ポタラ宮

 

ライトアップされているポタラ宮

 

 ポタラ宮

今回の山旅のスケジュールでは、チベット自治区の中心であるラサのシンボルでもあるポタラ宮を訪れるものにはなっていませんでしたが、最終旅行説明会に出席したおりにポタラ宮の内部観光は無理なのでライトアップしたポタラ宮を見たい旨の希望を出しました。

 

ガイドのドルジさんに初めて会った時にもポタラ宮のライトアップを見たい旨を告げると、直ぐにスケジュールを調整して見に行くようにしましょう、と請け負ってくれました。以後、旅を重ねる中でガイドのドルジさんは、頭の回転が速く、自分の思ったことを隠さずに話してくれる信頼がおける方で、いいガイドに巡り合えたという感想を持ちました。

 

ラサとは「神の地」という意味で7世紀当時からチベットの都として存在してきました。ポタラとは観音菩薩が住む地という意味で、チベット人にとって観音菩薩とは、その化身とされるダライ・ラマ法王のことであり、その住居がポタラ宮です。ポタラ宮は文字通りのチベットの政治、宗教の中心となってきましたが、1959年の中国人民解放軍のラサ侵攻によって24歳のダライ・ラマ14世がインドに亡命したため、57年間にわたり主のいない状況が続き、現在は観光施設となっています。

 

私たちはポタラ宮まえの公園から車道越しにライトアップされたポタラ宮を眺めました。白色、橙色に塗られた13階建てのポタラ宮は静かに圧倒的な存在として建っていました。ポタラ宮が建てられたのはチベット政府が成立した1642年以降に7世紀の宮殿遺跡をダライ・ラマ5世が増補修する形で建設され、以後、代々のダライ・ラマの住居として幾多のチベットの歴史を見つめてきました。1642年といえば日本では江戸時代初期の第3代徳川家光の時代に当たります。

 

ラサ旧市街地

 

中国人民解放軍がどのような形でチベットに侵攻し、チベットを自国に汲みこんでいったのかは『ダライ・ラマ自伝』:文春文庫に詳しく書かれています。また、ヨーロッパのアイガー初登頂で有名なオーストリアの登山家であるハーラーの著書『セブン・イヤーズ・イン・チベット』にもダライ・ラマ14世の少年時代と中国人民解放軍のチベット侵攻のことが書かれており、小説を読んだ後にブラッド・ピット主演で映画化された時も見ました。映画は中国では上映禁止となり、映画監督も主演者も中国支配地域へ無制限の出入り禁止になっています。

 

 チベット地域を支配している漢民族の数々の施策のなかから、現在置かれているチベット民族の苦悩を垣間見ることが出来ます。その最大なものはチベットの人たちの心の拠り所になっているダライ・ラマ14世が、チベットの中心であるラサのポタラ宮に住めないことであり、チベット仏教信者の家にダライ・ラマ法王の写真を飾ることさえできないという現実です。