シンポジウム 『福島の生きものの今』

現在、そして、これからを考える

 

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ドキュメンタリー映画 『福島 生きものの記録〜生命(いのち)〜』

 

 私は日本野鳥の会の会員である。毎月、『野鳥』という月刊誌が送られてくる。 2・3月合併号に同封されてきたチラシがあった。そのチラシのタイトルは「福島の生きものの今―現在、そして、これからを考える」というシンポジウム案内だった。日時を確認すると3月4日土曜日、場所は法政大学富士見ゲート校舎、主催は日本野鳥の会と法政大学人間環境部とあった。私はスケジュールを調整しシンポジウムに出かけることにした。

 

 未曾有の大災害であった東日本大震災が発生したのは今から6年前の2011年3月11日。私は勤務していたNTTを同じ月の31日に退職したのだった。福島第1原子力発電所は大津波の影響によるに原子炉を冷却する電源流失により原子炉が制御不能となり、燃料溶解とともに水素爆発を起こし大量の放射能が大気内に放出され、同時に放射能汚染水が発生した。当時、大量の放射能の放出範囲や密度、汚染水の実態は隠蔽され住民には知らされることはなかった。

 

福島第1原子力発電所の事故は、原子力を制御できるという人間の傲慢さが生んだ人災なのだが、事故後の被害と住民の避難は現在も続いている。事故から6年経過するという時間の流れの中で残念ながら事故は風化され人々からは忘れ去られようとしている。日本野鳥の会の月刊誌には、原発事故による生物、特に野鳥への影響が記事として度々載っている。

 

シンポジウムは10001730までの長丁場だった。まず、10001200までの午前中はドキュメンタリー映画『福島、生きものの記録シリーズ4〜生命〜』の上映と製作映画監督と野鳥の会常務理事とのトークショーがあった。私と妻は東日本大震災の2年後の20135月に3泊4日の日程で東北地方太平洋側をドライブ旅行した。大津波の影響が依然として残り、放射能の影響で住むことができなくなった住居やゴーストタウンとなってしまった集落、農地耕作を放棄せざるを得なくなった畑や田んぼが草ぼうぼうになっているのにたびたび出会った。

 

上映された映画にも無人となった集落に大量のイノシシ、アライグマ、シカ、ハクビシン、サルなどの野生動物が我がもの顔で闊歩している姿が映し出されていた。クマタカ、ツバメ、アカネズミやキノコ類への放射能による影響が大学研究者や日本野鳥の会の調査員によって明らかにされていく姿がドキュメンタリー映像として流れ、監督の制作過程の話も聞くことができた。

 

午後の部は13001520では、東京大学、日本野鳥の会、森林総合研究所、国立科学博物館から研究報告がなされた。@ウグイスを例にとった個体群レベルの保全と放射線の関係、Aツバメとシジュウカラへの放射性物質の蓄積、Bコイを中心とした放射性汚染地域の魚の健康について、Cアカネズミなどの小型哺乳類における放射性セシウム蓄積の実態と生息環境、Dフクロウの繁殖に与える放射能の影響、という5本の研究報告がなされた。私はこの種の研究報告会に参加するのは初めてであったが、雑誌などで読む実態が直接研究している研究者からの報告を聞くことにより内容がより身近に感じられた。

 

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パネルディスカッション風景

 

15301630では福島からの現状報告として、南相馬市博物館員から「失われていく里山、伝統」、NPO法人がんばる福島から「寸断された地域の絆、つながり」、ふくしまフォレスト・エコ・ライフ財団から「失われた自然体験の場を取り戻す」が報告された。3人の報告者は、それぞれが現地で活動している人たちである。博物館員は行政側の立場で水生動物の放射能の影響を調査しながら様々な住民の要望に対応し、NPO法人の方は周りの人が全て避難する中で飼育していた牛を殺処分するに堪えられずに一人放射能汚染地域に残って牛の世話を続け、その体験を様々な場所で講演し続けており、フォレスト・エコ・ライフの方は福島県民の森の運営管理を行いながら子どもたちに人間と森との関わりの重要性を教えている。それぞれの活動内容は違うものの福島原発事故による放射能汚染という現実を踏まえながら、どのようにしたら新たな出発があるのだろうかという暗中模索の中で未来を切り開いていく姿が感じられた。

 

16301730はパネルディスカッションとして法政大学教授をモデレーターに、パネリストは福島からの現状報告をされた3人、研究報告をされた東京大学研究員、日本野鳥の会理事を合わせた5人による討論だった。その内容は、@放射能汚染によって壊されてしまった地域コミュニティー再生の可能性について、A汚染地区の避難が長引く中での人口過疎化による人間と野生動物の関係性の変化について、B科学の正確な情報を市民に伝えるのはどうすればいいのか、ということに集約されると思った。

 

今回のシンポジウムへ参加した人の数は約120名だった。私は長いシンポジウムの中に身をおいて感じたことは、書物やテレビなどで報道される内容を頭で理解していたものが実際の研究者や住んでいる人の話を言葉として聞くことによって物事がより深化していくことだった。放射能汚染地域に住むということは人体実験である。避難区域が解除されても20年、30年後にならないと内部被爆、外部被爆などの放射能被害の影響が人体にどのような結果として表れるか分からないため老い先短い老人たちは帰還するだろうが、若い人は新たな仕事と場所を見つけて汚染された地域に戻らないだろう。従って原発事故前の姿に戻すという考え方は無理だろうし、難しいけれども新たな福島を作っていくという方向性が必要になっていくと思う。

 

331日に避難区域が再編され帰還困難区域が縮小され、自主避難者への補助金も打ち切られる。避難解除地域へ戻っていくのは70代以上の地元に愛着が残っている人たちが主で全避難者の1割以下だろうと予想されている。6年間という避難期間の長期化に伴うコミュニティーの崩壊である。避難者は避難先で住居を購入し、新しく家を建てると同時に仕事を見つけ新たな出発をした方が多いのが現実である。政府をはじめとした行政機関も悪いデータを隠し公表しないことが多い。それは福島第1原発事故でも同じだろうし、福島原発事故はすでに終了したことになっているが、廃炉問題や汚染水処理問題を含めて問題は山積しているのが実態だと思う。

 

野生動物は自分の生活区域から遠くに避難はできない。そのため誕生と死という世代交代を繰り返しながら人間がいなくなった環境こそが野生動物にとっては本来の生活環境だ、とばかりに闊歩しだした。その状況はこれからも続くだろうが、やがて再び人間が戻ってくるかもしれない。その時に野生動物と人間との新たな関係ができてくるのだろうと思う。

 

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