第43回塩の道祭り

小谷村の千国越えコースを歩く

 

道路を歩く人々

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塩の道祭り・歩荷隊が行く

 

5月3日に開催された『第43回塩の道祭り・小谷村千国越えコース』に参加した。例年、5月2日は糸魚川市、3日は小谷村4日は白馬村、5日は大町市で塩の道祭りを開催していたが、最近はコロナ禍のために開催を見送っていた。今年は規模を縮小して開催するという。3年前に白馬村のコースに参加していたので、今回は3日の小谷村の千国越えコースに参加した。日本海沿岸で作られた塩は、糸魚川から松本まで牛の背や人の背に担がれて運ばれていたが、明治20年ころに新しい国道が出来ると、塩を運んだ道は歩かれることなく忘れ去られていった。その古道をハイキングコースとして整備し、毎年春のゴールデンウィークに塩の道祭りとして行われているもので、今年は数を重ねて43回目であった。

 

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スタート地点出発式の小谷民謡と早乙女の踊り

 

私たちのグループは2010年9月にアフリカのキリマンジャロ登山に参加した仲間が集まっているもので、今回は6人の参加者だった。前日から大町温泉郷にメンバーが持つ別荘にお邪魔して、塩の道祭りに参加したものである。出発地点の下里瀬基幹センターまではゴール地点の栂池高原スキー場駐車場からシャトルバスで運んでもらった。スタート地点に到着すると、基幹センター前庭で8時からの出発式が始まったところで、小谷太鼓が景気よく敲かれていた。太鼓の次は小谷村民謡に合わせての踊りが始まり、歩荷隊の出発式と続いた。ハイキングの参加者は順次自分のペースでハイキングコースに出発していたので、私たちも9km先のゴールを目指して8時半に歩き出した。

 

森の中の山

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のどかな小谷村の風景

 

下里瀬地域の家並みを抜けると早くも杉が植林されている山道に入っていった。昨日の雨で足元がぬかるんでいるため、次の休憩地である虫尾阿弥陀堂までの杉林の中の急な登りには、スリップに注意し神経を使った。この急登の途中に家族で参加していた3歳の子どもに出会ったが、疲れを知らないように元気いっぱいだった。阿弥陀堂からの下りで後を振り返ると、5月の明るい陽光のもとに小谷集落の家々が散らばり、残雪の山々と新緑の若葉の対比が素晴らしかった。山道が続く周りには散りだしたヤマザクラの花びらが舞い落ち、足元にはスイセンの花がたくさん咲いて私たちを迎えていた。

 

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小谷村役場での飛脚隊の出発式

 

朝方は雲ひとつない快晴だったが、徐々に雲が広がりだした。周りからはウグイスの囀りが届いていた。電線に止まって恋の歌を囀るツバメや飛び交うツバメの姿も5月の景色である。小谷村役場の前に休憩所があった。商工会のメンバーが赤ふんどしの飛脚の仮装姿で片脚をあげて出発式を行っていた。子どもたちも可愛い尻を出して頑張っていた。子どもたちも元気な掛け声を出しながら、坂道を駆け上がっていくのだからたいしたものである。

 

ひまわりの畑

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街道脇に咲くスイセン

 

村役場を過ぎても山道が続き、結構きつい杉林のなかの登りだった。その途中で揃いの緑の法被を羽織った地元の民謡保存会の人たちが、尺八の演奏に合わせて民謡を歌ってハイキング参加者を歓迎していた。芽吹き出した雑木林の中を太陽の光を浴びながらのんびり歩くのは実に清々しい。お母さんに手をひかれ、黄色の帯を締め、浴衣を着た小さな子どもは2歳だと言う。可愛らしい子どもは元気にニコニコ笑顔で歩いている。幼女の髪には黄色のスイセンが飾られていた。私たちはゆっくりと山道を歩いて行った。

 

建物の前の群衆

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千国諏訪神社境内での踊り

 

千国諏訪神社の境内は参加者や見物者で賑わっていた。舞台では代官の衣装に扮した村長の挨拶、小谷太鼓の演奏、民謡と踊り、飛脚隊の紹介と挨拶などが行われ、トチ餅、たこ焼き、わたあめ、焼き鳥、カレーライス、豚汁などの屋台が出て、生ビールも売られていた。私の喉は生ビールを欲しがっていたが、ゴールまで残り4kmはあるので我慢することにして、餡子の入ったトチ餅をひとつ食べた。トチ餅を久しぶりに食べたが、思いもよらず美味かった。

 

森の中を歩いている人

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親坂の石畳は牛のために敷かれた

 

千国諏訪神社を超えると、しばらくは国道沿いの道となった。再現されている千国番所跡の建物と資料館に入って昔の関所の状況や生活の一端が確認できた。普段は入館料を払う施設だが、塩の祭りのため無料で見学できるのだった。千国番所跡を過ぎると、今回の千国越えコースのハイライトと呼べる親坂の千国峠越えの山道となってきた。石畳の山道はつづら折りとなっており、美しい街道が残されていた。石畳の道は塩を担った牛たちが急坂で滑らないように敷かれたものだという。私たちは石畳を一歩一歩踏みしめて登っていった。

 

家の前に立っている人たち

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1軒だけ残る牛方宿

 

 千国越えの急坂の途中には、親坂石仏群、牛つなぎ石、錦岩、弘法の清水などが残されていた。この急坂を登った先に、唯一の牛方宿が残されていた。牛方宿とは塩を運んだ牛と牛方が一緒に泊まった宿のことで、街道沿いに数軒あったということだったが、現在は1軒のみが長野県の有形文化財に指定されて保存されていた。200年ほど前に建った家の中に入ると、説明員が牛方宿について説明してくれた。

 

丘の上にある

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残雪の後立山連峰

 

 牛方宿を過ぎればゴールまで残り2kmで、急坂を登ったあとは比較的になだらかな山道だったので余裕の足取りだった。沓掛と呼ばれている地域では、田んぼの向こうに右側から残雪に輝く小蓮華山、白馬三山、不帰ノ剣、唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳、爺岳、針ノ木岳などの後立山連峰が一望に見渡せる素晴らしい景色が広がっていた。今回の塩の道祭りに参加した人たちへの最高のプレゼントだと思った。

 

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6人全員でゴールイン

 

 13時に栂池高原スキー場の中央駐車場に設置されたゴールに到着した。8時半にスタートしたハイキングは、途中で美しい景色を眺め、足元に咲く花や石仏群の写真を撮り、保存された家屋の説明に耳を傾け、屋台のトチ餅などを食べながら4時間半かかってのゴールインだった。ゴールでは参加賞の手拭いと絵葉書をいただいた。ハイキングのあとはゴールから一番近い硫黄温泉の岩岳の湯で汗を流した。湯上りには喉が欲していたビールをグビグビ飲んだのだった。いやぁ、うまかった。

 

動物園の中の群衆

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千国諏訪神社境内の街道市

 

小谷村の塩の祭りは、村長自らが指揮をとり、保育所、小学校、中学校の男の子は半纏をなびかせ、女の子は早乙女姿で参加しており、歩荷隊、飛脚隊、太鼓隊、民謡保存会、JA、農業青年会議、商工会など小谷村総出のお祭りだということが分かった。地域おこし、村おこしの意味もあるのだろう。塩の祭りが久しぶりの開催となって、みんな喜んで参加しているのが分かったお祭りだった。来年も塩の祭りに参加し、5月5日の大町市のコースを歩く予定である。

 

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