火山灰に覆われ消滅した都市・ポンペイ

 

大爆発で山が2つに割れたヴェスヴィオ火山と古代都市・ポンペイ

 

 西暦79年8月24日、ヴェスヴィオ火山は突然大爆発しました。3日間に渡った大爆発は山頂を2つに分け、火山灰、火山礫が大量に降り注ぎ、溶岩流が幾筋も延び、2万5000人の人々とともに古代都市・ポンペイはあっという間に6mの火山灰の下に埋もれてしまったのです。

 

 ポンペイ遺跡の発掘は今も続いています。ポンペイは約200年前に偶然発掘されました。街並みは整然と碁盤の目のように区分けされ、道路には横断歩道が作られ、神殿があり、公衆浴場があり、競技場があり、パン屋さんがあり、飲み屋があり、大劇場や野外円形劇場があり、剣闘士の宿舎や運動場があり、大邸宅の壁には壁画が描かれ、また大勢の商人達が行き来した結果として25の娼館があったことも確認されエロティックな壁画も描かれています。

 

 ポンペイが栄えていた時代は日本の歴史でいえばいわゆる縄文式時代から弥生式時代に当たり、日本各地で発掘される遺跡から分かるように住居は掘っ立て小屋であり、生活は採取・狩猟から稲作を中心とした農耕定住生活へと移行する時代です。どっちが良いか悪いかというのではなく何という文化の違いでしょう。こういう文化の違いは旅で現地を訪れ直接遺跡に触れたとき強烈に考えさせられます。今回もそうでした。遺跡の復元図を見たとき、ローマ帝国の各都市では同じようなことが行われていたことは想像に難くないことですが、ポンペイという場所もすごい生活をしていたなぁと思いました。

 

 小中学生を初めとしてたくさんの観光客が発掘された遺跡を見学し、それぞれの人たちが2000年前、たった3日間の火山の大爆発により完全に埋もれてしまったポンペイの街とそこで生活をしていた人たちに思いを馳せていました。火山灰に埋もれたたくさんの人たちが人型の空洞となって発掘時に発見され、その空洞に石膏を流し込み当事の人たちの状況が再現され展示されていました。ヴェスヴィオ火山の大爆発は逃げることも出来ないほど想像を絶する大爆発だったことが灰に埋もれてしまった人たちの姿から思い浮かべることが出来ました。

 

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