安政の遠足・侍マラソン
原市宿を走る(2003年)
「安政遠足・あんせいとおあし」とは安政2年(1855年)、ときの安中藩主・板倉勝明候が藩士の心身鍛錬のため、50歳以下の藩士96名を5月から6月にかけて16回に分け、安中城内から碓氷峠の熊野権現までの7里7丁(29.17km)を走らせ、熊野権現の神官に記録をさせた古事を「日本マラソン発祥の地」として復活させた歴史あるマラソン大会であり、今年(2003年)で29回を迎えた。そのマラソン大会は中山道の旧道を、安中宿、安中杉並木、原市宿、松井田宿、横川宿、碓氷関所、坂本宿と緩やかな登りを走り続けていくわけだが、坂本の宿を越えると碓氷峠を越えて信州に通じる文字通りの山道へと入り、息も絶え絶えに上州と信州の国境に建立されている熊野神社のゴールへ辿り着く。このコースがあまりにも厳しいのと参加者の増加に対応するために、第17回大会から「碓氷峠コース」に加えて「碓氷関所コース(約18km)」の2本立てとして現在に至り、今年の募集定員は峠コースが600名、関所・坂元宿コースが800名の規模となっている。
第28回大会の表紙写真・左側の1208番の侍が私
私の「安政遠足・侍マラソン」への参加は「碓氷関所コース」が増設された第17回大会から毎年仮装をして走っているので今年で12回目であり、昨年の第28回大会の表紙写真には1208番のゼッケンを着けて弟とともに走っている姿が写っている。最初は私の弟・久芳とともに「泥棒と目明し」の仮装をして走っていたわけだが、今年は甥の一騎とともに侍の姿で走った。「碓氷関所コース」は5年前の第25回大会から「碓氷峠くつろぎの郷公園」が出来たことにより「碓氷関所・坂本宿コース(20.35km)」へと延長された。走り終わった後に「くつろぎの郷温泉」に入ることが出来るようになったことは実に嬉しいことであるが、走る身にとっては最後の2kmの延長は心身ともにこたえる距離である。このレースでも走るペースはお互いが話をしながら走れる1km6分のペースと考えているので、走り終わった時の時間は2時間12分であり、728人の参加者で一騎が249位、私が250位だった。私は偶然に250位という区切り順位だったので「侍マラソン焼酎」の4合瓶が「とび賞」としてもらえ実にラッキーだった。来年は第30回記念大会となるのでキラキラ輝く仮装で参加しようとあれこれ考えをめぐらせている。