳避難小屋に向かい展望のいいベンチで1時間のランチタイムにした。
3000mでのランチタイム
晴れた日の登山は素晴らしいの一言に尽きる。汗水たらしながらきつい思いをして山に登っても金銭的な恩恵があるわけではない。あるときは身の危険を感じ、冷や汗をかくときもある。しかし、普段生活している日常の世界から山という自然と向きあう非日常の世界は、日常に経験する打算というもののない世界である。普段の生活では味わうことのない自然との対話が頻繁に出てくる。それは手先に感じる冷たい岩の感触であり、名も知らずとも静かに咲く花であり、額の汗をなでていく風であり、小さな声で鳴く虫であり、乾いた喉を潤してくれる水などである。この自然との対話を通しながら人間も自然の一部であるという当たり前の考え方を再認識することになるのである。