散歩3:松島屋の草餅も美味かった
松島屋(だんご、草餅)
田町駅で下車し慶應義塾大学を訪れたあと高輪台を通り品川まで歩いた。慶應義塾三田キャンパスを訪れたのは40数年ぶりだった。以前出向いた時はキャンパスも広々としたイメージであったが、今回訪れると建物が密集し息苦しい感じを受けた。正門受付で見学許可を求めるとキャンパス案内パンフレットを渡してくれた。キャンパス内の建物ごとの説明が書かれたもので一目瞭然に理解することができる。私が観たかったのは旧図書館と慶應義塾大学の創設者である福沢諭吉胸像であった。いただいたパンフレットを片手に右側に回り込んでいくと、突然「門はどちらですか?」という若い男性の質問がきた。私も部外者ではあるが、今入ってきた正門の方角を指差し「この坂を下っていくと正門に出ます。そこから田町駅まで5〜6分ですよ」と教えたのである。
目指す旧図書館はすぐに見つかった。レンガ造りの壁に大時計が設置された風格のある建物だった。その建物の入り口に南の海側を向いて福沢諭吉の胸像が置かれていた。旧図書館の中に入ってみた。そこだけ空気が止まっているように感じた。廊下の左側のガラスの陳列ケースの中に『学問のすゝめ』の初本が置かれていた。目を凝らさないと読めないほどに茶色に変色したページには「天ハ人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり・・・」という文章が目に止まった。確かにこの書き出しで『学問のすゝめ』は始まっていたなぁと思った。また、著者名を見ると福沢諭吉と小幡篤次郎の同著となっており、『学問のすゝめ』は共著だったのかと改めて感じた。また慶應義塾大学の教授は「君」付けであり、先生と呼ばれるのは福沢諭吉ただ一人であることも記されていた。なるほどなぁと感心してしまった。
1階から2階へと階段を上がっていく踊り場にステンドガラスが輝いていたが、驚いたのはそこに描かれている絵であった。それは和洋折衷の絵であったが男性と女性が描かれており、槍を持った男性は馬を従え源平時代のような鎧を着ており、右手を挙げた女性はドレス姿で左手には慶応のマークとなっているクロスしたペン先が描かれた色紙を持っている、というものだった。なぜこのような和洋折衷の絵が描かれているのか知る由もないが不思議な絵を掲げているものだと思った。
慶應義塾大学の見学を終え寺町通りを高輪台方面へと歩いて行ったがバス通りから一本奥の通りに入ると実に静かな雰囲気となった。寺の敷地の隣にまた寺があるようにとにかく寺が多く、びっくりするほどの多さだ。その中の一つの門前の掲示板に掲げられていたのが「ちいさなてのひらでも しあわせはつかめる ちいさなこころにも しあわせはあふれる」というやなせたかしの一文だった。
やなせたかし
やなせたかしはアンパンマンの作者である。愛や大が小さかったころテレビで放送されるアンパンマンをよく見て喜んでいた。もう20年も昔のことだが、あのアンパンマンのテーマの歌詞は実に心に沁みるものであり、子どもだけでなく成人した人も心に留めておくものだと思った。
1番
なんのために生まれて なにをして生きるのか
こたえられないなんて そんなのはいやだ!
今を生きることで 熱いこころ燃える だから君はいくんだほほえんで
そうだ うれしいんだ 生きるよろこび たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン やさしい君は いけ! みんなの夢まもるため
2番
なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ
わからないままおわる そんなのはいやだ!
忘れないで夢を こぼさないで涙 だから君はとぶんだどこまでも
そうだ おそれないで みんなのために 愛と勇気だけがともだちさ
ああ アンパンマンやさしい君は いけ! みんなの夢まもるため
寺町通りを抜け高輪台へと進む右側に手作り和菓子の『松島屋』の赤い暖簾が目に付いた。小さな店である。乳母車を押した若いお母さんと若い女性事務員の先客がいた。二人が買い終えるのを待って豆大福を頼んだが、既に売れ切れていたため草餅を5個頼んだ。勿論、妻への土産である。帰宅して妻とともに食べたがとても美味かった。