おいらの「高鳴き」と「ほろうち」はすごいよ〜
キジのオスの「ほろうち」を撮りたいと思っていた。いつもキジを確認できる耕作放棄地に行ってみると、今回もオスが胸を張って畦道にいた。ちょうど田んぼで田植えをしていた人がいたので、畦道を歩く許可をもらった。農作業をしていた人は実にユニークの方で、近くのお寺の住職だった。私はキジの写真を40分ほど撮影した。オスの縄張りを宣言する雄叫びである「高鳴き」を聞きながら、メスへの求愛のディスプレイである両翼で行うドラミングの「ほろうち」を撮ることができた。オスは最初の「高鳴き」をした後にひと呼吸置いて、2度目の高鳴きと同時に「ほろうち」を行うのである。ほろうちは10分間隔くらいで行うため、3脚を使わずに重い望遠レンズの焦点をキジに合わせながら待機しているのは結構辛いものである。
キジの撮影後に農作業の手を休めた住職と話をしたが面白い人だった。石川県出身の住職は実にユニークな人で、耕作放棄されて藪になっている田んぼを地主から借り受けて、田んぼに再生させる作業をひとりで行っていた。再生された田んぼは農業を志す人にバトンタッチするとのことだった。私の後にキジを撮りたいカメラマンは、畦道を歩く許可を得るための言葉遣いが乱暴だったため、住職が怒ってしまい、畦道を歩く許可を与えなかった。そのやりとりは10分ほど続き、大声だったために写真を撮っている私の耳に届いた。
キジの雄の「高鳴き」と「ほろうち」
住職は、許可をもらうカメラマンの言葉が命令調で高圧的に響いたんだ、と私に話した。私にも30年も前になるが苦い経験がある。北アルプスの山を歩いていたときのことだった。山小屋に入り、トイレを借りたい旨を伝えた時に、山小屋の管理人に、今の言葉の使い方は何だ、と凄い剣幕で私は怒られたことがある。トイレを借りたいという内容は分かったけれども、あんたの言葉にはトゲがある。人に頼む場合は言い方に気を付けなくてはならない、その後もぐちゃぐちゃ言われたので、私は、お借りしません、という捨て台詞を残して、その山小屋を後にしたのだが、今回の住職とカメラマンのやり取りを聞いていて、私の30年ほど前の北アルプスの山小屋でのことが思い出されたのである。言葉は生き物であることを忘れてはならないと思う。
キジの雌は地味の姿をしている
キジは一夫多妻である。オスの縄張りに現在何羽のメスがいるのか分からないが、耕作放棄地と田んぼはモザイク状に入り組んでいる。畦道に現れたキジはオス1羽とメス1羽だった。メスに出会うのは2度目だが、前回あったメスに比べると太陽の当たり方にもよるかもしれないが、羽の色が薄く感じられた。オスメス一緒にいるところを写したかったが、オスは畦道に出ることが多いが、メスは藪の中にいることが多く、常に2〜3m離れておりツーショットは撮れなかった。もうじきに産卵・子育ての時期を迎えるが、雛を引き連れて歩く姿を写したいと思っている。そのシーンが撮れたら、どんなに素晴らしいことだろう。
キジの雄の「ほろうち」
私は撮影を終えたあとで1時間ほど住職と話をして帰宅したが、5人のカメラマンが堤防上から畦道に佇むキジのオスを狙っていた。その人たちは住職とカメラマンが揉めていたの知っており、畦道からキジに近づこうとはしなかった。私だけが畦道を歩いてキジに近づいて写真を撮ることができたのである。私にとっては話題が豊富で実に面白い住職だった。その住職が、春に多くの市民が訪れる花見川沿いの1kmの桜トンネル262本の桜守をしていることや、耕作放棄地の藪を本来の田んぼの姿に戻す活動など、自分たちが生活する環境を少しでも良くしようとする行動とポリシーは、素晴らしいものだと思う。それを一人でやっているバイタリティーいっぱいの凄い人に出会ったと思った。
キジの雄の「高鳴き」と「ほろうち」
凄い人ではあるが問題もはらんでいると感じた。住職が今年耕作放棄地の田んぼを復活させたのは3反歩=30a=30m×100m=3000uを2枚である。毎年順番に田んぼを復活させていく考えとのことだったが、問題は復活させた田んぼを維持していくことである。住職はひとりで行っており、復活させた田んぼを引き継いでいく人が現れないと維持継続は難しいと思う。農業の後継者不足と同じ問題点が横たわっていると思うのである。ま、これからどのように展開していくのか楽しみである。
田んぼの中で餌を探すコチドリ
ピューイ、ピューイというコチドリの甲高い鳴き声が、田植えの終わった田んぼから届いた。どこにいるのか探してみた。2羽のコチドリが田んぼの中に佇んでいた。コチドリはオスとメスの色が同じなので、オスメスの判別がつかないが、コチドリは1羽でいるよりも2羽でいる時が多い。コチドリは4〜5歩歩くと一度静止し、再び同じ歩き方をする。確認できたコチドリとの距離は遠かった。近づこうと思っても、水の張られた田んぼの畦道は歩くことができない。歩くことによって畔にヒビ割れなどが出来ると、水漏れの原因となるからだ。
流線形で飛ぶコチドリの姿は美しい
コチドリが飛ぶ姿は流線形をしており、ツバメと見間違うほどの美しさである。ピューイ、ピューイという鳴き声を発しながら飛ぶ姿は美しい。白く長い翼を使いながら飛ぶ姿は臨機応変であり、左右への展開、急上昇や急降下、高さやスピードを変えながら飛んでいる。そして速い。田植えの終わった田んぼの上を自由に飛び回っている。オーストラリアの先住民であるアボリジニが、狩猟に使う道具にブーメランがあるが、そのような形をした翼で風を切る姿は素晴らしい。30分ほど眺めていたが、コチドリは飛び続けていた。田植えの終わった田んぼには水が張られているので、サギ類がたくさん集まってきて餌を探しているが、今年も耕作放棄地がさらに増えた。農家の後継者がいないので仕方のない現象だろう。