散歩4:やはりYEBISUは美味いなぁ
品川駅から白金台を通って恵比寿駅まで歩いてみた。いつもは一人できままに歩いているが、今回は妻と一緒だった。夕方、両国国技館で開催されている大相撲1月場所の観戦に先立つ散歩である。品川駅の高輪口で下車し東禅寺に向かった。東禅寺境内には美しい三重塔が建っている。惚れ惚れとする立ち姿である。境内に乳母車を押したお母さんとその乳母車に乗ってきたのであろう1歳ほどの女の子が散歩をしていた。鳥の囀りだけが静かに聞こえてくる境内だった。三重塔の脇に母子観音が立っていたが、観音様が抱いている子どもの頭には誰が被せたのであろうか紅い毛糸の可愛い帽子が載っていた。空気は凛と冷え込んでいたが、そこだけがいやに目立ち暖かい温度を発していた。その母子観音像に周りの紅白の山茶花が頬笑みを投げかけていた。品川駅から10分ほど離れているだけだが駅前の喧騒から離れ静寂そのものの世界が拡がっていた。この東禅寺は幕末の動乱期に日本初のイギリス公使館として使われた寺でもある。
東禅寺をでたあと北上し明治学院大学を訪れた。明治学院大学はヘボン式ローマ字を提唱したヘボン宣教師が設立した学校で設立150周年だという。正門受付で見学の許可をもらってキャンバスに入った。尖塔が見事なチャペルを始めとし明治時代に建てられた建物がすぐに目に飛び込んできた。いずれも美しい建物である。チャペルのドアは開いていますが見学はできません、と正門受付で言われていたので入室は遠慮せざるをえなかった。チャペルの隣に明治学院記念館が建てられており、庭に「アンネのバラ」が花開いていた。バラは黄色と赤味を帯びた丸い形をしていた。アンネとは『アンネの日記』で有名なアンネ・フランクであり、そこから命名されたバラの花である。苗木をドイツのホロ・コースト記念館からいただいたものだという。賢かったアンネは15歳で殺されてしまったが、「もし、神様が私を生きながらえさせて下さるなら・・・ 私は世界と人類のために働きます」という意思は、今、目の前のバラの花を見た人間に平和について考える切っ掛けを与え続けているのだと思う。チャペルの裏手に回ると雪の中に島崎藤村校歌碑が建てられていた。島崎藤村が明治学院大学の卒業生であったことも校歌を作詞した人であったことも初めて知ったことだった。この歌碑を建てる際にエピソードがあり、最初は島崎藤村の銅像を建てる予定でいたが、藤村本人から明治学院という学校は個人の銅像を建てるような学校ではないと言われ校歌碑になったという。さすが個人崇拝を否定する藤村である。
恵比寿に向かう途中で、映画『一心太助』に登場し天下のご意見番でお馴染みの大久保彦左衛門の屋敷跡を日立の創立者が庭園に変えたという「八芳園」に立ち寄った。車の出入り案内をしていた係員に庭園の見学の許可を取り中に入ると、広い庭園の一角で結婚式の野外撮影をしていたのに出会った。花嫁の女友達も写真に写るのだが待機している時間が長く、強く冷たい風が吹いているので見ているこちらが肌寒く感じる風景だった。庭園は一番低い所に池が造られており、その池に流れ込む水と傾斜地に植えられた紅葉や桜や椿などの木々の四季折々の色彩を愛でる形をとっていた。あいにく訪れたのが1月下旬だったため木々の芽吹きや紅葉には出会えなかったが、その見事な景観は想像できた。脳裏に浮かび上がった景色は素晴らしい深紅に輝くモミジであり、白く輝く新緑の景色だった。
「八芳園」を出た後は恵比寿ガーデンプレイスを目指した。目的は当然のことビヤ・ステーションである。向かう途中で「金麦」という発泡酒と同名のパン屋さんが目についたので入ってみた。手作りのパン屋さんで店内には買ったパンを食べたり、コーヒーを飲んだりすることのできるコーナーもあり、2グループが食事中だった。私と妻は一つずつ気に入ったパンを買い、それを食べながら目的のビヤ・ステーションに向かった。
ガーデンプレイスのB1を暫く歩いていき地上に出ると無農薬野菜や無農薬果樹の販売イベントを行っていた。私も家庭菜園をやっているが堆肥を施す無農薬農業である。妻とともにテント内に並べられているものを一通り見て回ったが、買い求めるところまではいかなかった。イベント会場の隣が目指すビア・ステーションである。入店し案内された席は時間の関係もあり窓際の席は全て埋まっていたため、ほぼ中央の席だった。ランチメニューがあったので、そのなかから二つを選び、YEBISU生ビールを頼んだ。テーブルに運ばれたジョッキを掲げて妻と乾杯。生ビールが喉元を過ぎ胃袋に収まる満足感を味わうと次にYEBISU黒生ビールを頼んだ。私は黒ビールの甘いような濃い味も好きである。四方山話を妻と語るうちに時間は過ぎ、両国国技館へ向かう時間となった。