応援に回った第43回安中遠足マラソン

 

スタート地点の安中市文化センター

 

 毎年5月の第2日曜日の母の日に群馬県安中市で行われるマラソ行事がある。日本におけるマラソン発祥行事ともいえる『安中遠足(とおあし)マラソン』である。今年は数を重ねて第43回目となった。今年の募集定員は碓氷峠コース28.97kmが350名、関所・坂本宿コース20.15kmが1450名の合計1800名であった。私が侍マラソンに参加することは毎年の恒例行事と位置付けているので、申し込み初日の2月6日にインターネットから「関所・坂本宿コース」の申し込みを済ませた。同時に久々に出走する私の弟と山仲間の武者のエントリーも済ませた。

 

 大会出場に向けてジョギング練習を再開したのは3月上旬であったが、何回か走っているうちに左膝に違和感を覚えるようになり、5kmのジョギング終了時には痛みで走りきることができない状態ともなった。風呂上がりに右膝と左膝を見比べてみると、明らかに左膝が晴れているのが分かった。原因は分からなかった。外見では腫れているのだが中身がどうなっているのか病院に行って調べてもらうことにした。

 

 プロボクサーの息子に幕張の近くで関節関係の病院はどこで診察を受けたらいいだろうかと相談すると船橋整形外科病院を紹介された。ネット検索で病院の場所を調べて出かけたのは4月10日だった。東秀隆医師が担当となり、問診と触診のあとレントゲンを撮って診断結果は「左膝関節周囲炎」というものだった。骨に異常はないが筋肉がどうなっているかはレントゲンでは分からないので、MRI撮影をした結果で判断しましょう、ということになり、関連病院の西船橋クリニックでMRI撮影を行った。その結果、左膝内側の半月板が擦り減っているのは経年劣化で、筋肉に水(リンパ水)が溜まっているとのことであった。リハビリプログラムにのっとったエクササイズをリハビリセンターで受けるようにしてください、とのことだった。

 

 船橋整形外科病院内にあるリハビリセンターに行くと、こんなにもリハビリをしている人がいるのかと思うほどの人たちが各種の運動をしていた。私の担当になった理学療法士は佐部利友紀という可愛らしい20代の女性であった。私の立ち姿、歩く姿、片足立ち、踏み込み姿、関節の動き、左膝の腫れ状態などを確認した後で、佐部利さんが『リハビリテーション総合実施計画書』というものを作った。目標は臀部出力改善として、リハビリプログラムとホームエクササイズが書かれていた。それにのっとってインストラクターが各種器具を使う運動や身体単体で行う運動を教えてくれた。私はこの種のことをやるのは初めてで、最初は戸惑ったがすぐに慣れた。

 

 東医師や佐部利理学療法士からは、あまり過激な運動は避けるように言われていたが、4月下旬から高野山町石道と熊野古道・小辺路を合わせた95kmの45日のトレッキングが計画されていた。計画を見合わせようかと考えてもみたが、膝の様子を見ながら熊野には出かけることにした。

 

安中藩赤備隊のスタート

 

 計画通りに高野山町石道と熊野古道・小辺路を歩きとおした後の左膝の調子は、相変わらず腫れてはいるが痛みはなく出かける前と殆ど変わりはなかった。山旅から帰ってきたあとも1週間に1回のリハビリセンター通いは再開したがジョギングは中止していた。そのような経過と2か月後の7月17日からヨーロッパアルプスのモンブラン一周トレッキングに出かけるので、残念だが今回の侍マラソンは大事を取って出走を取り消し応援に回ることにした。

 

 応援といっても例年通りに素浪人の仮装姿でスタート地点に立ち、ゴール地点も仮装姿で甥の一騎、弟の久芳、友人の武者がゴールに飛び込んでくるのを待っていた。1kmあたりのタイムを7分として8時スタートなのでゴール到着時刻を2時間20分後の10時20分と予想していたが、待てど暮らせど3人のランナーはやってこなかった。沈没したのかと思っていたところ予想よりも20分遅れてバテバテの状態で姿を見せた。普段の練習不足が如実に表れた結果であった。一緒に峠の湯に入り、風呂上がりに完走祝いを兼ねて池之端で宴会を開いた。赤いラズベリーが見事な花を咲かせていた。