大賑わいの三社祭

 

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威勢よく神輿を担ぐ若い衆

 

 5月18日、快晴

朝から雲ひとつなく晴れあがったので浅草の三社祭の最終日を見るために出かけてみた。雷門通りが歩行者天国になる予定なので浅草神社から出た神輿が雷門の大提灯の下を潜って通りへ出て練り歩くのを見るのが楽しみだ。

 

総武線の浅草橋駅で地下鉄に乗り換え浅草駅で下車するとホームはすでに人人人で大賑わい。駅員が雷門口ではなく別の出口から地上に出るように案内しているが、降りた乗客は駅員の誘導に耳をかさずにゆっくりと雷門出口へと流れていく。私もその一人だった。地上に出て歩行者天国になっている雷門通りまで歩いて来ると町内神輿を担ぐ集団に出会う。浅草神社氏子44町内会がそれぞれ引き継がれている約100基の神輿を担いで練り歩くので、あっちでもこっちでも神輿を担ぐ威勢のいい声が聞こえてくる。

 

東京で最も古い寺が聖観音菩薩を祀ってある浅草寺。その観音様を発見した漁師兄弟と観音様を手厚く祀った者を神様としたのが浅草寺の隣に建つ浅草神社(三社さま)。三社さまの起源は、推古天皇の時代に隅田川で漁をする桧前浜成・竹成兄弟が網にかかって拾い上げた像が聖観世音菩薩という観音様。兄弟から観音様の対応相談を受けたのが郷土の文化人だった土師真中知という人。土師は自分の敷地に祠を建てて観音様を厚く信奉した。土師が亡くなった後、その息子の夢枕に観音様のお告げがあり、桧前浜成・竹成兄弟、土師真中知の3人を神様として祀ったものが三社さま、との伝承が伝わっている。平日の浅草寺境内を訪れると地元ボランティアによる観光ガイドが紙芝居によって伝承物語を語っているのに出会える。私も一度、観光ガイドの話に耳を傾け、なるほどと思った経験がある。

 

聖観世音菩薩は浅草寺の僧侶でも目にすることはできないという。もともと一緒だった浅草寺と浅草神社は明治維新後の神仏分離令によって浅草寺と三社明神社(浅草神社)に分離された、という歴史を持つという。

 

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浅草のランドマーク雷門の大提灯も神輿通過のため畳まれる

 

 三社祭りは明治5年から1年おきに5月17日、18日の両日に例大祭が行われてきたが、現在では5月17日、18日に近い金曜(初日)・土曜(中日)・日曜(最終日)の3日間で行われている。特に3日目の最終日が浅草神社の本社神輿3基が朝6時に神社を出発し、仲見世を通り雷門から通りに出て各町内会を練り歩く「本社神輿町会渡御」が勇壮で夕方の宮入まで続く。雷門の大提灯は神輿が通れるように畳んであるのが分かる。三社祭は江戸っ子の花、東京の初夏の風物詩でもあり、ビールを片手にその賑わいを見るのもいいものである。

 

 私の二人の子ども愛と大がまだ小さかった頃、2年ごとに行われる赤羽神社の例大祭に会社の後輩に誘われて神輿担ぎに度々出かけた事があるが、朝6時からの宮出から夕方18時頃の宮入までの12時間1本勝負で行われる各町内会への神輿渡御は、途中途中の神酒所で休憩するとはいえ本当に体力勝負だったことが思い出される。神酒所では酒は飲み放題、食事も食べ放題であったが、そんなに立て続けに飲んだり食べたり出来ないものである。それが昼食をはさんで12時間続くので神輿担ぎは本当に体力勝負の世界だった。神輿は威勢が良くて観客としてビールを片手に見ている分には気持ちがいいものだが、担ぐとなると途中で辞めるわけにもいかず結構辛いものなのである。

 

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