河口慧海
ガンデン寺の若き僧は何を想うのか
2年前(2014年)にネパールの山旅をしたときにダウラギリ峰8167m近くのアネハヅルのヒマラヤ山脈越えで名高いカリカンダキ沿いのマルファという村で、今は記念館となっている河口慧海が3ヶ月住んだ家を訪れました。慧海は日本人として初めてチベットに入国した坊さんで、インドで1年間チベット語を学び、全くチベット人とかわらない会話術を習得したあとで、当時鎖国中だったチベットに密入国しました。目的は大乗仏教の修行・習得でした。
慧海がマルファを出発したのは1900年(明治33年)6月のことで、5000mの峠を越えて7月にはチベットに入っています。慧海の足跡を追った根深誠さんの『遥かなるチベット』:山と渓谷社には、慧海が著した『チベット旅行記』:講談社学術文庫と照らし合わせながら、ネパール側とチベット側の現地調査をしたうえで潜入ルートを推理しています。私も以前『チベット旅行記』を読みましたが、慧海という人は大変な努力をしてチベットに入国し大乗仏教の修行をした人だったことが理解できました。
私たちを乗せた専用車がラサからギャンツェに向かう途中でカイラスを源にして下ってきたヤル・ツァンポ川とラサ川が合流する地点で休憩になりました。その合流地点は慧海がチベットに密入国したあとヤル・ツァンポ川沿いを下り、ラサに入っていく道筋の場所でした。私は川畔に立って周りの景色を眺めながら、その光景を写真に収めました。2年前にネパールのマルファで出会った慧海と、今回、峠を越えてヤル・ツァンポ川沿いを下ってきた慧海が、合流点からラサを目指して谷に入っていく姿が私の頭の中で繋がった瞬間でもありました。
しかし、文化大革命の時期において中国人民解放軍の「宗教はアヘンであり前時代の遺物である」という思想によるチベット仏教と文化の破壊は凄まじく、チベット全土にあった6千を超える仏教寺院のことごとくが破壊され、何百年も大切に守られてきた仏像をはじめとする貴金属類は北京に運び去られ、60万人いた僧侶も拷問死や還俗を強要され、チベットからインドへと逃れていく僧侶は後を絶たず、チベット仏教は存亡の危機を迎えていると言われています。
ヤル・ツァンポ川とラサ川が合流する地点
ラサに到着する前日にゲルク派六大寺院の総本山であるガンデン寺を訪れましたが、その寺でも慧海は修行していたとガイドのドルジさんが話していました。ガンデン寺も1980年代に戻ってきた僧侶によって再建されたものですが、20年前の1996年に中国共産党治安部隊の武装警官が寺院内に踏み込み、ダライ・ラマの写真を外すよう指示したことに抵抗した僧侶は射殺され、600人いた僧侶は全員逮捕抑留されたのでした。実に酷いことをしているものです。
ガンデン寺内では茶色の僧衣を着た坊さんに何人も出会いました。私はチベット語を話せないため会話をすることはできませんでしたが、果たして彼らは何を想っているのでしょうか?