智恵子の青い空

 

27歳の智恵子(結婚前)

 

高村光太郎の詩集『智恵子抄』の中に「あどけない話」と題された次のような有名な詩が載っています。

   智恵子は東京に空が無いといふ、
   ほんとの空が見たいといふ。
   私は驚いて空を見る。
   桜若葉の間に在るのは、
   切つても切れない
   むかしなじみのきれいな空だ。
   どんよりけむる地平のぼかしは
   うすもも色の朝のしめりだ。
   智恵子は遠くを見ながら言ふ。
   阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
   毎日出てゐる青い空が
   智恵子のほんとの空だといふ。
   あどけない空の話である。

 6月6日、関東地方も梅雨に入ったようなぐずつく空模様でこれから1ヵ月半はさえない日々が続くようであったが、東北地方はまだ梅雨には入らないだろうと福島県の安達太良山(地元では以前から山の形より「おっぱいやま」と呼んでいたようです)に「智恵子の青い空」を見に行きましたが、生憎の小雨模様で一日中雨合羽が離せませんでした。

 当然、安達太良山の山頂も霧の中で周りの眺望もありませんでした。谷には雪渓が随分残っており芽吹きだしたばかりの木々も多数ありました。また、登山道脇に咲くイワカガミ、ショウジョウバカマ、コケモモ、ヤシロツツジ、レンゲツツジ、等々可憐な花々が健気に微笑んでいました。

イワカガミ


 下山して「あだたら高原富士急ホテル」の温泉で汗を流しました。そのホールに27歳当時の智恵子さんの写真が飾られていました。私は智恵子さんの写真を初めて見ましたが少女のような可愛い顔をしていました。

 高村光太郎の詩集『智恵子抄』は有名ですが、私はその詩集を未だ読んでいなかったのでこれを契機に読んでみました。智恵子さんは1938年(昭和13年)10月に亡くなりましたが、その3年後の1941年に詩集『智恵子抄』が出版されました。夫の高村光太郎が智恵子さんの死後3年を経過したときに智恵子さんとの出会いから別れまでを詩集として編集したものです。

 

芸術家・高村光太郎と長治智恵子との出会い、恋愛、結婚、智恵子の狂気と死、智恵子への追慕、といった二人の関係が織り込まれ、高村光太郎が智恵子を見つめ続けた詩集であり、それは二人が刺激しあいながら成長していった過程だったと思いました。

 私が初めて智恵子さんの写真を見たときに感じた少女のような「清純・無垢」という表現が実際に生活をともにし、やがて智恵子さんが精神に異常をきたし病院で死ぬまでの智恵子さんの研ぎ澄まされた精神面を夫・光太郎が智恵子さんの死後に書き始めたのではなく、出会ったころから発表していた詩を編集して『智恵子抄』という詩集を発行したというところに強い衝撃を受けました。人を愛するということが、どういう意味なのかを考えさせる詩集だと思います。