キリスト教の総本山・ヴァチカン市国へ

 

サン・ピエトロ大聖堂とサン・ピエトロ広場

 

 世界最大のキリスト教教会でありキリスト教信者数は10億人のカトリック総本山であるサン・ピエトロ大聖堂を訪れました。ローマ市内にある特別区であるヴァチカン市国との国境境界線はアスファルト道路に描かれた白線でした。その白線をまたいでヴァチカン市国に入国しました。

 ヴァチカン市国は世界最小の国です。ヴァチカン市国の成立過程を調べてみました。1929年2月11日、法王庁とイタリア政府との間でラテラノ条約というものが結ばれ、ヴァチカンは独立国を形成しました。独自の通貨や切手を発行し、鉄道駅、政府政庁、放送局、図書館、郵便局、などさまざまな施設・機能を抱えています。

 世界中のキリスト教信者数10億人の頂点に立つのがローマ法王・パウロ2世でした。イタリア旅行中にパウロ2世の容態が芳しくなく危篤が度々報道されていましたから気になっていたのですが、パウロ2世は私たちが帰国した4月2日に亡くなられました。もし仮に私たちの旅行中に亡くなられていたら、パウロ2世逝去後のサン・ピエトロ大聖堂の報道にあったように葬儀のため一般人の入館は規制されましたから私たちがヴァチカン市国を訪れることも、サン・ピエトロ大聖堂の内部に入りそのスケールの大きさと煌びやかさに感嘆することも出来なかったでしょう。

 

サン・ピエトロ大聖堂内の教皇の祭壇と大天蓋

 

 サン・ピエトロ大聖堂の衛兵はオレンジ色と紺色のツートーンカラーストライプの中世の衣装で独身のスイス兵から選抜されるとのことでした。その衛兵の横を通りサン・ピエトロ大聖堂に入りました。中央に聳えるサン・ピエトロ大聖堂のドーム内部の天井部分は天才ミケランジェロが設計したとのことですが高齢のため完成を待たずに亡くなったとのことです。サン・ピエトロ大聖堂内部の床には、世界最大のサン・ピエトロ大聖堂がいかに大きいのかを世界各地の大聖堂(ドゥオモ)と比べ、その大きさが地名とともに記録されています。これまで訪れてきたミラノ、ヴェネツェア、フィレンツェ、ピサ、などのドゥオモの大きさが印されているのを見ると、なるほど世界最大だと感じざるをえませんでした。ドームの真下には教皇の祭壇があり大天蓋に覆われていました。金ぴかの装飾が絢爛豪華です。

 

ピエタ像

 

 サン・ピエトロ大聖堂の一番手前の右手側の礼拝堂にこの大聖堂でもっとも有名な作品であるピエタ像がありました。天才ミケランジェロが1498年から1500年にかけて制作したとのことで完成したのは25歳の時です。大理石に輝く「ピエタ像」はガラスケースに入り十字架の下に設置されていました。

 ピエタとはイタリア語で「悲哀」という意味とのことです。このピエタ像は、その素晴らしい完成度の高さ故に25歳という年齢では若すぎ、彼が彫ったものではあるまいという世間の噂話に対し、後年マリアのたすきに生涯唯一の自分のサインを彫り込んだエピソードが伝わっています。また2人の像であるマリアとキリストは「ミケランジェロが想像しえたもっとも美しい女性ともっとも端正な男性とを彫刻した」と言われています。
 像の前に立って見れば分かることですがマリアの姿は余りにも若い夫人です。製作当事、教会内部からもマリアの姿が若すぎるとの批判があがったことに対して「罪ある人間は歳をとるが、無原罪の聖母は常人のようには歳をとらないのだ」というミケランジェロの言葉が残っています。
 ミケランジェロは1564年に89歳でなくなりましたが、フィレンツェに立つ「ダヴィデ像」はミケランジェロが25歳で着手し26歳の完成作品であり、この「ピエタ像」23歳の時に着手し25歳の完成作品です。天才といわれる人は完璧という彫刻を大理石の塊から頭の中だけで描いた設計図を元に完成させるのですから本当に凄いものです。

 

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