生誕140年 吉田博展を観に行く
白馬山頂より 90年前(大正15年・1926年)の版画作品
半年前ぐらい前だろうか、書店で『山と渓谷』を立ち読みしていると、山岳画家として吉田博の作品が紹介されていた。剱岳、渓流、針木雪渓などの版画が掲載されていたのだが、私は初めて見た絵であり画家だった。掲載されていた作品は、精緻で素晴らしい描写力と色彩だった。正直びっくりした、と同時に実物を観たいと思った。
今回、毎日新聞社、千葉市美術館の共催で『生誕140年
吉田博展』が、4月9日の千葉市美術館を皮切りに、2017年8月まで福島・郡山美術館、福岡・久留米美術館、長野・上田市立美術館、東京・東郷青児記念美術館の全国5か所で巡回展示するというのを購読している毎日新聞で知った。
半年前に偶然書店出会った吉田博の作品に会えるのだと思うと久しぶりに心が躍った。日本人には知られていないとはいえ、念のため混雑を避けて平日に美術館に出かけた。入口で作品目録をいただき、展示されている作品一つひとつを丁寧に観ていった。現在では、現場でのスケッチの代わりにデジカメで対象を写し取ることができるが、吉田博が生きた明治・大正・昭和の時代はスケッチが全てだった。初公開されるという写生帖が数多く展示されていたが、展示作品の1番目のものが10代前半に鉛筆で描かれた写生帖だった。その描写力を観ると、吉田博はただものではないことが誰にも理解できるだろう。
吉田博は数度の海外遊学により海外では絶大な人気を博したが、なぜ日本で知られていないかといえば、明治以降、日本の美術界を牽引してきた主流派である黒田清輝等の流れと対立した傍流としての存在であったからだろう。しかし、海外では太平洋戦争での日本の敗戦後にGHQ総司令官としてやってきたマッカーサーが、「吉田博はどこにいる」と言ったという逸話や、イギリスの悲劇の王妃であったダイアナ妃の執務室にも吉田博の作品が掲示されてあったという事実を多くの日本人は知らない。
今回の作品展示は300点を超えている。とにかく膨大な量である。それでも目録と展示されている作品を対比しながら確認していくと、目録の2分の1ほどが展示されているだけだった。どうした理由かは確認しなかったが、3時間ほど掛かって一通り観終わった。少しくたびれたが、出口にあった売店で展覧会開催記念出版の『吉田博作品集』と今回の展覧会作品集『生誕140年 吉田博展』の2冊を購入した。特に、『生誕140年 吉田博展』のほうは、今回の展覧会で展示されていない作品も含めて目録通りに全て編集されているものであった。
剣山の朝 90年前(大正15年・1926年)の版画作品
吉田博の作品を一言でいえば、光を写し取ったものだと思う。対象とする自然を見事にバランスよく速筆で描き切っている。それは研鑽に研鑽を重ねた上でなせる技だと思う。私も吉田博と同様に静物のようなものは描かないが、そこは生命力を感じないからだ。私が描く絵は昔から山々の重なりや花が主で、自然を対象としている。だからよけいに吉田博の作品に惹かれるのだと思う。私は趣味として絵を描いているが、今回の吉田博展覧会は自然を観る目を少し変えたと思う。それは自然を、より深く観察するということであり、これからの私の作品に反映されていくと思う。
今回、作品集を2冊買い求めたが、実物の作品と比べて冊子の色は明るすぎる。大きさも冊子には縦横のサイズは書かれているが、その大きさや迫力を冊子からは感じることはできず、目の前で実物を見るのとは全く異なる。やはり、美術にしろ、音楽にしろ、芸術というものは自分の五感で直に感じるものだと思う。