かっぱ橋道具まつり

 

かっぱ橋道具街の商売繁盛を願う金色の「かっぱ河太郎」

 

 10月8日、朝のテレビ番組を見ていると「今日から第30回かっぱ橋道具まつりが始まり、1週間のまつりの期間中に訪れる人は約40万人です」とアナウンサーが話しているのが聞こえ、西浅草のかっぱ橋道具街が映し出されると同時に大会実行委員の方のインタビューが流れた。メインは14日の祝日に道具街が歩行者天国となり、ブラスバンドパレード、チアリーディング、東京消防庁防火パレード、和太鼓ステージなどのイベント内容が紹介され、復興支援物産フェア、ミニコンサート、カラくじ無しの大抽選会も企画されているという。行かねばなるまいと思い、即行動に移した。

 

 今年の夏は9月いっぱいまで猛暑・極暑が続き、あまりの暑さにぶらり散歩は休止していたが、これを契機に復活することにした。今回はかっぱ橋道具街を見て回るのをメインとし、鳥越神社、蔵前神社、かっぱ橋道具街、伝法院通り、浅草神社、浅草寺を回るコースを設定した。9時に家を出れば15時ころには帰宅できるだろうと考え幕張の家を出た。

 

 JR浅草橋駅で下車し東口から江戸通りに出た。正面の「人形の久月」の大きな看板が目につく。息子の大が生まれた初節句のお祝いに兜を買った9階建ての久月総本店だ。大の兜を買ったときは入店から買い物をして出るまでに30分とはかからなかった。私はパッと見て直感でこれがいいと判断し買ってしまう。その時もそうで、入店時に声をかけてきた人が出たときにも声を掛けてきた。買い物は済ませたと答えるとその速さにびっくりしていたのをもう20数年前のことだが思い出す。

 

江戸通りを北上し蔵前1丁目の交差点を左折すれば鳥越神社だ。1月8日に行われる鳥越祭りは都内最大の千貫神輿の渡御で有名だ。JR浅草橋駅から歩いて20分ほどだ。周りは全てビル群に取り囲まれ肩身の狭い感じで創建651年と伝えられる鳥越神社は静かに佇んでいた。道路脇に建つ神社だが車の喧騒からは遮断され境内は静かだった。東日本大震災復興支援の桃太郎旗が微かな風に揺れている前を赤い帽子をかぶった保育園の園児たちが保育士に連れられて賑やかに歩いて行った。二礼二拍手一礼でお参りを済ませ蔵前神社に向かった。空は抜けるような青だった。

 

 新堀通りを北に向かい蔵前小学校を横に見て国際通りを横切ると蔵前神社だ。この神社は勧進大相撲発祥の地として有名な神社だ。神社縁起には江戸時代の元禄6年(1693年)、京都の石清水八幡宮を勧請したのが始まりだと述べ、神社境内で勧進大相撲が1757年を初回として約70年間に23回開催されたという。大関谷風、関脇小野川、大関雷電らの力士たちが力相撲を繰り広げていたという。特に63連勝中の谷風が新鋭小野川に「渡し込み」敗れた一番は江戸中が大騒ぎになったとの記録を今に伝え、また、現在にも形を残す縦番付は宝暦7年に開催された本場所から始められたという。石鳥居の脇に建つ石柱には大日本相撲協会、横綱千代の山、横綱鏡里、大関栃錦らの懐かしい名前が刻まれていた。大相撲はお袋が好きなので、今年も1月場所、5月場所、9月場所の本場所3回と高見盛引退相撲と合わせて4回両国国技館へ相撲観戦に出向いた。

 

蔵前神社境内に立つ元犬の像

 

力士の四股名と共に落語家林家正蔵の名前も刻まれていたので???と思ったが、境内に立つ犬の銅像と説明版を読んで納得した。その説明版によると古典落語「元犬:蔵前の八幡さまの境内で満願叶って人間になった白い犬が奉公先で巻き起こす珍騒動は・・・」や「阿武松:江戸時代の勧請大相撲発祥の地 蔵前の八幡さまで名横綱に出世した相撲取りの人情噺」ゆかりの神社として蔵前神社があるということだった。今度その落語を聞いてみたいものだと思った。

 

 蔵前神社にお参りしたあとは新堀通りに戻り北上すれば菊屋橋の交差点から「かっぱ橋道具街」が始まる。浅草通りから言問通りまで道の両側に約180軒の店が連なっており、和洋中華食器、陶器・漆器、料理飲食店用器具、包装用品・容器・装飾品、サンプル・白衣、菓子製パン機械器具、厨房設備・冷蔵庫、和洋家具、金網・看板・のれん・竹製品、ショーケース・ディスプレイ、喫茶材料・製菓材料、等々、様々な種類の食品関連道具を展示販売している。最初にかっぱ橋道具街を歩いたのは妻とJR上野駅から浅草寺までの散歩の時で今から5年ほど前であったが食品関連道具の店の多さにびっくりしたのを思い出した。

 

 私は行きつ戻りつ両側に立ち並ぶ店の一軒一軒を丁寧に眺めていった。その中で岩魚の骨酒を注ぐ岩魚の形をした徳利が目に付いた。大と小が並んでいたので勿論大を買い求めた。これだけで今回かっぱ橋に来た甲斐はあったようなものだ。一つ目の買い物は2100円だった。二つ目は青緑色に輝くぐいのみを買った。素晴らしい色だ。500円だった。三つ目は蕎麦笊を買った。450円だった。周りがしっかりした笊だった。3個とも良い買い物をしたと思った。

 

 合羽橋交差点から浅草寺に向かう途中でお昼ご飯にするため日本料理屋に入った。座敷はいっぱいだった。一人なのでカウンターに座りメニューから和食膳を頼んだ。刺身、天婦羅、肉、お新香、味噌汁にご飯が付いていた。瓶ビールを飲みながらおかずを食べた。いずれも美味かった。ご飯はおかわり自由とのことだった。私はいつもご飯を食べないが、それぞれのおかずでご飯がいっぱいずつ食べられるような感じだった。ほろ酔い加減で浅草寺に向かった。

 

浅草寺本堂の天井絵画「天女の舞い」

 

 浅草ロック街から伝法院通りを歩き、仲見世から浅草寺境内に入り本堂にお参りする前に三社祭で有名な浅草神社にお参りした。鳥居から本殿に向かう境内が工事中だったので西側から境内に入った。中国人のグループが賑やかに写真を撮りあっていた。浅草神社には浅草寺の本尊である観世音像を隅田川での漁の最中に見つけた檜前浜成・竹成兄弟とその像を祀るために寺を建てた郷司土師仲知の3者が祀られている。三社祭は浅草神社の例大祭である。小学生のグループがたくさん見学に来ており観光ボランティアの年配の方たちが紙芝居形式で浅草寺と浅草神社の起源を説明していた。中々上手な絵だった。

 

 浅草寺本堂に入った。この本堂に入ると私は必ず天井に描かれている龍と二人の天女の絵を見上げることが常となっている。龍は爛々とした眼で睨みをきかし、二人の天女は優雅に舞っている。その舞姿がピンクに輝きとても色っぽいのだ。私はこの天女の絵がなんともいえず好きなのである。浅草寺はいつもの通り老若男女で賑わっていた。お参りを済ませ大勢の参拝客で賑わう仲見世通りを歩いていると店頭で人形焼の実演販売をしているのが目にとまった。妻の土産にひと袋買い片手に下げて帰宅となったが今回も良い散歩ができた。

 

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