散歩5:人形町「柳家」の鯛焼き
柳屋・高級鯛焼
2月下旬、空は雲に覆われ底冷えがする気温だったが、伝馬町・人形町・日本橋の散歩に出かけた。
散歩に先立ち秋葉原にあるニッピン本店に以前購入したイタリア製登山靴の底張りが出来るかどうかを問い合わせると、期間は約1カ月で料金は15000円で可能とのこと。新品を買うと33800円なので底の張替えのほうが経済的と判断し愛用の登山靴を持参して修理を依頼することにした。実際に秋葉原本店2階の登山スタッフに見せたところ、靴底だけでなくラバーも張替えですか? との質問が来た。7〜8年愛用した登山靴はラバーもボロボロになっており当然張り替えるわけだが、私の感じとしては靴底の張替えはラバーも含めてのことと思っていたが、スタッフは靴底と本体を包み込む横のラバーとは違うと言う。そこでラバー張替えを含む靴底張替えの料金を再度確認すると25000円とのことだった。イタリア製の靴本体は十分頑丈で型崩れもしていないが、修理の場合と新品購入の場合では8800円の差額出費が生じるが、私はあえて新品を購入することにした。私のイメージとは随分違ってしまったが、新しく購入した登山靴を背中のディバックに入れて当初予定の人形町界隈の散歩に出発した。
最初に降りたのは地下鉄日比谷線の小伝馬町駅で、駅近くにある伝馬町牢屋敷跡に向かった。現在では十思公園となっている伝馬町牢屋敷は、徳川幕府の成立とともに慶長18年(1613年)に発足し、明治維新後の明治8年(1875年)に市ヶ谷へ移転するまでの約260年間に渡って揚座敷、揚屋、大牢、百姓牢、女牢などの獄舎と拷問蔵などがあり罪人収容施設として存在した歴史を持っている。薩摩藩とともに明治維新の原動力となった長州藩の高杉晋作や久坂玄瑞などの若き志士達の思想的バックボーンとなり多大な影響を与えた吉田松陰が安政の大獄で縄を打たれ処刑された場所でもあり、公園の片隅に「松陰先生終焉之地」という顕彰碑が建てられていた。東京都教育委員会が立てた伝馬町牢屋敷の説明文を読むと収容人員は350人ほどだが最大700人ほどが収容できたとのこと。昔から火付け、盗賊、殺人を犯す人が絶えないことを考えると何て人間は愚かなのだろうかと思わざるを得ない。
次に目指したのは明治座と浜町公園である。明治座では橋田壽賀子原作の「かたき同志」という芝居の1カ月公演が行われており、3月公演の北島三郎特別公演のポスターが貼られていた。明治座を初めて見たが歌舞伎座と異なり近代的高層ビルだった。最も新橋歌舞伎座も今年の春には近代的ビルに建て替えられるのではあるが、古い形の建物を想像していたので随分イメージがずれてしまった。明治座の脇で「藤山直美」「三田佳子」「沢田雅美」などの名前が書かれた赤や黄色や青色の幟旗が風にはためいていたのが印象的だった。その明治座の玄関から道路一本を挟んで浜町公園の入り口に1945年3月10日の東京大空襲で亡くなった人たちを供養する観音様が祀られていたので、そっと頭を垂れた。東京大空襲から既に70年近くの歳月が流れ、実際に空襲を体験した人たちが次々に世を去り、戦争の悲惨さや戦後の飢餓の時代を伝える人たちが少なくなるなかで、再び「国防軍」などという名前が政治の舞台に登場しつつあるのをみていると、人間というのは何と過去に学ばない愚かな動物なのか、ということを考えてしまうのである。
明治座前から水天宮に向かう道路には緑色の「下町の散歩道:甘酒横丁」の桃太郎旗が立ち並び、昔ながらの小間物屋、酒屋、おもちゃ屋、駄菓子屋、写真館、喫茶店などの小粋な店が軒を連ねる。その1軒に創業90年、高級鯛焼き「柳家」の紅い看板が目に留まる。今回の散歩で目的にしていた店でもある。鯛焼きを焼く店先で大学生らしき若者数人が買ったばかりの鯛焼きをほおばり、「美味しいね」と言いつつ携帯カメラで写真を撮りあっていた。「柳屋」は人気店なので鯛焼きを買い求める人たちの行列は出来ていないのだろうかと思ったが、行列は店外ではなく店内に13人が並び順番を待っていたのである。私も列に並ぶこと10分程で1個140円の鯛焼き7個を買うことが出来たのである。列に並んでいた20代のカップルは「今日は平日なので列が短くて良かったね」という会話とともに携帯カメラで店の状況を写していた。私もポケットからカメラを持ち出し、店頭で鯛焼きを焼いている職人さんを含めて5枚ほどシャッターを切ったのであった。2月の寒い日であったが職人さんは半袖姿で鯛焼きを次々に焼いていた。焼きあがったばかりの鯛焼きを注文数によって多い場合は経木に包み込みお客さんに手渡す売り子の女性が二人で頑張っていた。ここの鯛焼きは尻尾まできちんと粒餡が入っており、私は普段は甘いものを殆んど食べないが美味い鯛焼きだと思った。人気の秘密が食べてみて実感できたのである。
散歩は更に水天宮へと向かった。水天宮が安産・子育ての神として信仰されているのは周知の事実であるが、私は水天宮を訪れるのは初めてだった。思ったより境内が狭い感じを受けた。焼け野原となった東京のなかで戦後の復興と都市化の波のなかで次々に境内を削られていき、現在の姿になったのだろうと思った。それは本殿の周辺だけが周りから浮きあがり水天宮境内として残っているという立地条件からうかがえることである。境内では紅白の梅の花が開きほのかな甘い香りを漂わせていた。子育て河童の像や犬の親子像なども建っており、乳母車を押した若夫婦や若い女性が手を合わせる姿が目にとまった。70歳代と思われる女性グループが水彩画で境内の写生をしているのを見かけたので手元のスケッチブックを覗いてみると結構巧く描いているのは意外だった。
今回の散歩コースも終盤になり、蛎殻町交差点を右折して日本橋を通過し工事中の三越日本橋本店脇を左折して辰野金吾の設計した日本銀行本店を見に行った。首都高速道路を走っていると緑の屋根が印象的な日本銀行本店だが、歩道から眺めると立派な建物であることが実感できる。バスでやってきた20名ほどの観光客が受付で予約確認されて門から入って行くところだった。予約すれば旧館地下金庫室や資料室が見学できるとのことだ。道路を挟んで反対側に日本銀行別館が「貨幣博物館」として建っている。以前、貨幣博物館には入館したことがあり、1億円の重さを持つことで実感できる体験コーナーがあったことを思い出したのである。
地下鉄東西線日本橋駅に向かう途中に島根県と奈良県のアンテナショップがあったので寄ってみた。目的は地酒である。島根県のアンテナショップでは「のど黒」という純米吟醸酒を、奈良県のアンテナショップでは「猩々・露涼し」という純米吟醸酒の300ml瓶をそれぞれ買った。帰宅して晩酌で一杯やるのが楽しみである。日本橋の袂で江戸盆栽なるものを売っているのを見た。ピザのデリバリーバイクのような形のバイクの中にミニ盆栽を積み込み様々な場所で露天商売をするようだ。盆栽が実に小さいのだ。5cmほどの器に育つものを含めて値段は500円〜3000円だった。私は今のところ盆栽には興味がないのでじっくり見ることはしなかったが、盆栽を育てるのも商売として売るのも大変なんだろうなぁと思った。