緑の風を受け快調に走れた侍マラソン2010

 

 5月の第2日曜日は『母の日』であるとともに『安政遠足:あんせいとおあし』イベントの日でもある。『安政遠足』は群馬県安中市で開催される侍マラソンとして全国的に知られており今年(2010年)で36回目となった。私は元気なお袋(83歳)の顔を見るために毎年群馬の生家に帰って侍マラソンに参加し続けている。今年の侍遠足(侍マラソン)に出場したのは私、弟の久芳、甥の一騎、の3名であ
る。久芳が8年前にリタイヤした代わりに一騎が初出場し走っているわけだが、久芳にとってはそれ以来8年ぶりの出場である。久芳は雨の日以外は昼休みに職場の周りを5kmほど走っていたようである。絶好調と言いながら参加していた。

 応援団は当初、娘の愛も妻と一緒に行ける予定であったが、大学の課題提出日程が早まったために課題製作期間が短くなり丁度マラソン実施日は課題制作の真最中なので今回の応援参加は中止となった。愛に変わって昨年出場した河野が応援団に加わった。河野の場合は応募締切2週間前に申し込んだが、既に参加者数を上回り受付終了で今回は泣き泣き応援団に加わることとなった。尤も河野は仮装を盛り上げるために昨年走った忍者姿での応援だった。他に私の妹の孝江、甥の拓也、一騎の妻の亜由子、お袋、の6人である。

 安政遠足の起源は、安中藩主・板倉勝明候が安政2年(西暦1855年)、藩士の心身鍛錬の目的をもって安中城内より碓氷峠の熊野権現まで7里余りの中仙道を走らせ、その着順を記録させた。これを「安政遠足」という。その記録が発見され、安政遠足保存会を組織し復元した。安政2年当時のタイムは残っていないが、記録を競う遠足はこれが日本で初めてであった。侍マラソンは日本におけるマラソンのルーツでもある。

 侍マラソンのコースは二つある。安中市スポーツセンター駐車場をスタートし旧中仙道をひた走り、坂本宿を過ぎたところから旧道の山道を駆け上り群馬長野県境に建つ熊野神社をゴールとするハードな峠コース(29.17km)と、碓氷の関所を通過し坂本宿を過ぎた所にある峠の湯をゴールとする比較的勾配の緩やかな関所・坂本宿コース(20.35km)のふたつである。私は毎年、関所・坂本宿コースに出場している。当然のこと今年も参加した。今年のゼッケン番号は1326である。

 今年からマラソンのスタート地点が変更になった。参加者数も増え例年の安中市文化センター駐車場から車道まで出る区間のカギ型に曲がる細道は危険なため、車道脇の武家長屋前へと変更された。ここだと道幅も広く危険は少ない。良い変更だと思う。そのスタート地点に櫓を組み大太鼓が据えられていた。陣羽織を羽織った安中市長が打ち鳴らす太鼓の6つ目の音で侍マラソンは、峠コース、関所・坂本宿コースともに一斉にスタートする。今年の参加者は峠コースが587名、関所・坂本宿コースが1555名と発表された。今年は3月から侍マラソンに向けての練習を再開した。1回に走る距離は5kmである。会社帰りの途中でスーパーに寄り夕食の材料を買い、自宅で夕食の準備を終えると妻が帰るまでの間に5kmの距離を走る。用事がある日や雨の日、寒い日は走らないので平均すると1週間に2回くらいのペースである。走り終えて風呂に入り食卓につくのは20時過ぎとなる。練習日が少ないなぁと我ながら思うが、記録を狙って侍マラソンに参加するわけではないので、マイペースな練習とレース展開となるのはしかたのないことである。

 5月は花の季節でもあり街道沿いの住宅の庭に咲く花も走りながら楽しむことが出来る。私は薄紫色の気品のある桐の花が好きだ。私にとって桐の花は侍マラソンを連想する花でもある。この桐の花が原市から郷原にかかる場所の左手に育った大きな木に咲いている。昔、女の子が生まれると家の敷地に桐の木を植えたという。やがて娘が成長し嫁ぐときに桐の木を切り、製材し箪笥を作り嫁入り道具のひとつに持たせたという。そのような伝統は今や廃れてしまったが毎年桐の木は薄紫の花をつけて静かに立っている。ここを過ぎると約8kmで3分の1を走ったことになる。

 走っていると街道沿いの観衆からの声援が励みになるが、同時に頬をなでていく風も心を爽やかにさせてくれる。「風薫る五月」と言われているように五月の風は周りの緑を運んでくる風であり、あたかも緑色をしているかのような爽やかさを受ける。このなかをひたすらゴールを目指してマイペースで走っていく。琵琶の窪の田んぼの畦道を抜けて松井田下町に入ると一気に観衆が増える。距離としては10kmを越えコースの半分を走ったことになる。見知っている人の顔も登場する。1年に1回しか走らないのに毎年同じ場所で応援してくれる人もいる。観衆の中を走るのも中々いいものだ。

 松井田の街中を走り抜き松井田警察分署手前を左に折れると、自宅の水道からホースで引いた水をシャワーのようにかけ、火照った身体を冷やしてくれるサービスをしてくれる家がある。ありがたいことだ。5月の気温は思ったより高いのでシャワーによって身体が冷やされると実に気持ちがいいのだ。

 五料本陣前を通過すると国道18号とJR信越線を越した北側にこんもりと木々の茂った山肌に赤い鳥居が見えてくる。これは碓氷神社だ。この神社は峠コースのゴール地点に建っている熊野神社の御分霊で、江戸時代前期の慶安年間に社殿を改築し碓氷神社と呼ばれるようになったという。その碓氷神社の赤い鳥居を横目に眺めながら足は横川へと淡々と進んでいく。走り終わったあとに昼食のため移動する車の中で、お袋に碓氷神社のことを訊ねたら、お袋の妹が嫁いだ先が碓氷神社近くの「五料」という地域で、4月3日の「春祭」には私たち3人の子どもを連れて毎年遊びに行ったとのことだが、私にも弟にも記憶は残っていなかった。小学校へ入学する前のことだったのだろうと思われた。横川駅前では『峠の釜飯』で有名は「おぎのや」がある。以前は参加賞に益子焼の釜に入った『峠の釜飯』を出していたが、最近は益子焼の釜が重いとの参加者の声を反映して「ほかほか弁当」のような簡易版に変更されたのは私にとっては残念なことだ。『峠の釜飯』は益子焼の釜に入っていてこそ『峠の釜飯』なのだ。

 横川の街中を走り碓氷の関所跡の門をくぐったところが以前は関所コースのゴールだった。しかし11年前の1999年4月に『碓氷峠横川鉄道文化むら』が出来たためゴール後の広場がなくなり、ゴール地点は坂本宿まで延ばされランナーにとっては苦しい走りが続くことになる。碓氷の関所を越えて峠の湯までの約2kmの距離が疲れた足にとってはキツイ上りとなるのだ。

 

ランナーたちはゴールをめざして淡々と走っていく。未だ芽吹き少ない藤の木に薄紫色の花房が静かに垂れ下がっていた。黄色の山吹の花、白や桃色の躑躅の花が綺麗に咲き誇っている。その花の周りを熊蜂が飛んでいる。柔らかい緑の若葉が目に優しく葉が揺れるさまは静かに渡っていく風が感じられる。

 眼鏡橋をモチーフとしたゴールが待っていた。昨年に続いて今年もゴール後に「舎人賞」を頂いた。「舎人賞」とは侍の仮装で役員の目に留まったランナーに贈られる賞で中身は和菓子の詰め合わせセットで関所・坂本宿コースで20人が対象とのことであった。私の仮装は毎年素浪人姿である。今年は例年被っているカツラをどこかにしまい忘れたというので、浅草の仲見世通りのカツラ屋に出向いて新たに3650円のものを買い込んだ。このカツラは汗や発熱を抜く穴があけられていないので自宅で彫刻刀を使って丸い穴を5ヶ所あけてみた。被って走った感想では、もっと穴の数を増やしてもいいと思った。また今回は給水所があるたびにカツラを脱いで頭に直接コップの水を注ぎながら走っていたので熱がカツラの中に篭らず比較的楽に走れた。また、カツラのチョンマゲの部分が氷を入れるのに都合よく凹んでいるので、氷をボランティア供給してくれた所があったので試しに入れてみるとこれが大正解。頭の発熱で氷が解けた水はそのまま頭頂部から首のほうへと冷やしながら流れ落ちていく。氷が融け切るまで水冷状態が続くので大変助かった。

 職場の仲間も応援に来てくれた。最初に出会ったのは中島浩二だった。スタートから3kmほどの杉並木が残り応援者が一番多く集まる地点で、毎年の参加者一覧が印刷されるパンフレットの表紙写真が載るところでカメラを片手に私の名前を呼ぶものがいた。振り返ってみると安中出身者の中島浩二だった。あんなに多くの選手が走っている中でよく私を見つけたものだと思った。次にであったのはスタート地点から5kmほどにある池田
酒屋の脇で応援していた多胡に会った。多胡の場合は事前に応援している場所を教えてもらっていたので、私のほうから多胡を見つけて声をかけた。にこやかに応援していた。


 参加者名簿を見ると峠コースに幼なじみの満ちゃんが、峠コースに伸ちゃんの名前が確認できた。伸ちゃんは息子と一緒にエントリーしているようだった。スタート前に何回か会場内で二人を探したが出会えなかった。伸ちゃんとは昨年11月のクラス会で久しぶりに会い、65歳時にホノルルマラソンに出場しようと約束したのである。小中学校の同級生では、坂本宿に入る手前でいつものように幼なじみのみどりちゃんが給水と梅干、飴の差入れをしてくれ一緒に走っていた甥の一騎との写真を撮ってくれた。1年に1回会うのは七夕の牽牛織女のようでもあるが、お互いの元気な顔で出あうのもいいものだと思う。

 21kmを走り終わったタイムは2時間15分21秒だった。1kmを6分で走ることを目安とし10km通過時は59分45秒。その後、ペースは落ちたというものの当初目標としていたタイム近くで走りきったという感じだった。昨年のような疲れもなく淡々と走れたのは暑さ対策が出来た結果だと思う。事前の練習は1週間に2回程度5kmを走り、1週間前に10kmを1度走っただけだが、秋の成田マラソンに備えて1週間に2,3回の出勤前の早朝マラソンを行っていきたいと思う。

 

完走したあとに疲れた足を揉みながら周りの妙義の山々の緑を眺めながら峠の湯にゆったり入ることが至上の喜びに変わり、30分前の苦しさもどこ吹く風で湯上りに枝豆をつまみに飲む喉ごしのビールが2度目の至上の喜びとなるのである。20kmを走り終わり元気なお袋の姿を見て、さあ来年も参加しようと思う気持ちが温泉とビールでほんのりのぼせた身体に沸々と湧いてくるのである。

 

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