散歩10:神楽坂から靖国神社へ
神楽坂上交差点近くにある饅頭の五十番神楽坂本店
久しぶりに都内の散歩に出た。今回歩いたのはJR飯田橋西口を出て右折し神楽坂を上り、赤城神社にお参りし地下鉄東西線の神楽坂駅前を左折し、新潮社、旺文社の前を通り大久保通りに出たら左折し、神楽坂上に戻ったら神楽坂を下ってJR飯田橋西口に出て牛込橋を渡ったところを右折し、外堀沿いを走る中央線の列車を眼下に見ながら土手の上を歩き、東京逓信病院や法政大学を過ぎたところで左折し、靖国神社に立ち寄ったあとは九段の坂を下って九段会館を見て、神田神保町の古本店街まで歩くというコースを設定し、所要時間は3時間と予想した。
JR飯田橋駅を降りたのは11時30分だった。駅前を右に進むと神楽坂の商店街が始まる。そのスタート点に神楽坂の由来が書かれた標柱が建っていた。読んでみると神楽坂の由来も多々あるようだ。その脇に坂の両側に建ち並ぶ商店街概略図が表示されていた。妻は飯田橋での保育研修後にしばしば神楽坂を訪れ、散策や食事を楽しんでいるので街の雰囲気を話してくれていたが、私は神楽坂を歩くのは初めてだった。ゆったりとした坂を上っていくと江戸切子、陶器、甘味処、雑貨、着物、靴、日本料理、中華料理、ラーメン、居酒屋など小さいながらも沢山の店が連なっている。脇道の路地を覗き込むと、そこにも店名を掲げた食事処が目につく。お昼近くの時間になっていたので私は『俺流塩ラーメン神楽坂店』に入り、餃子からあげコンビ、俺流おつまみ、瓶ビールを頼んだ。ほどなく大瓶のビールが出された。最近飲食店で出されるビール瓶は中瓶が主流で大瓶を出す店が少なくなっているが、大瓶が出されたことで幸先いいスタートとなった。からあげは少し揚げ過ぎでパサパサしていたが餃子もチャーシュウともやしを混ぜたおつまみも美味かった。入店した時の客は2名だったが食事後に出る時は10名を越えていた。
ほろ酔い加減の食事後に更に坂を上っていくと饅頭屋『五十番』が目についた。先日、妻が有名店で評判だからと言って、肉まんとピリ辛肉まんを買ってきたので夕食時に食べたことがあった。ふたつともコンビニなどで売っている饅頭に比べると大きな饅頭だった。その時は店名を聞かなかったが、たぶん『五十番』だったのだろうと思い、ショーウィンドウを覗くと海老チリまんと五目まんが目についた。呼び鈴で店員を呼んで2種類の饅頭を買った。ふたつで1100円だった。店内にお客がいたので注文すれば蒸かしてくれて食べることが出来るのだろうと思った。帰宅後の夕食時に蒸し器で蒸した後に妻と一緒に食べたがとても美味しかった。饅頭にしてはいい値段だったが値段だけのことはあると思った。神楽坂下から神楽坂上までの区間が商店街の中心のようだった。路地に入るとコンサート案内、寄席案内、陶芸案内などもあって中々面白い場所だと思った。
神楽坂上から地下鉄神楽坂駅に向かう途中に赤城神社の赤い鳥居が目についたので寄ってみた。群馬県の赤城山に鎮座する赤城神社から分霊したのが室町時代のことで、江戸城を築城した太田道灌が牛込の地へ遷座したと由緒記には書かれているようだ。境内には、赤城神社から分霊した牛込の総鎮守である赤城神社、菅原道真を祀った蛍雪天神、地主の神として祀った出世稲荷神社、聖徳太子を祀った八耳神社、徳川家康を祀った葵神社などが建てられているが、赤城神社を含めて5年前の2000年(平成22年)に建て替えられたため全てが新しく、合わせて予算の関係からか建物がぺらぺらで軽々しく感じられた。
神楽坂地域の散策を終え靖国神社に向かった。途中の外堀沿いの土手の桜は見事な大きさだ。土手の上に遊歩道が整備されていたので、そこを歩いた。昔、40年も前になるが20代の頃に東京逓信病院や法政大学を訪れたことを思い出したが、その頃とは違い立派な建物に代わっていた。
靖国神社境内に積まれた『全国靖国献酒会』の奉納酒樽
靖国神社境内には南門から入った。入ってすぐの場所に中門鳥居が建っており、鳥居をくぐると拝殿だった。鳥居の左横に25歳でフィリピンルソン島で戦死した相良安次郎陸軍中尉の遺書が掲げられており、日本語と英語で配布用に印刷されたものが沢山積まれていた。遺書には日本の敗戦の7か月前の日付が書かれていた。こういう遺書を読むたびに、国策を信じ純粋なるがゆえに自らの命を積極的に捧げて行った青年や少年たちの不憫さを思う。拝殿には向かわず右側に回っていくと「全国神社奉納絵馬展」で各地の絵馬が掲示されていた。群馬県と千葉県の奉納絵馬を探すと、群馬県では群馬県護国神社、貫前神社の2社が、千葉県では千葉県護国神社、玉前神社、香取神宮の3社の絵馬が掲げられていた。反対側には「全国靖国献酒会」の酒のラベルが掲示されていたので、こちらも群馬県と千葉県を探すと、群馬県では巌、赤城山、ふじ泉、司の4酒が、千葉県では腰古井、梅一輪、糀善、寿萬亀、岩の井、富士乃友の6酒が掲示されていた。奉納された酒樽が第2鳥居の右脇に積み重ねられていた。
東京の桜の開花日を決める桜の標本木が靖国神社境内に植えられていることは毎年のニュースで知ってはいたが、その木がどこに植えられているのか私は知らなかった。能楽堂横に靖国の桜と称する桜が沢山植えられている場所があり、その中の1本に「桜の標本木 この桜は、東京管区気象台が指定した東京地方の桜(ソメイヨシノ)の標本木です。」の立看板が立っていた。横に曲がってしまった樹には木が倒れないように4本の添え木と樹皮サポーターが巻かれていた。幹の太さは細いのだが何だか高齢な桜のように感じられ、大丈夫かなぁという気分になってしまった。
靖国神社能楽堂横の「桜の標本木」
零式艦上戦闘機(ゼロ戦)が展示されている遊就館には向かわなかった。太平洋戦争末期に考え出された1機1艦撃沈の特攻戦術は、効果は全く無いことが分かっていたにもかかわらず破れかぶれで若者たちに死を強制した。昨年上映された映画『永遠のゼロ』にしてもそうだが、特攻隊は美化され過ぎていると思う。高木俊朗著の『特攻基地
知覧』(角川文庫)で書かれていることが実態だろうと思う。