一杯のオニオンスープ
1日目:1月14日(火曜日)晴れ
今年も北海道の山奥の温泉とスキー場のほかはなにもない“ぬかびら温泉郷”にやってきた。糠平温泉は大雪山国立公園内にあり、位置は旭川と富良野の中間あたりで北海道のほぼ真ん中の山奥の温泉地だ。
JAL1151便は1月中旬だというのに雪のないとかち帯広空港滑走路に予定時刻の9時15分に滑り込んだ。今年もクラブツーリズムのスキーツアーに参加し、ぬかびら温泉郷スキー場でスキーと温泉を楽しむために3泊4日の予定でやってきたのである。今回のスキーツアーに参加しているのは20人弱で20代が7人、他は殆どが60代と思われる。火曜日から金曜日の日程ということもあるだろうが、最近はどこに出かけても年配者の姿が目に留まる。もっとも私の年齢も65歳なのでその年配者の中に含まれるのだが・・・
羽田空港で搭乗を待っていると帯広空港に近い女満別空港、旭川空港が降雪のため着陸できない場合は羽田空港に引き返すか千歳空港に変更になることを予め了承ください、と放送されていたが帯広空港は快晴で積雪はなく冬の北海道という感じがしない。気温はマイナス6℃と機内放送されていた。帯広空港から大型バスに乗り1時間30分で糠平舘観光ホテルに到着し、フロントで部屋の鍵やリフト券を受け取りホテル滞在中の諸注意の説明を受ける。今回の私の部屋は西館437で広さは8畳の和室だ。ゲレンデが真っ正面に望めるが滑っている人影は認められない。
早速スキー服に着替えてゲレンデに飛び出した。ゲレンデマップは既に頭に入っているので、第1、第2、第3高速リフトを乗り継いで山頂まで登って行った。今年も迷彩服を着た自衛隊員の雪上訓練姿が目立つ。彼らは6人が一つのグループになり赤い腕章をしたリーダーがいろいろ指示を出している。グループの中には初めてスキーを滑るような危なっかしい姿をしている隊員も見受けられる。彼らが履いているスキー板を見ると裏側がバックしないように波目が彫り込んである山スキーで前進あるのみだ。普通は山スキーの場合は裏側に動物の皮などのシールを貼って後戻りしないようにするのだが、はじめからスキー板自体に溝を彫り込むとは恐れ入った。これは自衛隊が実戦を想定した山スキーなのだろうが、実戦がないことを望む。彼らはリフト券を持っていないのでリフトはフリーパスだ。着ている迷彩服が自衛隊員を証明しているので一括清算しているのだろう。彼らはリーダー隊員のもと雪上訓練を充分に楽しんでいるように見えた。君たちが実戦で戦火を交さことのないことを切に願う。
毎日、大勢の自衛隊員が雪上訓練をしていた
第3高速リフト乗り場に温度計が吊り下げられていたので乗り場係員に気温を訪ねるとマイナス12℃との答えが返ってきた。午後2時の最も外気温が高くなると思われる時刻の気温であった。両足、両手の指先が冷たいのを通り越して痛い感覚である。第3リフト途中にあるアリエスカという名前のレストランに入って休憩だ。今回のツアーのソフトドリンクサービス券を持っていたので何が飲めるのかを店員に訊ねると、コーヒー、ココア、紅茶の3種類の中から選んでください、とのことなのでココアを頼んだ。陽光が燦々とふりそそぐなかでゲレンデを眺めながらの一服は実にいいものだ。私は普段甘いものを殆ど口にしないためにココアの甘さは強烈だった。
ゲレンデの雪質は悪かった。雪も例年に比べて極端に少なかった。昨年12月に旭川を訪ねた時にタクシーの運転手が今シーズンは積雪量が少ないと話していたが、本当に少ないのが実感できる。ゲレンデ内では封鎖されていたコースが2ケ所あった。結局1日目は第3リフトの山頂ゲレンデを5本滑って、帰りは第1高速リフトまで滑り降り、ロマンスリフト側ゲレンデを1本滑った。15時にはホテルに戻り冷えた身体を天然温泉に沈めた。露天風呂にゆったりつかり無我の境にひたる。湯上りはサッポロクラシックビールに焼酎「インカの目覚め」で夢心地となった。
2日目:1月15日(水曜日)晴れのち曇り
外が明るくなってきたのでカーテンを開けると雲ひとつない快晴だった。早速露天風呂に入りに行く。露天風呂の周りの木々の枝々が霧氷となって美しく輝いている。霧氷は朝日が昇れば融けて消えてなくなる。2〜3時間の短い命だが、それゆえに余計に美しく感じられる。
パノラマコースから氷結した糠平湖が望める
午前10時にホテルを出てゲレンデに向かった。滑るのは変化に富んだ山頂ゲレンデである。今日も第3高速リフト乗り場の担当者に気温を確かめてもらうとマイナス15℃との答えが返ってきた。今年は特に寒いという。先週から日本列島は北極からの寒気団にすっぽり覆われ、北海道での最低気温がマイナス25℃の日が5日間続いている、と朝の天気予報で伝えていたのが頷ける気温だ。2重の手袋、2重の靴下を履いても両手、両足の指先から寒さがジンジンと迫りながら徐々に痛くなってくるのだ。
氷点下15℃の外気温のなかで滑っていても一向に身体は暖かくならずむしろ凍えてくるだけだ。そのまま続けていても身体に悪いので一度だけレストラン休憩をとった。食事は摂らずに好きなオニオンスープを注文し身体を温めただけで8本滑り、昨日と同じに第1高速リフトを登り返しロマンスゲレンデの最上部から1本滑って13時にはホテルへ戻ってきた。寒すぎるゆえに午後の時間は読書と温泉の時間にあてたのである。
今回の旅には『少しの愛を ほんの少しの夢を ネパールの子どもたちへ』と『OKバジ』という2冊の本を持ってきた。いずれもネパールに関する本である。昨年11月にネパール・トレッキングに行くのに際して、山岳書、トレッキングガイド書に限らずネパール関連の本を立て続けに読んだ。その結果、次々に知らなかったことや新たな疑問がわいてきたので今もネパール関係書類を読み続けているのだ。本を読むことによってネパールの子どもたちの酷い状態や山間部に生活する人たちの酷い実態が浮かび上がってくるのだが、私個人で何が出来るのかを自問しても何もできないのが現実だが、ネパールの人たちの置かれている実情をなるべく正確に理解しておくことは出来ると思う。
2冊持ってきたうちの『少しの愛を ほんの少しの夢を ネパールの子どもたちへ』は既に往路の飛行機とバスの中で読んでしまった。国際NGO『ネパールの子どもたちを援助する会』の設立過程と活動内容を通してネパールの子どもたちの現状を書いている本だが、読んでいてやりきれなさが募る。明日も寒い日が続くだろうから今日と同様に3時間ほど滑ったらあがり、読書と温泉の時間に使おうと思っている。
3日目:1月16日(木曜日)晴れ
雪が降らず晴天続きなのでゲレンデの雪面はバリバリに凍り全くの悪コンディションだ。おまけに強い寒気団がやってきているために日中の気温が上がらず冷凍庫の中で滑っているようなものだ。それでも昨夜降ったのであろう山頂部には粉雪が10cmほど新雪となって積もっていた。
東大雪の山々
「今日は暖かく感じますね。私はこの建物から外に出ないので射し込む太陽に当たっていると外の寒さが全く分からないわ」と話しかけてきたのは山頂ゲレンデの途中にあるレストラン「アリエスカ」の女性店員だった。私は今日もオニオンスープを注文した。昨日も同じものを注文したのだが、その女性店員は昨日、私がビールを注文するだろうと思っていたのか私がオニオンスープのチケットを渡した時に、僅かながら「オゥッ!」と驚きの声を発したのだった。私の前に注文した女性が生ビールを頼んでいたから当然私も生ビールを注文するものだと思っていたようだった。その女性店員は私の着ているピンクの派手なスキーウエアを覚えていて私に気さくに話しかけてきたのだろう。
「今日は、そこのリフト乗り場でマイナス14℃でしたよ。昨日はマイナス15℃でしたから、ほんのちょっとこれくらい昨日より暖かいですね。」と指先で1cmほどの隙間をつくり女性に示すと「あはは」と明るい声を出しながらオニオンスープの準備をした。待つこと数分で白いカップに入れられた暖かいオニオンスープが出来上がった。女性は「熱いので十分注意してお飲み下さい」という言葉と明るい笑顔を添えてくれた。20代と思われる丸顔の女性の耳には大きめなリングのイヤリングが揺れていた。こういう妻に似ている明るい笑顔の女性が好きだ。
両手で包み込むようにカップを持ちながらひとくち飲むと私の冷えた身体に沁み込むようにオニオンスープが入って行った。差し込む陽光を浴びているとまるで温室の中にいるような錯覚にとらわれる。ゲレンデを滑降してくるスキーヤーやボーダーを眺めながら飲む一杯のオニオンスープは実に美味しく身体の中から私自身を元気にしてくれるのだった。
今日も早めに滑るのを切り上げてきたので2冊目の『OKバジ』を読んだ。この本は54歳の時に23年間勤務していた私立女子学園の英語教師を辞して単身ネパールに住み込み、現地の人から「OKバジ:オーケーおじいさん」というニックネームをもらいながら山間部の住民とともに教育の普及や生活向上に奮闘している垣見一雅さんの現地レポートで、2001年の発行である。現在73歳になる垣見さんは20年を経過した今でもネパールに滞在し住民の生活向上に努力している。ネパール語を全く知らずに飛び込んで行った勇気と行動力と持続力にただただ頭が下がる思いである。
4日目:1月17日(金曜日)晴れ
3泊4日のスキーツアーの最終日となった。今日も雲ひとつない快晴であるがスキーヤーは少ない。メインゲレンデのロマンスリフトは設備点検という名目で運転を中止してしまった。
今日も寒い。昨晩飲んだ酒量の多さも影響していると思われるが、外に出ていく気力が身体から失せていく。昨夜は温泉から上がるとビール2本、焼酎3杯、冷酒2本を飲んで充分夢心地になった。身体が寒さのため疲れていたのだろうが今朝は体調がイマイチだった。結局、外には出ずに温泉休憩と読書にすることにした。
2冊目の『OKバジ』を読み終えた。今もネパールで活動を続ける垣見さんが昨年夏に幕張公民館で講演をやったことを公民館ニュースで知ったのは昨年暮れのことだった。半年前の私はネパールのことをあまり考えていなかったので講演会にも参加しなかったが今となっては実に惜しいチャンスを逃したと思っている。
19年前の1月17日、阪神淡路大震災が発生した。月曜日の早朝だった。その週の土曜日に被災地の西宮に第1次災害復旧支援班の一員として仲間とともに入った。それから3週間復旧活動に当たった寒かった日々を思い出す。今は会社を退職し主夫をしながら自由気儘の生活だが、困っている人たち、助けを求めている人たちへ自分の出来る範囲で援助するという姿勢は持ち続けたいと思っている。それにはまず実態を知ることが大切だと思っている。