人間にとっての尊厳とは何か? どう生きて、どう死ぬべきか?

 

 最近、死について書かれた本を読むことが多くなってきている。勿論、自死を考えているのではないが、二人の子どもも成長し本人なりに自活した生活を送っているし、私としては親としての役目は終り、長年会社員として通信業界で働き、その会社も5年前に退社し、退社後は地域の自治会役員活動を3年間奉仕し、現在は小中学校関係のボランティア活動をしているが、社会人としての一定の役目も終えたと思っており、妻がまだ現役で働いているため主夫として毎日の生活を送っているが、残りの人生は自由気ままに生きて行くつもりでいる。そのような生活の中で自分の終末について色々考えているわけである。

 

 「世間では長生きをよいことのように言う人も多いが、実際の長生きはつらく過酷なものだ。足腰が弱って好きなところにも行けず、視力低下で本も読めず、聴力低下で音楽も聴けず、味覚低下でおいしいものもわからず、それどころか、むせて誤飲の危険が高まり、排せつ機能も低下し、おしめをつけられ、風呂も毎日入れず、容貌も衰え、何の楽しみもなく、まわりの世話にばかりになる生活が“長生き”の実態なのだ」と、長年デイケアや在宅医療などの高齢者医療に携わっている久坂部羊医師は言う。

 

日本も超高齢化社会となり2015730日に発表された2014年の日本人の平均年齢は男性80.50歳、女性86.83歳というもので、女性は3年連続世界1位、男性も世界3位だという。最も私たちが重要視すべきなのは、平均年齢ではなく病気や障害で生活に制限を受けない健康寿命である。健康寿命は平均年齢に比べて男性では9年、女性では12年も短くなっているのが実態である。そして以前から100歳越えの長寿が1万数千人などと長生きすることがもてはやされているが、人生の目的は、当然のことながら長生きではなく、良い人生を送ること、幸せな生活を送ることである。より良い人生を送るための生き方は本人の思いの範疇内にあり、自らの行動によって充実させることができる、そのような生き方が大切であり、ただ長生きすればいいというものではない。「人はいつか死ぬ」のだから自分の最後はこのように死にたいと心の準備をしておけば、死に際してジタバタしないと思い以下の8項目を記録する。

 

@、65歳以上を高齢者と呼ぶが、年齢を重ねるごとに頭の働きや身体能力が徐々に衰えて行くという現実を冷静に受け止めて行くことが年寄りには必要であり、高齢者がいつまでも若さと健康を求めていても無理である。年寄りになると若い時とは違い、殆どの病気は完治しないと考えた方が楽に生きられる。老化は生物としての自然の理である。介護が必要な高齢者は増え続けているのが現状なのだ。

最近、高齢者による車の運転で高速道路を逆走したり、ブレーキとアクセルを間違えて通行人を轢き殺したりする事故が目立つが、高齢者は頭の働きや身体能力が徐々に衰えて行き反応が遅くなることを十分自己分析し、大きな事故を起こす前に運転免許は自分から返納することである。私は70歳で自動車免許は自主返納するつもりでいる。

 

A、明日死んでもいいような生き方をすれば、欲望に左右されず周囲の人たちとも自由に関われる。そういう積み重ねが結果として穏やかな死を迎えることができるのではないか。何歳で死を迎えようと、死はその人にとっての寿命であるから、それまで一所懸命に生きていれば、本人にとっては満足な気持ちで穏やかな死を迎えることができると思う。重要なのは本人の満足感の度合いによって大往生かどうかが分かれるのではないか。

 

B、高齢者と呼ばれるようになったら、「もし今の時点で自分が死ぬとしたら、今までの自分の人生はどうだったのか」と、自分の人生を振り返る作業をすることによって、それ以後の人生が有意義になるだろう。手元に「過去と未来を繋ぐ自分史手帳」というものがあるので記録してみようと思う。

 しかしながら65歳から75歳までを前期高齢者(ヤング-オールド)、75歳以上を後期高齢者(オールド-オールド)と呼ぶそうだが、こういう呼び方は年寄りを莫迦にしていないか?

 

C、高齢者ともなると身体の不具合があちこちに出てきて医療との関係が否応なく出てくるが、医療の適応を考える時に大事なのは、次の2点である。

第1に、回復の見込みがあるかどうか、

第2に、生活の質の維持・向上が出来るかどうか、

であり、回復もせず生活の質の維持・向上も出来ないのに、ただ死ぬことをダラダラと先送りするために医療を使ってはならない。

私は延命医療としての人工呼吸装置、鼻チューブ栄養、点滴、胃瘻などの措置は辞退する旨を常々家族と話し合っているが、どのような死に方をするにせよ、重要なのは死にいたるまでの生き方であり、尊厳のある生き方をすることが大切であり、死に方ついては尊厳死=自然死=老衰死と考えるのがいいのではないか。理想的な死は、肉体的な苦痛がなく、医療の世話になることもなく、自然に寿命を終えることだと思う。

 

D、人生の節目である70歳(古希)までに「自分の死を考えるための具体的な行動」として、以下の14項目について一つひとつ確認していこうと思う。

 

1、遺影を確認する。

  遺影は2011年アフリカ大陸のキリマンジャロ山頂ウフルピークに登頂した際の写真とする。

 

2、遺言をしたためる。

  1、遺産と呼べるものはない。

  2、愛と大は母さんを大切にし、今までのように姉弟仲良く喧嘩をせず、自分の信じる道を歩いて行くこと。

3、自分の行動の結果は全て自分の責任として処理すること。

4、愛や大が家庭をもったら自分が育ててもらった環境を思い出し家族仲良くすること。

5、人間も自然界の一動物であるから緑や自然を大切にすること。

 

3、別れの手紙、録音、録画等を準備する。

  1、妻の彰子へ

  2、娘の愛へ

  3、息子の大へ

 

4、「余命6ヶ月」を想定し、したいことの優先順位を書きだす。

  1、70歳の誕生日(20181113日)から半年ごとに優先順位を作成する。

 

5、死装束をあつらえる。

  1、白の寝巻。

  2、背中に「8」を赤字で染め抜いた黒の法被。

  1を着て横たわり、2を胸元に掛ける。

 

6、骨壷を用意する。 http://ceremonylab.net/?pid=20742226

  1、焼き物では萩焼や備前焼が好きなので、どちらかで蓋のある壺を探して骨壷とする。

  2、7寸壺、骨箱、骨壺カバー、風呂敷、お骨上げ用箸の5点セットを用意する。

  

7、棺桶を手に入れて入ってみる。 http://ceremonylab.net/?pid=23703916

1、ワンタッチ組立式棺(棺桶)―Rインロ−棺を購入する。

 

8、事前指示書を完成させる。

「医療死」よりも「自然死」を希望するので、意識不明や正常な判断力が失われた場合は下記の6項目を希望する。(ぼけた時は難しいかもしれないが、ぼけきる直前に「断食死」を行うつもりだが、機会を外す場合も考慮して「事前指示書」をしたためる。

 

その1

  1、出来る限り救急車は呼ばないこと。

  2、脳の実質に損傷があると予想される場合は、開頭手術は辞退すること。

  3、原因のいかんを問わず一度心臓が停止すれば蘇生術は施さないこと。

  4、人工透析はしないこと。

  5、経口摂取が不能になれば寿命が尽きたと考えて、経管栄養、中心静脈栄養、末梢静脈輸血は行わないこと。

  6、不幸にも人工呼吸器が装着された場合、改善の見込みがなければ、その時点で取り外してかまわないこと。

 

  その2

  自然死は具体的には断食往生と考えているので、出来るだけ自然に任せて様子を見ることを希望する。これは私と彰子の結婚報告のために辻のおばあさんを訪ねたおり、ベッドに横たわるおばあさんの姿は徐々に死に向かう自然死=老衰死そのものであった。具体的な行動は以下のとおりである。

  1、五穀絶ち 7日間

  2、十穀絶ち 7日間

  3、木食   7日間

  4、水断ち  7日間

 

  その3

  死後について以下のことを希望する。

  1、人生70年以降ともなると諸臓器は随分傷んでいると思うので臓器提供はしないこと。

  2、葬儀式(通夜)は簡素に家族だけで行うこと。葬儀会館の使用でも構わない。

  3、読経や死後戒名は不要である。

  4、告別式は不要。献花、香典は辞退すること。

  5、死体焼却は完全な灰にすること。

  6、年忌法要、墓詣りも不要と思うが、子どもたちの思うところに任せる。

 

                              20151113

                               岩井 淑

 

9、寺院および墓地は以下の通り。

  1、寺院:真言宗豊山派龍本山松井田院不動寺

379-0222 群馬県安中市松井田町松井田987 tel0273-93-0480

 2、墓地:群馬県安中市松井田町二軒在家烏留墓地

 

10、戒名をもらう。

  生前戒名を不動寺からもらう。

 

11、人生の節目に“生前祭パーティー”を行う。

 

12、事あるごとに家族や周囲と「死」について語る。

 

13、物の整理をする。

1、自分にとって不要なものは徐々に処分し、死ぬまでに全て処分する=断捨離を行う。

 

14、年賀状等の季節の挨拶状を徐々に終える。

  1、70歳をもって年賀状は自ら出すことを止め、届いた方のみに寒中見舞い、暑中見舞いを出す。

  2、上記を繰り返していくことにより、現在の250枚から徐々に減少していくと思われる。

  3、家族の動向を知らせるにはWeb「クーちゃんのホームページ」で十分である。

 

E、物の考え方として「小欲知足」=足るを知れば心は満たされる、ということが必要だと思う。年寄りになっても「より若く、より美しく、より賢く」なることばかりが宣伝され、その宣伝に乗ってしまうと限りがない。昔の日本人は今よりもストイックで自分の欲望を律することができた。

 

F、人生を「往き=上り坂=右肩上がり」と「還り=下り坂=右肩下がり」に分けて考え、折り返し点で考え方を変えるといいと思う。どこかで考え方を変えないと、いつまで経っても右肩上がりの考え方から抜け出ることができない。

生物にとって誕生・成長・発病・老化・死亡は自然現象として止めることはできず、右肩上がりだった健康や能力は折り返し点からは徐々に右肩下がりとなり、身体のあちこちに不具合が出てきて、やがて還り道のゴールである死を迎える。従って、会社員としての定年を迎える60歳(還暦)あたりを「往き」と「還り」の区切りにしたほうがいいと思う。「還り」の考え方は、やるべきことは一所懸命やるけれど結果には執着しないことが重要である。

 

G、ブッダ=目覚めた人(釈迦)は、2500年前に人間の自然現象である「生・老・病・死」を四苦と言ったが、苦とは原語では「ドゥフカ」=意のままにならない、ということであり、人間が思い通りにならないことを思い通りにしようと悪あがきするところに苦しみが起こると言った。結局、「老・病・死」は他人に頼ることができず、自分自身で引き受けるしかないのである。生物には必ず死が待ちうけており、誕生と同時に死に向かって行進を始める、と考えるべきであり、その生存期間中に何をなそうとしたのかが重要だと思う。

 

 本を読みながら気になったことや思いついたことを書き出してみたが、今後、この文章を時あるごとに読みなおし、自分にとっての終末とはどうあるべきかを考え、かつ行動していこうと思う。

 

参考文献

・家族という病(幻冬舎)下重暁子

・思い通りの死に方(幻冬舎)中村仁一・久坂部羊

・人間の死に方(幻冬舎)中村仁一

・大往生したけりゃ医療とかかわるな(幻冬舎)中村仁一

・介護ヘルパーは見た(幻冬舎)藤原るか

・がん哲学(to be出版)樋野興夫

・がん哲学外来の話(小学館)樋野興夫

・ぼくがいま、死について思うこと(新潮社)椎名誠

放射線医が語る福島で起こっている本当のこと(ベスト新書)中川恵一