閑さや岩にしみ入る蝉の声
山寺・立石寺
クリスマスの3連休を利用して「山寺・仙台・松島」の旅に夫と私と愛の親子3人ででかけました。大は連休といえどもボクシングの練習で休みはありません。最初は山形県の「山寺・立石寺」に行きました。仙台までは新幹線「はやて」ですと東京から1時間半で到着です。仙山線に乗換え1時間で山寺駅に到着です。早いものです。車窓から眺められる東北の山々はすでに真っ白な雪山です。山寺駅の手前の面白山高原駅では駅からリフトが運行しておりボーダーとスキーヤーが下車しリフトに乗り込んで行きました。
山寺駅で下車した観光客は20人前後で連休の土曜日なのに少ない気がしました。駅のホームから岩壁の上に建っている山寺の五大堂や開山堂や釈迦堂が見上げられます。白っぽい凝灰岩の岩壁に屹立する建物と周りの松のバランスは水墨画から浮き出てきたような景色で、まさに絵になる光景です。駅から朱に塗られた宝珠橋を渡り10分ほど歩くと登山口に着きました。山寺の入口です。愛と一緒の写真を撮りました。上の写真がそのときのものです。石段を登り根本中堂にお参りしました。夫は中堂で「四寺廻廊」の御朱印を集めるため立石寺の「僧」の御朱印が押された『四寺廻廊御朱印帳』を買い求め、参拝の日を書き込んでもらいました。四寺とは、中尊寺「佛」・瑞厳寺「法」・立石寺「僧」・毛越寺「寶」のことで、4つのお寺をお参りし、御朱印をいただくと「佛法僧寶」という言葉となり大願成就がなされるという仏教の教えとのことです。いよいよ杉木立の中を1015段の石段が続く奥の院までの登りです。日陰のために雪が降ったあとの残り雪が固まり氷となっている場所が次々に現れるので滑らないように足元に注意しながら一歩一歩登って行きます。登山道の両側には凝灰岩の奇岩や沢山のお堂が次々に現れます。
途中に松尾芭蕉の『奥の細道』の中の有名な一句である「閑さや岩にしみ入る蝉の声」がかかれている「せみ塚」がありました。芭蕉が立石寺を訪れたのは今から320年前の1689年7月13日の夕暮れの頃だったとのことです。江戸を4月下旬に出発し2400kmという気の遠くなるよう長大な旅を弟子の曽良とともに行い岐阜県の大垣で終了となるわけですが、その記録は『奥の細道』に残されています。芭蕉は麓の宿に荷物を預けて弟子の曽良とともに奥の院まで登って行きました。鬱蒼と生い茂る静かな杉木立の中で聴く蝉時雨は心の奥深くまで染み渡ったのでしょう。参拝道の脇に岩の上に腰かけ休んでいる芭蕉と曽良の銅像がありました。曽良は坊主頭でした。その芭蕉が歩いた登山道を今、歩いているのは不思議な気持ちでした。
奥の院
観光パンフレットのモデルコースには山寺駅から出発してぐるりと回って山寺駅に戻ってくるのに2時間かかると書かれています。奥の院まで1時間かかることになりますが、実際は30分で奥の院に到着しました。思ったより近いのです。奥の院は冬のために閉まっていました。周りは雪が積もっています。雪が溶ける来年春まではお寺も冬篭りです。右下の五大堂に回って見ました。周りの山々はもちろん麓の町が一望に見下ろせます。とっても展望が素晴らしいところです。駅のホームから見上げた建物の一つが五大堂でした。
下山して駅前のペンション兼食堂に入ってお昼ご飯にしました。私は「蕎麦御前」を頼みました。愛は「いも煮御前」を、夫は「いも煮」と「玉こんにゃく」に冷酒です。夫はいつも飲んでいます。蕎麦は黒ずんだ太い手打ちの田舎蕎麦でした。歯ごたえはあるのですが、なんだかうどんのような感じの蕎麦でした。愛と夫は牛肉と里芋とネギを煮込んだ「いも煮」はとても美味しいと食べていました。私たちのあとから注文したカップルには「売切れです」と言っていましたから人気のメニューのようです。温かいものがお腹に入ったので冷えた身体がぽかぽかと温かくなりました。