上海・蘇州・無錫・南京を訪ねて

 

岩井 淑

 

「私たちガイドのルールとして、お客様から質問がなければ日本軍が南京で何をしたのかは話さないことにしています。お客様は観光客として、この地に来ていらっしゃいますし、あえて過去の日本軍が行った中国人民にたいする虐殺を聞くことによって、皆様が嫌な気持ちになられることはないと思っているからです。ですから、私は観光ガイドとして今まで案内してまいりましたなかで、戦争中に日本軍が南京でやったことについて話してきませんでしたが、先ほどの休憩時間に『どうして南京をガイドしていて、日本軍がやった虐殺について話さないのですか』との質問を受けましたので、ガイドとしてのお客様にたいするスタンスを明らかにしたうえで歴史の事実として日本軍が行った行為について話していこうと思います。」

 

南京の城壁前で

 

このような前置きをして、南京市観光ガイドのリュ−さんは南京市の地理的な位置や南京市が城壁にすっぽり囲まれている状況を話し、当時の日本軍がどのような形で侵攻し、中国民兵が一般中国人の中に紛れ込み、民兵と一般人を選別することが困難という理由によって、日本軍が侵攻してからわずか40日間に虐殺した中国人の数は30万人に上ると言われており、このことは歴史的な事実として確認しておくことが大切であり、そのような歴史は歴史として押さえる中で、これからの日本と中国の平和的な関係を作り上げて行くことがより重要だと思います、と話された。

 

今回の旅行は30人の団体ツアーなので参加者の年令層も11才から84才までとバラエティーに富んでおり、ガイドのリュ−さんの話された内容についての受け止め方も、それぞれバラバラであったと思われるが、話された内容は重大なものであり、私たちが過去の歴史から何を学び、そのことを教訓としながらこれからどのような関係を作り出して行くのかを、淡々と話すのを聞いていながら、とても大切なことを話してくれていると思った。

案の定、夕食後の休憩時間ではガイドのリューさんを囲み、軍隊に参加し戦争体験のある人や、戦後生まれの戦争未体験者が話し始める。

「観光で南京に来たのだから、あえて戦争のことは持ち出すな。」

という人もいれば、

「きちんと歴史の事実として押さえておくべきだ。」

という人も多く、バスの中で話されている会話からも、リューさんがきちんと話してくれたことはとてもいいことだったと思う人が多かった。

リューさんは部長職にあり、本来は市内観光ガイドには出ないのだが、私たちが南京市を訪れた2月11日は中国では一週間の正月休暇中になっており、通常のガイドが休暇を取っているために久し振りに市内観光ガイドに出たとのことだった。リューさんは3ヶ月に一回くらいの割合で日本へは通訳ガイドとして訪れているとのことで、日本語はとても上手であり細かな言葉のニュアンスにも的確に対応してくれた。

 

中山稜(孫文の棺が納められている)

 

今回の『上海・蘇州・無錫・南京・5日間観光旅行』は私と群馬のお袋さんと息子の大の3人で参加した。大は2日間学校を休んでの参加である。本来ならば、妻と娘の愛も一緒に家族で参加すればいいのだが、職場の関係やクラブ活動の関係から不参加となった。11才の大が参加したことにより、ツアー自体の人間関係も和やかになり、お袋さんも喜んでくれたことから、大には多いに感謝している。

4都市を5日間で廻るという日程はかなりハードと思われ、73才のお袋は大丈夫かなと思っていたが、朝・昼・晩の食事もしっかり摂り、全く心配はなかった。

私自身の旅の感想を言えば、上海外灘の夜景や上海雑技団のアクロバット演技、蘇州の斜塔や寒山寺や運河遊覧、あるいは無錫の太湖遊覧や上海蟹、南京の孫文のお墓である中山陵や長江大橋記念館や長江遊覧、それぞれの都市での料理など思い出はたくさん残っているが、やはり南京市でのガイド説明が印象に残っている。

今、この文を書いていても、無錫から250kmの高速道路を走って、突然、中山門をくぐって城壁の内側にある南京市に入った光景が鮮やかによみがえる。南京市は高さ10m、幅10m程のレンガで出来た城壁にそっくり取り囲まれている形となっており、現在も城壁は2/3、城門は13ヶ所が残っているという。立派な城壁である。

                                 2000.2.20.記.

 

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