小田野直武と秋田蘭画展に出かけてみた
『不忍池図』 小田野直武
私が小田野直武という名前を知ったのは1年前だった。水墨画の画材を見つけようとパソコンで牡丹の花を探していた時に偶然小田野直武の絵を見たのである。その絵は不忍池を背景として紅白の芍薬を描いたものだった。小田野直武が生きたのは江戸時代中期であり、その時代に色彩豊かな精密画を描いていたことに衝撃を受けたのだった。
小田野直武という画家に興味を持ち、小田野直武に関する本や研究書を図書館から借りて読んでみると、小田野直武は私が生まれた1948年から遡ること200年前の1749年に秋田藩角館で武士の子として生まれ、25歳で杉田玄白たちが翻訳した医学書『解体新書』の挿絵を描いたことを知った。更に32歳という若さで亡くなったが死因は不明であることも分かった。私は直接肉眼で小田野直武が描いた絵を見てみたいと思った。そして同時に小田野直武に繋がる秋田蘭画と呼ばれている一群の絵画を見たいと思った。それらの絵は秋田県内の各美術館に展示されていることも判明した。
私は来年になったら秋田に出かけようと思っていたところ、偶然にも東京六本木のミッドタウン内にあるサントリー美術館で『世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画』展が2016年11月16日〜2017年1月9日まで開催中であることを知った。展示概要を確認したところ、小田野直武の作品の数々と秋田蘭画の殆どが展示され、会期半ばで展示内容をそっくり入り替えることになっていた。すぐスケジュールを確認しサントリー美術館に出かけた。
展覧会入口で展示替えリストをもらい、更に音声ガイドとプログラムを500円払って借りて会場に入った。展示プログラムに沿って1点1点の作品を丁寧に観ていった。平日のせいもあってか鑑賞者は少なくゆっくり見ることができた。リストでは168点の作品が記載されていたが、その約半分が前半期の展示だった。私が直に見たかった『不忍池』は作品106として展示されていた。約180年前に描かれた芍薬の花は瑞々しく花を開かせていた。私はこの花を墨彩画で模写してみようと思った。
『解体新書』
展覧会は小田野直武が12歳で描いた絵から32歳で死を迎えるまでの作品が作成年代順に展示され、その合間に関連者の絵や書が展示されているため小田野直武がどのように成長していったのかが分かりやすかった。個人蔵の作品も多数展示されていたので、こんな絵も描いていたのかと感心するものも多数あった。秋田藩主佐竹曙山自らが描いた絵も多数展示されていた。上手な絵だった。
また、驚いたのは展示されていた写生画で、昆虫、植物、花、鳥などが実に精密に描かれ色彩も施されており、現代に描かれたといっても通じるものである。描く際に使った筆の細さにも驚いた。まるでペン先で描いたような細い線を筆で書くことの難しさを知っているだけに見事な集中力・技術力だと思った。作品展示替えの後半期にも出かけて残りの半分も見てみようと思っている。