ラストサムライ
真田広之演じるサブリーダー・氏尾
新渡戸稲造が著した『武士道』が少年の頃からの愛読書であったというエドワード・ズウイック監督によって映画『ラストサムライ』は製作された。アメリカ、ニュージーランド、日本の合作映画としてスケールの大きな作品である。物語のあらすじはこうである。
19世紀末、江戸幕藩体制に終止符を打ち明治維新(1968年)を成し遂げた日本新政府は西欧列強に早く追いつくために旧態不平分子を抑圧し軍隊の増強を指向していた。一方、南北戦争(1861−65年)に北軍将校として参戦し「南北戦争の英雄」と称えられていたオールグレン大尉(トム・クルーズ)は実際の戦争が罪もなきインディアンの村を焼き、子どもたちを殺戮したことの自己嫌悪に陥り酒浸りの毎日を送っていた。そのような時代背景のなか、日本から渡米した大臣・大村は創設間もない軍隊の教官にとオールグレンに声をかけ、軍隊教官の契約を行い日本に連れて帰る。早速、オールグレンは軍隊教育に邁進する毎日が訪れる。
やがて鉄道開通を契機として不平士族が蜂起した情報がもたらされる。訓練途中で未熟な軍隊は鎮圧隊として派遣されるが不平士族たちに見事に粉砕される。オールグレンは負傷し、ひとり捕われの身となり不平士族の生活する山奥の村に連れて行かれる。その不平士族のリーダーが勝元盛次(渡辺謙)である。オールグレンは村の生活を通して質素ながら高い精神力と連体意識を持つ「武士」に徐々に心を開いていく。それはアメリカ人のオールグレンにとって異国の文化である「武士とは何か」を自らに問うものとなった。
春になり傷も癒えるころ勝元は日本政府に呼び出され廃刀令にしたがって刀を捨てるよう迫られるが、刀は武士の魂であることを直言しそのまま東京で謹慎の身となる。謹慎先で勝元が政府の刺客に襲撃を受けた事を知ったオールグレンは村の不平士族の一軍と共に勝元を助け出すが、勝元の息子は政府の刺客との戦いの中で絶命する。山奥の村に帰った不平士族とオールグレンに残された道は日本政府との全面対決しかなかった。そして壮絶な総力戦が展開される。それは「ラストサムライ」のタイトルが現しているように、新興する新政府側に対し旧態思想側から「信」を掲げて挑み、散っていった最後の武士たちの物語である。
なぜ、監督のエドワード・ズウイックは新渡戸の『武士道』を愛読書としたのだろうか? なぜ、アメリカ大統領、セオドア・ルーズベルトを感激させ、日露戦争講和にアメリカが協力する一因となったのだろうか? 『武士道』を読んでみた。
新渡戸稲造はクリスチャンである。26歳の時にベルギーの法学者に「日本にキリスト教道徳に匹敵するものがあるのか」と問われ、10年後の1900年、療養先のペンシルベニア州で日本精神を世界に紹介するために『武士道(Bushido: The Soul of Japan)』という本を英語で書いたのである。新渡戸は江戸幕藩体制が正に崩壊過程に入った文久2年(1862年)に生まれた。大政奉還という形の明治維新は新渡戸が生まれた6年後の1868年である。子ども時代の肉親からの教えを基礎とし、武士道に象徴される当時の日本人の考え方、生き方、倫理観をまとめて『武士道』を書いた。武士道は通常の概念では、“君に忠、親に孝、自らを節すること厳しく、下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、私欲を忌み、公正を尊び、富貴よりも名誉を以て貴しとなす”とされることが多いが、新渡戸はクリスチャンという視点から武士道を「自己責任」「他者への配慮」「義務の遂行」という面で捉えたのである。この視点が世界の多くの人たちに支持されたのだと思う。
勝元盛次を演じた渡辺謙の体当たりの演技は見事なものであった。ハリウッド映画であるから台詞は全て英語であるが、気迫が直に伝わってくる迫真の演技は、観客をぐいぐい物語に引き込んでいく。また、真田広之が演じたサブリーダーの氏尾の物静かな所作の中で隙のない剣捌きも素晴らしく流石に見せる役者だと思った。いままでのハリウッド映画と違って、「武士像」として伝えられている日本人の精神を描き込んでいると思う。それはエドワード・ズウイック監督の愛読書が新渡戸稲造の『武士道』であるということからも窺い知れることであり、同時に役者としての渡辺謙と真田広之がことあるごとにスタッフと粘り強い話し合いを続けた結果が現れているのだと思う。
最後の騎馬による総力戦はエンターテイメントとして凄まじい迫力に満ちた映像であった。鉄砲と刀という新旧の時代を象徴する形での決戦は最初から戦いの結果は知れているのだが、自己の信念に則り決然と決起していく「最後の武士」としての生き様が強く現れている映画だと思う。このような映画が日本人の手ではなく、米国人の手によって作成されたというところに複雑な思いがするのは私1人ではないだろう。
新渡戸が「武士とは何か」というタイトルで訴えたかったことは、人間としての倫理観であり、人間としての道徳であり、人間としての生きる姿勢、であるだろう。