青葉のなか御前山から九鬼山へ縦走

 

御前山730m山頂からの富士山の眺め

 

猿橋駅に降りたのは7時16分だった。空は雲ひとつなく晴れあがっていた。駅の北側に4月に登った百蔵山と扇山が見えた。今回の登山は駅の南側に連なる神楽山674m、御前山730m、馬立山797m、九鬼山970mの縦走で、予定時間は6時間である。九鬼山は大月の桃太郎伝説に9人の鬼が棲む山として登場している。南口から神楽山が見えた。駅前を右折し、神楽山登山口に向かった。街路樹として植えられているハナミズキの白い花の先に岩殿山が見えた。

 

百蔵山(左)と扇山(右)が見えた

 

猿橋駅から歩き出して10分で登山口に着いた。登山口には「熊出没注意」の黄色の看板が立っていた。ここでザックにクマ鈴をつけ、ストックを出して登山準備を行った。私は街中ではコロナウイルスの感染防止対策としてマスクをつけているが、登山の時は外している。昨晩、妻が明日の登山には持って行って、と言いながら、冷凍庫で凍らせておいてくれた“濃いめのカルピス”を一口含み、登山道を登りだした。早くも秋の花であるハギが咲き出していた。

 

登山口の熊出没注意の看板

 

登山口から山に入るときは、いつも「熊出没注意」の黄色い看板を見ながら少し緊張して登りだす。私はまだクマに出会ったことは一度もない。おそらくクマは山のどこかに棲んでいるのだろうが、クマ鈴の音で登山者と出会うのを避けているのだろう。杉林の中の登山道は落葉広葉樹の道へと変わっていった。分岐点には方向表示が立てられていて分かりやすかった。ウグイスの鳴き声が耳に届いた。ザックにつけたクマ鈴とストックにつけてある鈴の音だけが聞こえる静かな登山道だった。やがて登山道は岩尾根の急登へと変わり、汗を流しながら一歩一歩登っていった。

 

神楽山674m山頂は木々に囲まれていた

 

神楽山分岐に着いた。神楽山は縦走路から外れているが、分岐から2、3分程度なので、神楽山に寄って行くことにした。赤松の根を掴みながら登り、神楽山山頂674mに着いた。山頂は直径3mほどの円形で、周りに木が生い茂って展望はなかった。分岐まで戻り縦走を再スタートさせた。

 

御前山730m山頂

 

青葉のなかの縦走路を進み御前山分岐についた。分岐からひと登りで御前山山頂である。大岩が露出している御前山730m山頂に着いた。山頂からの眺めは抜群で、正面に富士山が見えた。富士山の8合目ぐらいから上に雪が残っていた。この山頂にも『秀麗富嶽十二景 十番山頂』の表示が立っていた。海坊主のような大きな岩の塊が山頂であり、その塊の先は絶壁に落ちていた。そちら側には近づかないようにして富士山を眺めた。私は2週間くらいの間隔で大月周辺の山に登っているので、山頂から眺めた富士山の雪帽子がどんどん少なくなっていくのが分かる。山頂部の雪帽子が少なくなると、一瞬で富士山を探すのに手間取る。富士山は5合目あたりまで雪に覆われている姿が一番美しいと感じる。

 

シカの食害防止ネットが多数巻かれていた

 

御前山から先に進むと、植林されたヒノキにシカの食害を防ぐため、ネットで囲っているのが多数見られた。昨年10月に林野庁から発表された「野生鳥獣による森林被害」によれば、シカによる被害は全体被害面積5000haの71%にあがっている。シカの食害は林業者にとっては深刻な問題である。モンシロチョウが一頭ひらひらと舞っていた。沢井沢ノ頭には大きなクヌギの木があり、その木陰が涼しくて渡ってくる風が爽やかに感じられた。富士山は木々の葉に隠れて見えないが、上空にヘリコプターが1機飛んでいるのが見えた。このあとヘリコプターは1時間ほど旋回しながら飛び続けていたので、遭難事故の捜索・救助でもしていたのだろうか。

 

馬立山797m山頂でパチリ

 

馬立山797m山頂には9時25分に到着した。誰もいない静かな山頂だった。登山口から登りだし、まだひとりの登山者とも出会っていなかった。誰もいない木漏れ日の差し込む山頂でセルフタイマーをセットして写真を撮った。今は廃道となった礼金峠に着く手前で、20代と思われる女性単独登山者とすれ違った。現在のような自動車社会になる前の移動手段は徒歩だった。その頃は尾根道や峠道は多くの人たちに歩かれていたのだが、今、歩くのは登山者だけである。金峠を越えて九鬼山に登っていった。

 

崩落地にはトラロープが張られていた

 

登山道脇にはたくさんのツツジが枝を広げていたのだが、すでに花は落ち、葉っぱだけが青く茂っていた。九鬼山山頂に向けて登山道は徐々に標高を上げていった。途中の崩落地ではトラロープが張られ、山頂直下の急登には滑落防止の措置がしてあった。たとえ滑落防止の措置がしてあっても、落ちるときは落ちる。斜面のトラバースは滑落しないように神経を使う。自分自身の問題なのだ。

 

九鬼山970m山頂からの眺め

 

九鬼山の頂上に到着したのは10時45分だった。予定よりも1時間早かった。山頂にはふたりの登山者がベンチで休んでいた。その方たちに挨拶をして頂上到着の写真を撮った。九鬼山にも「秀麗富嶽十二景 十番山頂」と「山梨百名山」の標柱が立っていたが、ここから富士山は見えなかった。中央高速道路と北側の山々が見えるだけであった。静寂な時の流れの中で、茶や白や黒のチョウが飛び交っていた。ヤマザクラの赤いさくらんぼが見え、白いヤマボウシの花も見えていた。

 

天狗岩からの富士山の眺め

 

山頂から富士山は見えないので、富士山の好展望地の天狗岩に向かった。富士見平分岐を右折し、急坂を降って天狗岩分岐に着いた。分岐から歩くことに2分で天狗岩に着いた。天狗岩の広さは2mほどで高さは分からなかった。天狗岩という大岩のてっぺんに登っているわけで、下を覗いたが木々が邪魔をして、底は深くて見えなかった。落ちたら死ぬだろう。その天狗岩の正面に8合目あたりに雲が横たわっている富士山が見えた。富士山の上にも横ながの雲が湧き出していた。午後になれば富士山は雲の中へと姿を隠してしまうだろう。右下に都留市の街並みが広がっていた。天狗岩の左横に平らな岩があったので、その岩の上に座って富士山を眺めながら朝ごはんのおにぎりを食べた。絶景を見ながら食べるおにぎりは殊の外うまかった。

 

ジャコウアゲハのオスが登山道の土を舐めていた

 

登山道は落葉広葉樹に覆われ、10日前にはハルゼミがうるさいほど鳴いていたのだが、すこし時期がずれただけで、ツツジの花もなければハルゼミも全く鳴いていなかった。季節の移り変わりを五感で体感するのだが、自然というものは不思議なものである。登山道を下っていくと、黒く小さなジャコウアゲハが黒土を舐めながら、ゆっくり移動している姿に出くわした。何をしているのだろう。ジャコウアゲハはクロアゲハよりも小さい。一度、私の足元から舞い上がったが、5mほど先で着地し、再び黒土を舐めていた。土に含まれているミネラルや塩分でも舐めているのであろうか。

 

富士急行線の禾生駅から都留市駅へ向かった

 

12時のチャイムを聞いたのは、愛宕神社登山口に下山した時だった。「熊出没注意」の山梨県が立てた黄色い看板と登山道の矢印があった。138号線に出て、富士急行線の禾生駅に到着したのは12時17分だった。登山時間は約5時間で、予定よりも1時間早かった。22分発の河口湖行き電車に乗り、都留市駅で降りた。都留市駅から歩いて1分の日帰り温泉「より道の湯」に向かった。

 

都留市駅から徒歩1分の「より道の湯」

 

「より道の湯」は宿泊もできる日帰り温泉施設で、建てて間もないために明るくて広々としていた。露天風呂も広くて気持ちよかった。登山の汗をゆったりした気分で流した。湯から上がるとレストランに入って、郷土料理と地酒である。頼んだ料理は、甲州名物の鶏のモツ煮込み、馬刺し、それに冷奴である。キリンビールの大瓶を1本。外は暑かっただけに、喉元を過ぎるビールが最高だった。実に気持ちが良かった。鶏モツのレバーとキンカンに唐辛子をかけると実にうまい。馬刺しはニンニク・生姜・わさびを順番につけ、新玉ネギを包んで食べると美味い。ビールは瞬く間に終わり、続いて頼んだのは地酒・笹一の純米生酒300mlだった。この酒も良かった。実に美味かった。

 

山梨の郷土料理は美味かった

 

馬刺しを食べていて思い出したのだが、40年ほどの昔、河口湖マラソンというのがあった。今はもうやっていないが42.195kmのフルマラソンに2回出場したことがあった。レース前日に会社の後輩の家に泊めさせてもらった。夕ご飯の時に出たのが食べきれないほどの馬刺しだった。実に美味かった。今そのことを思い出した。山梨県には馬刺しが郷土料理としてあるのだ。

 

神楽山・御前山・九鬼山縦走活動データ

 

 今回の山旅の目的は、初夏の緑が増々濃くなってきた静かな山に登り、下山後は温泉でゆったりと汗を流し、湯から上がったあとは地元の料理に舌鼓を打ちながら地酒を楽しむ、というトリプルプレーだった。その3段階の楽しみが全てできた満足の山旅だった。今回の登山では、ツツジが終わってしまったので、出会った花は少なかったが、3ヶ所で見た白い大きなノバラが印象的だった。木々の葉は緑の濃さを増していき、微風がサワサワと葉擦れの音を伝えてきていた。

 

お土産は“ももちゅるる”

 

帰りの富士急行線からJR中央線へ乗り換える大月駅で、妻へのお土産に「ももちゅるる」というお菓子を買った。帰宅後に手渡すと、早速、ゼリー菓子でしょう、と箱を開けて中身を確認していた。夕食後に1個もらって食べたが、モモの味のする柔らかゼリー菓子だった。甘いものをほとんど食べない私だが、とても美味かった。

 

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