2017年 小笠原、硫黄島3島クルーズ
南硫黄島
1、40年ぶりの小笠原父島
日本野鳥の会の機関誌『野鳥』7月号に、14頁に渡る記事で世界自然遺産登録された小笠原諸島の紹介とともに「おさわら丸で行く小笠原・南硫黄島・硫黄島・北硫黄島クルーズ」の記事が載りました。期間は9月8日〜13日までの5泊6日の日程です。私は申し込み初日に参加希望の連絡をしました。
私が最初に小笠原父島に出かけたのは今から40年も前のことで、小笠原諸島の施政権がアメリカから日本に返還された7年後のことでした。父島丸という船で船中2泊の38時間の長い船旅でした。その後も東京都に在りながらも南に1000km離れている孤島である父島に3年連続で釣りを目的に出かけました。
東京竹芝桟橋から父島への航海は1週間に1航海でしたので、会社から2週間休みを取っての旅でした。6月の梅雨前線を突き抜けた父島の天候は真夏そのもので、ギラギラ照り付ける太陽のもとで毎日釣り三昧でした。漁船をチャーターしての船釣りは入れ食い状態でした。
今回、40年ぶりに訪れた父島は信号機が増えたのと飲食店が増えたほかは殆ど変わっていませんでした。鍵のない民宿や1mの距離まで近づいても逃げない野鳥などのんびりした雰囲気は昔のままでした。
青海亀のさっぱりした刺身やゼラチン状の煮物も昔のままでビールの肴に最高でした。白身魚の刺身を醤油漬けにした島寿司も美味かったです。
父島二見港に停船する「おがさわら丸」
今回も大洋荘という民宿にお世話になりました。40年前の民宿のおじさんとおばさんは東京府中のほうに戻っており、当時5歳くらいの娘さんが2代目のおかみさんとして民宿を切り盛りしていました。一人息子で小笠原高校1年の雄太とも話し、高校は楽しいと言っていたので食堂に貼ってあった「夢の実現」という書初めのように、雄太も夢の実現に向かって頑張れよとエールを送ると、眉が太く細面のイケメンは私の目を見ながら「ハイ」と元気に答えました。それをおかみさんがニコニコしながら見ていました。府中に戻っているおじさんは91歳と言っていましたので、大洋荘という民宿を通して40年という歳月を改めて感じました。
南国の花ハイビスカス
2、硫黄島3島クルーズ
父島に入港した日の夕方、父島から更に南へ330km離れた南硫黄島・硫黄島・北硫黄島3島クルーズに出港しました。翌日、私は硫黄島3島を初めて目にしました。真ん中に位置する硫黄島は平らな島ですが、南硫黄島・北硫黄島の2島は海岸線から絶壁が立ち上がる上陸にも困難な形をした火山島でした。
実際、南硫黄島には調査入島はしても現在まで人が住んだことがない無人島です。クルーズ中に特別講演会があり、調査隊員として参加された方からの調査報告を聞きましたが、急峻なことと水がないため人間が住める島ではないと感じました。それだけ今でも自然のままの姿が残っている島と言えます。
硫黄島で献花・黙禱
硫黄島は小笠原諸島のなかでは1番大きな島で太平洋戦争の激戦地で有名ですが、戦況の悪化で1944年に1000人の島民が強制疎開された以後、一般人は住んでおらず、現在は自衛隊員と設備建設者や保守者のみが住んでいる島です。真っ平らな島で、島の端っこに擂鉢山があります。山頂には5人の米軍兵士が星条旗を掲げる米軍戦勝記念碑と硫黄島戦没者顕彰碑が立てられているとの説明がありました。
硫黄島を時計回りに一回りするなかで小笠原村主催の慰霊祭が船上デッキで行われました。慰霊祭は毎年行われており、社会科の授業の一環として中学2年生も参加する行事で、昨年までは硫黄島に上陸して慰霊祭が行われていたのですが、今年は「おがさわら丸」が大きな新船となり、島に近づけず上陸できないため洋上慰霊祭になったとガイドから聞きました。
私たちクルーズに参加した319名は小笠原村主催の慰霊祭には参加できませんでしたが、硫黄島を離れるときに全員で白菊1輪を献花し1分間の黙禱を太平洋戦争で亡くなられた方々に捧げました。
特別講演会で、もしも戦争がなかったら豊かな島だった硫黄島は、温泉もあるし飛行場もあったのでハワイのような観光の島になっていたでしょう、という報告者の言葉がいつまでも耳に残りました。
北硫黄島は反時計回りに2回周回しました。この島も周囲が絶壁の火山島でしたが東西2か所に僅かに平らな場所があり、そこに強制疎開まで90名が住んでいたとのことです。子どもたちは東側にあった小学校に海岸線を歩いて通学したそうですが、海が荒れた場合は山越えの道を歩いたとの説明を受けました。しかし、私には大人でも歩くのに苦労をするだろう山道をよく通学したものだと感じられました。
飛翔するカツオドリ
クルーズ中には船に驚き逃げ惑う小魚を目当てにカツオドリが船に並行して飛んでいました。顔は青く見えるのが雄で、黄色く見えるのが雌です。私はカツオドリを初めて見ましたがツバメを大きくしたような流線型をしており、小魚を見つけると一直線に海面に突入します。一目で好きになりました。
北硫黄島
南硫黄島・硫黄島・北硫黄島3島クルーズは天候に恵まれ、海風も吹いていなかったため「おがさわら丸」は瀬戸内海を運行しているように揺れませんでした。太平洋の大海原から昇ってくる日の出も久しぶりに見ました。私は山上で雲海の彼方から昇ってくる日の出はたびたび見るのですが、海の日の出は山の日の出とは一味違ったものでした。
太平洋の大海原から昇る太陽
3、小笠原父島ハイキング
父島が世界自然遺産に登録されて以後、父島の観光地図に載っている赤い点線で示されているルート以外は歩くことが出来なくなりました。指定ルート以外は森林生態系保護地域となっており、許可を受けたガイドと一緒でないと歩くことができません。
中山峠から見下ろした小港海岸
従って今回は指定ルートとなっている三日月山ハイキング、釣浜・宮之浜ハイキング、ジョンビーチハイキング、長崎展望台ハイキングを行いました。その中で一番長いジョンビーチハイキングのことを書きます。
現在は父島島内の西側を村営バスが約1時間間隔で運行されています。民宿近くの村役場前からバスに乗り終点の小港海岸まで約20分です。小港海岸は40年前も訪れた白浜の綺麗な海岸です。7月、8月のベストシーズンにはとても賑わう海岸です。
小港海岸からジョンビーチまでは観光地図によれば2時間半のコースですから往復すると5時間の長時間コースです。山道に入りひと登りすると中山峠で真っ青な海や白浜の海岸を見下ろすことができます。一休みしたあとはピンクのグンバイヒルガオが群生するブタ海岸まで降ります。ブタ海岸とは面白い名前の海岸でした。
無人のジョンビーチで泳いだ
ブタ海岸からまた山道に入り高山の脇を通ってジョンビーチまで昇り降りを繰り返していきます。途中で美しいジニービーチが西側の眼下に見下ろせましたが陸上から下る道がありません。ジニービーチに島周りの遊覧船が見えました。ジョンビーチに到着すると当然のこと誰一人いません。白浜とサンゴの海ですが沖の流れは速いので湾から出ないでください、という注意書きがありました。
湾の外には漁船が通過し遊覧船が停船していました。私は当然のこと海に入って泳ぎだしました。水着を持っていなかったので全ての衣服を脱いだ裸のままでした。泳いでいる間は海水から頭を出しただけですので遊覧船から見ても漁船から見ても遊泳者が一人泳いでいるとしか見えません。10分ほど泳いで水から上がりました。炎天下でのハイキングで熱くなっていた身体全体が冷たくなりとても気持ち良かったです。
ジョンビーチから先に行くことは出来ないので、もと来た道を小港海岸まで戻ってきたのですが、途中で足ヒレをもった二人の男性と登山用具で装備した二人の女性に出会いました。女性は自然観察パトロール隊のように感じられました。また、10数頭の野生化したヤギの群れにも出会いました。
野生化したヤギの群れに出会った
ハイキングルート上には野猫が多く、捕獲箱も3ヶ所で見ていたのでヤギを見た時は野猫かと思ったのですが、想ったよりも大きなヤギがいたのにはビックリしました。帰りに確認すると9月19日に今日歩いたコースを全日通行止めにし、ノヤギの排除作業をする旨の注意書きが小港海岸バス停に表示されていました。
野猫トラップ
4、特定外来種のグリーンアノール
小笠原の特定外来種の代表とも呼ばれているものにグリーンアノールがいます。原産国はアメリカで手足に吸盤がついているトカゲです。雄の体長は18cm〜21cm、雌は12cm〜18cmとされ、昼間に活動します。日当たりのよい林や庭木、畑地の木の上でよく見られ、父島や母島に広く定着しています。昆虫類を捕食しその昆虫が受粉していた植物の繁殖にも影響を与えており、小笠原村としては粘着トラップによる捕獲や拡散を防ぐための柵の設置がなされてきました。現在、粘着トラップよる非対象生物の捕獲を減らす努力や、より効率的な捕獲・駆除方法が検討されています。
捕獲したグリーンアノール
実際に街を歩いてみると街路樹の1本1本に捕獲用の粘着トラップが括り付けてあり、私が確認した限りではトラップに張り付いて捕まっていたグリーンアノールは確認できず、ヤモリが1匹捕まっていました。
私も捕獲作戦に協力したいと考え、ザックの中に昆虫飼育ケースを入れていき、捕獲したら持ち帰ろうと考えていました。その場合、捕獲の対象は雄のみです。雄雌のつがいで持ち帰り、万一逃げ出して繁殖されたら目も当てられなくなりますので、捕獲は雄のみとしました。雄と雌の見分け方は喉のところに袋状のものがあるのが雄で、雌にはありません。
市街地では見かけることがないのでハイキングに出かけた時に捕獲しようと考えました。三日月山ハイキングでは子どものアノールを2匹見つけ、1匹を捕獲しましたが子どもなので放しました。釣浜・宮之浜ハイキングでは出会わず、ジョンビーチハイキングでは3匹の大人の雄を捕獲しました。アノールは別名アメリカカメレオンとも呼ばれており、環境によって体の表面の色が変化します。1匹目はグリーンでしたが、2匹目と3匹めは茶色をしていました。民宿に戻り、プラスチックの昆虫飼育箱に入れました。
イソヒヨドリ
民宿の近くの草むらで餌になる昆虫を探しましたが全く見つかりませんでした。あちこちの草むらを2時間探してやっと小さなバッタを2匹捕まえただけです。それを箱の中に入れて幕張に持ち帰りました。幕張に持ち帰るまで2日間は餌を食べていませんでしたが3匹ともに元気でした。早速、昆虫の餌取りに出かけ10分間ほどでコオロギやイナゴ、バッタなど10匹ほど捕ってきて飼育箱に入れておきました。1日たって確認すると、コオロギや大きなバッタは食べておらず、小さなバッタを食べたことが確認できました。
これから水分はどのように取らせようかとか、餌の昆虫を食べる頻度など、試行錯誤の飼育となりますが1匹ずつ別の飼育箱に入れ、グリーンアノールという名前からアーくん、ノーくん、ルーくん、と名前を付けて観察していこうと思っています。
アノール3兄弟
以下、携帯メールでのメモ
9月8日 小笠原
進行方向左側に雲が被さった島が見えた17半頃なので八丈島だろう。
チラシだと進行方向右側に見えるはずだが・・・
夕食は艦内放送があったが船内レストランには行かずに竹芝桟橋で買った『島島べっこう寿司』を肴に松竹梅を飲む。
この航海は小笠原村主催の年1回の硫黄島慰霊祭が行われるので客室は満席のようだった。
夕日は雲に隠れて見えなかった。
7デッキにある展望ラウンジに行ったが席がいっぱいだった。
仲間同士で来ている人たちで長々と席を立たないようだった。
9月9日 太平洋の日の出
日の出は5時40分頃だと思っていた。
部屋から5時30分に6階デッキに向かうとドアの窓から入ってくる明かりがいやに眩しい。
アレって思いながらドアを開けると大海原の向こうに既に上がった太陽が光りを発していた。
あちゃー、日の出は5時20分頃だったのだろう。
山上から雲海上に昇る日の出は何回も見ているが、太平洋に昇る日の出を見るのは久しぶりだったので楽しみにしていたが、しかし、今朝は見ることができなかったのは残念だった。
再度明朝5時20分頃にデッキに出てみよう。
明朝も晴れるといいのだが・・・
カツオドリが2羽、3羽と小笠原丸と平行しながら翔び、時たま水中にダイビングする。
それにしてもカツオドリという海鳥を初めて見たが、体型は大型の燕のようであり、実に美しく速く翔べる体型をしていると感じる。
背中は茶黒く首から上が黒く腹は白い色をしている。
顔が青っぽいのが雄で黄色っぽいのが雌。
船に平行しながら翔ぶのは船に驚き跳び跳ねる小魚を捕まえるため。
北島、婿島、針島、仲人島、姫島、少し離れて孫島、弟島、兄島、父島とさまざまな島が見えた。
硫黄島は父島から更に南に300キロ離れ、北硫黄島、硫黄島、南硫黄島の3島が並ぶ。
小笠原村主催の硫黄島海上慰霊祭は8デッキ後方中央部分で10日9時から9時30分まで行われる。
姫島と孫島の中間で携帯がつながった。
9月9日 父島上陸
11時に予定通り父島二見港に着岸。
船内で知り合った若者の同部屋依頼を大洋荘に電話。
了解とのこと、お待ちしています、と挨拶された。
若者の名前は伊藤さんで22歳。大学生。
港で明日の再会場所を確認して若者と別れた。
ぱくぱく(波食波食)食堂に入り、新カメの刺身定食を食べる。1450円。
40年前にすでに亡くなった親父が初めて食べて美味いものだと感心していたのを思い出した。
12時から三日月山ハイキング。
往復2時間かかって、ハシナガオガサワラウグイス、メジロ、イソヒヨドリに出会った。
5センチほどの子どものグリーントカゲを1匹捕まえたが放した。
炎天下のハイキングで汗だくだくのためTシャツとハーフパンツを買う。4800円。
釣り浜に向かってレッツゴー。
坂を降りて行く途中で2人、浜で5人が泳いでおり、帰りに3人が降りてくるのに出会った。さすがに人気スポットだ。
こんな美しいところ初めてと感動の女の人の声が聞こえた。
40年前に泳いだ時にテーブル珊瑚や枝珊瑚が色とりどりに見えたことが記憶の底から蘇った。
釣り浜では野鳥にであわなかった。
2時間かかって二見港に戻り、クルーズ船で食べる幕の内弁当を手作り弁当家のおばあさんから買う。最後の一つだった。800円。
喉が渇いていたので缶チューハイの氷結ストロングを買う160円。
預けたザックを受け取り、これから硫黄島への乗船が始まる。
9月10日 見事な日の出
東の水平線上の空の藍色が薄れ水色から黄色味を増してくる。
やがて薄い黄色から次第に朱色が強くなり始め、やがて朱色から赤に変わると間もなく輝く光りが放たれた。
日の出だ。
船の進行方向左前方に雲の傘を被った饅頭型の南硫黄島が見えた。
カツオドリが2羽、3羽とグライダーのように滑空していた。
いまだかつて誰ひとりとして上陸したことがないと言われている南硫黄島。
確かに島の周囲は断崖絶壁のように見える。
船と島との距離は3キロメートルほどだろう。
噴火で出来た島なのだろう溶岩が流れた跡が島全体に見える。
船は南硫黄島を通過し1、5マイル地点で折り返した。
島は916メートルほどの高さがあるというが頂上は雲の中だ。
乗船券の引き換え時に窓口で渡された資料を確認すると南硫黄島の916メートルが硫黄島3島のなかでは1番小さな島ながらも1番に高い島だった。
それゆえに島の周囲は絶壁だった。
島の東側に回り込むと赤茶色の岩肌が剥き出しになり、雲がかかっている辺りは400メートル位とのこと。
烏帽子岩岩礁を過ぎると急峻な島のため岩崩れが散見された。
船からは小さく見える打ち付けている波の高さは5〜6メートル。
かつて調査のため海岸にベースキャンプを設営し45度の斜度を山頂まで登ったという。
全く平らの部分がないので人は住めないだろう。
船と島との距離は800メートルまで近づいた。
波がベタ凪ぎなので船が揺れず非常に助かる。
島ちかくの海面は緑色をしているが少し離れると青黒く深い色をなしている。
船は2時間半かけて南硫黄島を反時計回りに2回周回し、7時に硫黄島へと向かった。
船の周りを翔ぶカツオドリの美しい飛翔姿が見られた。
気温27度、水深200メートルとの船内放送があった。
朝食は天然酵母のチーズパンとメープルパンそれに小笠原パッションフルーツ直搾りのチューハイにして420円。
それにしても良く晴れて日光が暑い。
9月10日 明日の予定
村役場前810。
小港海岸まで行き、ハイキングは中山峠からブタ海岸までの折り返し。
11時に戻り、
さらにコペペ海岸まで折り返し、
13時までに戻り時間があれば泳ぐ。
1405に乗る。
扇浦海岸テーブル下車1518に乗り、境浦海岸で下車。
泳いで1621に乗り、
村役場前に1630に下車。
笑ってしまうのは硫黄島クルーズで10人部屋に3人、隣の部屋は0。
父島へくるときは満席だったがえらい違いだ。(^_^)v
らくちんらくちん。
ゆっくり夕食が摂れる
同室の若者二人は展望ラウンジに直行したようだ。
9月10日 硫黄島1
硫黄島周回にきたら携帯がつながる。
南硫黄島の場合は反時計回りに2回周回したが、硫黄島周回は時計回りに1周するものだった。
船の甲板デッキの中央で一般人ではなく小笠原村の中学生による海上慰霊祭が行われた。
ベンチに腰かけながら風を受け、青い大海原を見つめていると飛び込みたくなる衝動にかられることがある。
海が美しいゆえに引き込まれそうになるのである。
怖い誘惑だと思う。
今日は本当にベタ凪ぎである。
カツオドリには腹の白いのと茶色のがいるが別の種類なのか、それとも茶色は子どもなのか?
硫黄島は西にある摺鉢山を除くとまっ平らな島である。
なぜ摺鉢山という名前なのか解らなかったが火山の火口なので真ん中が凹んでおり、正に摺鉢の形をしていた。
現在は自衛隊員と設備建設や保守関係者しか住んでおらず一般人はいない。
小笠原もそうだが自衛隊員は何もすることがないので暇だろうなぁと思う。
それだけ平和な世界だと喜ぶべきことなのだが。
自衛隊が護衛艦の後部を開けて上陸訓練を行っていた。
平和時でも訓練は必要ということか。
島のあちこちから水蒸気が立ち上っている。
今でも火山の島なのだ。
9月10日 硫黄島2
気温28度、水深100メートル、船と島の距離は1、7キロメートル
小笠原諸島のなかで1番大きい島。
今でも大きくなり続けている。
温泉浜からは水蒸気が上がり、水の色が明るい水色。
島の至るところで噴気孔がある。
年間20〜30センチメートル隆起し続けている。
戦前は1000人が暮らしていたが現在は一般人は住めない。
昔は農業ではサトウキビ栽培、漁業ではムロアジ。
航空自衛隊の丸いレーダー、かまぼこ形の航空機格納庫に日があたり白く輝いている。
9月10日 硫黄島で黙禱
硫黄島を一回りして北硫黄島に向かう直前の10時20分。
今回のクルーズ参加者一人ひとりに白菊の花が配られ、献花が行われると同時に1分間の黙祷が太平洋戦争で硫黄島で亡くなられた人々に捧げられた。
以前、摺鉢山は島全体を横から見るとパイプの形をしているのでパイプ山と呼ばれていたとのこと。
山頂には戦没者慰霊碑が建ち、米軍のアメリカ国旗の星条旗を立ち上げる戦勝記念碑も建っているとのこと。
9月10日 北硫黄島
11時30分
北硫黄島も山頂部分には雲がかかっていた。
みる方向にもよるが3島のなかでは一番とんがって見えた。
戦争中の1944年には90人が住んでいたが戦況激化で強制疎開させられた。
気温27度、水深700メートル、船と島の距離は1キロメートル。
大きさは東京都の青ヶ島とほぼ同じとのこと。
島を右側に回り込むと細長い島の姿が現れた。
以前は島の西側に西村、東側に石野村がありの2箇所に村があり、小学校は東側石野村にあった。
子どもたちは海岸線を伝わって通学したが海が荒れると山越えをしたというが見るからに大変なコースである。
船から見ると海岸線から一段高いところが平らになっており、そこに1944年太平洋戦争の戦況悪化に伴い強制疎開されるまで村があった。
村があった場所にはミクロネシア系遺跡が残されていたという。
山頂にかかっていた雲はとび、792メートルの島最高峰が現れた。
船と島の距離は500メートル。
赤い岸壁が凄い迫力だ。
売店で買ってきた天然酵母のメロンパンとクリームパンそれに小笠原パッションフルーツチューハイで420円。
昼食を摂りながら北硫黄島を眺める。
海の色は美しく青く澄んでいる。
しかし、よくこんな地形の島に人が住んでいたものだと感心する。
映画ジュラシックパークの中に出てくる無人島を連想させる形をしている。
赤足カツオドリのようちょうが船の前方マストに留まって休んでいると船内放送あり、珍しい鳥が飛んでいる放送があるとバズーカ砲のような望遠レンズを着けたカメラね連写シャッターを切る音が一斉に聞こえる。
噴火に伴うマグマの流れた跡がいく筋も縦に見受けられる。
13時5分に北硫黄島を離れる。
船に驚いた飛び魚が200メートルも300メートルも飛んでいく姿が見られた。
9月10日 特別講演会
1南硫黄島調査隊報告
2硫黄島の歴史と現在
3北硫黄島調査隊報告
4ホエールウォッチイング
についてスライドを見ながら各々専門家から報告があった。
初めて聞く話ばかりでためになった。
9月11日 ジョン・ビーチ
810役場前
小港海岸行き
830小港海岸
910ブタ海岸
メジロ、ヒヨドリ、ハマヒルガオ
トカゲおす1匹確保
940高山とジョンビーチ分岐 トカゲおす1匹確保
1000ジョンビーチ
トカゲおす1匹確保
凄く美しい海。
フルヌードになり泳ぐ。最高。
1040ジョンビーチを離れ引き返す。
初めて足ひれを手にした男性2人に出会う。
野生化した山羊の群れに出会った。
立派な角と髭のある茶色が素晴らしい。
1115ジョンビーチ分岐ひと休み。
真っ青な海が広がっている。今日もベタ凪ぎ。
ウエストバックのなかのトカゲが動いているのが音でわかる。
3匹のうち1匹が生きていればいいと思う。
登山ザックを背負い完全装備の姿をした女性2人と出会う。自然観察パトロール隊のような印象を受けた。
1145ブタ海岸。
カヌーが3艇着いていた。
植物名を話し合っている3人の若者に出会った。
1200中山峠。
小港海岸に遊覧船が停船していたが白い軌跡を残して出ていった。
握り飯をひとつ食べた。
小港海岸までの途中でカメラを中山峠に忘れたと気付き戻った。
1235小港海岸。
白砂の美しい海岸。
小笠原国立公園の表示柱が立っていた。
休憩所に若者多数。
白浜に寝そべるひと1人。
海で遊ぶひと2人。
1255バスに乗って帰った。
9月11日 缶チューハイ
カンチューハイを生協で買うと143円、自動販売機で買うと160円。
ひと缶17円の違いだが多量に買う時は生協で買うといい。
また、道の反対側にあるスーパーも食品は多いので覗いてみる。
今回は小笠原限定チューハイが生協は売り切れだったがスーパーにはあった。(*^^*)
明日はトカゲのエサの昆虫を捕ろう。
1650カンチューハイ4かん飲んで、更にカンチューハイ2かんを飲んでいるが、同室の伊藤さんはまだ帰っていない。
随分頑張っているなぁ。
9月12日 たぶん
中山峠に忘れたカメラ。
ものすごい暑さで500mlの水分では足りない。
わかっていたのだが頭がボーッとしていたのだろう。
カメラを収容し小港海岸に戻るルートを簡単な分岐を見逃し、真っ直ぐ尾根を直進した。
途中でルートを外れていることがわかる。
なんで単純なミスをしたのか、考えた。
疲労と熱中症による頭の回転が正常に働かなくなっていたのだろう。
注意力が散漫になっていた。反省反省。
9月13日 大洋荘
大洋荘は一泊2食で7300円だった。
ひとり息子の名前は雄大、現在、小笠原高校1年生。
眉が太く細面、キリッとしたなかなかのイケメンボーイだ。
学校は楽しいか聞くと、楽しいと答えた。
食堂に夢の実現と書かれた書き初めが2枚貼られていたので、夢の実現に向けて頑張れ、というと、はい、と答えた。
私と雄大とのやり取りを隣でおかみさんがにこにこ微笑んで聞いていたが、素直そうな少年だった。
昼御飯は亀の煮込み定食と瓶ビールで1950円。
亀の煮込みはゼラチンたっぷりで一味唐辛子をかけて食べたが美味かった。
隣に座った観光客のおばさんが私には食べる勇気はないけれど、写真を写していいですか?と聞いてきたので、どうぞとトレーごとおばさんの目の前に差し出した。
夕御飯に島寿司900円、これは美味かった。
日本酒300ml600円、 島レモンチューハイ260円、ツマミ2種類260円、お土産はジャムセット1080円。
翌朝の朝食はカレー味のカップルヌードル180円、カンチューハイ160円、天然酵母のいちごジャムパン130円。