南アルプス南部の盟主・赤石岳へ

 

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強風の赤石岳山頂

 

 11月4日から24日間の日程で出かけるネパールトレッキングの準備として7月の富士登山に続き、今回は南アルプス南部の盟主と呼ばれている赤石岳を目指した。椹島を起点として反時計回りで、千枚岳・悪沢岳・中岳・前岳・赤石岳を山小屋2泊で縦走し椹島に下山するという計画をたてたのである。

 

昨年、ミーハー・クライミング・クラブの夏山山行として南アルプス北部の北岳・白峰三山縦走を行ったが、今回は南アルプス南部に位置する荒川三山と赤石岳が登山対象となった。以前にも今回の山域への登山を計画したのだが天候不順で中止した経緯があった。登山計画は東京を夜間に出発する毎日アルペン号を利用して静岡県の畑薙第1ダムまで入り、そこで東海フォレストバスに乗り換え登山基地の椹島に入り登山を開始するというものである。

 

 朝方6時に畑薙第1ダムに到着した時には既に小雨が降っていた。天候は週間天気予報が外れ、崩れ気味であった。2時間待機し東海フォレストの24人乗りマイクロバスに乗り換える際に山小屋で使える3000円のチケットを買った。マイクロバス自体の送迎は無料なのだが東海フォレスト経営の山小屋に宿泊することが条件になっているのだった。マイクロバスの乗客14名のうち、千枚小屋への宿泊者は9名、赤石小屋への宿泊が3名、二軒小屋への宿泊が2名、というものだった。運転手はチケットを渡す際に乗客の宿泊小屋と食事の有無を確認し、運転の合間に無線で各山小屋へ連絡をしていた。

 

 1時間の乗車で椹島に到着しペットボトルに飲料水を満たし出発である。南アルプスの山域は北アルプスと異なり、雪は少ないものの降雨が多いため樹木が多く森林限界の標高が高いのが特徴である。従って標高2600mの千枚小屋までは樹林帯の中を登り続ける。1時間に5分位の休憩を取りながら登り続け、椹島から5時間で静岡県営の千枚小屋に到着した。3階建ての木の香りも新鮮な明るい山小屋であった。夕食も朝食も美味しく、食欲が進み御飯は3杯お替りしたのであった。

 

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木の香りも新鮮な千枚小屋

 

 登山2日目は今回の登山の中心となる区間で危険な岩場も登場し、千枚岳・悪沢岳・中岳・前岳・赤石岳を縦走する9時間半の行程である。千枚小屋を出発する際に正面に望める富士山頂に笠雲が掛かっていた。山頂の笠雲は天候が崩れる予兆であり、その予想通りに雨具を脱ぐことができない1日となったのである。

 

 2880mの千枚岳山頂へは千枚小屋から30分の登りで到着してしまった。実にあっけない登りである。ガイドブックによれば素晴らしい展望が待っている山頂は、前後左右は全くの霧の中で周囲の視界は全くない状態であり、足元に咲くマツムシソウやトウヤクリンドウなどの高山植物の花たちがせめてもの慰めであった。千枚岳からの下りに岩場の危険個所が登場した。上から覗くと足場をどこに置いたらいいのか分からないのだ。落ちたらただではすまないことは直感で分かるので慎重に足場を探し大岩を抱える形でどうにか足場を確保し降ることができた。北アルプス山域ならば必ず鎖を設置するような危険個所である。

 

 現在の国土地理院によれば東岳と呼ばれているが、深田久弥の『日本百名山』では悪沢岳で登場する3141mの山頂も霧が巻き、雨具が風でバタバタ音を立てる状況であり、反対側から登ってきた単独登山者にカメラのシャッターを押してもらい山頂登頂写真を撮った。晴れていれば360度の展望を満喫するのだが、あいにくの天候で長居は無用と判断し中岳へと向かう。悪沢岳の下りでも岩場の危険個所が登場した。ガレ場の急降下なので滑落に注意しながら慎重に下った。

 

 中岳を降り、前岳を過ぎると400mほどの下りが待っていた。折角3000mまで登っているのにもったいないなぁ、と思いながら鹿の食害から高山植物を守る柵が設置してあるお花畑の中を静岡県営荒川小屋まで降って行った。荒川小屋も建て替えたばかりの新しい山小屋だった。山ガールや中高年者の登山者が増えるのに対応して建て替えが進んでいるようだ。荒川小屋のベンチで一休みしたあと、再び3120mの赤石岳に向けて2時間半の登りが待っていた。登っては降り、再び登り返すというのが南アルプスの登山形態なので登山者にとってはハードな登山となる。

 

 赤石岳山頂も強風の中であった。視界は10m程だろうか。早々と退散し、赤石小屋まで降っていく。結局、展望もない中で赤石小屋に到着したのは13時10分であり、9時間半の予定のコースを7時間40分で歩いたことになった。好天に恵まれ周りの景色が見渡せたならば、ゆっくりと景色を楽しみながら歩いたであろうが、今回のような視界10mから20mほどでは先を急ぐしかなかったのであり、そういう意味では残念な山行でもあった。

 

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今シーズンで最後となる赤石小屋の薪スト―ブ

 

 赤石小屋も静岡県営の新しい山小屋であり、入り口に珍しい薪スト―ブが設置されていた。翌朝下山する際に山小屋の従業員に聞いたのだが、まだ新しい薪ストーブも現在の防火建築基準には適合しておらず、静岡県側から今シーズン限りで撤去するように指導されているとのことであった。また、今回の縦走コースの山域は東海フォレストの社有地となっており、小屋が建っている土地を静岡県に貸し出し、静岡県は山小屋を建てて東海フォレストに営業委託をしており契約上の貸借料金はお互いにチャラとなっているということだった。更に話は続き、現在の東海フォレストを創業したのは大倉喜八郎という人物で、江戸幕藩体制が崩壊した戊辰戦争のおり、大砲や鉄砲などの武器弾薬を、つけで買おうとする幕府軍ではなく現金で支払う官軍に売った際に莫大な財産を築き、明治維新後に現在の山域を買い占めたのを始めとして、大成建設、帝国ホテル、ホテルオークラ、更にはサッポロビールなどの事業を興した実業家であり大倉財閥を築いた人物とのことであった。

 

その大倉喜八郎が88歳の米寿の際に200人の登山隊を組織し赤石岳山頂に登頂した写真が赤石小屋の食堂入り口に、駕籠に乗る本人、登山している本人、山頂で皇居に向かって万歳をする本人、の3枚の写真と解説が貼ってあった。登山にかかった費用は現在の金額に換算すると1億5000万円になるという。その大倉喜八郎の顕彰記念碑が登山基地である椹島のロッジ脇に紹介板とともに建っている。大倉喜八郎が山頂で詠んだ歌は「赤石の 山のうてなに 万歳を 唱ふる老も 有難の世や」と刻まれていた。その登山の際に切り開いた登山道が今回下山に使った東尾根(大倉尾根)登山道である。

 

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赤石小屋から望む聖岳と兎岳

 

 登山3日目の下山日は快晴となった。前日とはうって変わった青空を見上げながら1日早く天候が回復してくれていたらと思ったが、天候ばかりはどうしようもできず仕方のないことである。小屋前から三角形の兎岳と台形の聖岳の山頂が望めた。雄大な山稜を眺めているうちに次回の南アルプス山行は聖岳・兎岳・赤石岳の縦走計画を立てようと思った。次回は好天に恵まれ360度の大展望を各山頂から眺めてみたいと切に願った。

 

 椹島への降りは樹林帯の中の登山道である。熊鈴を鳴らしながら降っていくと「ハチ注意 そっと あるいて!!」という赤看板に出会った。その付近でスズメバチが私の足元で舞っているのを確認した。かつて奈良県の古墳廻りをしていた時にスズメバチに腕を刺され、腕が丸太ほどに膨れ上がったことを思い出し静かに通過したのであった。小屋を出発してから一度も休まずに降ったので3時間半の予定時間を2時間半で降りてしまった。レストランのテラスで日光浴をしながら汗でぬれたシャツや登山靴、ザック類を乾かしながら、今回の山行で知り合った人たちと様々な情報交換を含めて話し合った。当然のことながら缶チューハイを飲みながらであった。

 

 東京への帰りは、やって来た時と同様に東海フォレストのマイクロバスで畑薙第1ダムまで送ってもらい毎日アルペンバスに乗り換えた。途中の静岡市営赤石温泉白樺荘で70分の休憩があったが、私は既に椹島ロッジの浴室で温水シャワーを浴びながら身体を洗っていたので、赤石温泉には入らず食堂に直行し、大瓶ビールで喉を潤しながら、季節の野菜を揚げた天婦羅と一匹の岩魚と山盛りの大根おろしが乗せてあった「岩魚おろし蕎麦」に舌鼓を打ったのだった。腹が満たされればあとはバスの中では眠るだけだった。大型バスの乗客は登山者5人だけのため席の指定はなく自由席であり、実に開放感あふれる車内だった。

 

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