ネパールの両津勘吉

 

アンナプルナT峰をバックにガイドのパトナさんと

 

 アンナプルナ・ベースキャンプに向けて往復11日間のトレッキングを開始した初日だった。私たちは約6時間歩いて初日の宿であるガンドルン村のブッダ・ホテルに17時ころに到着した。1階の食堂でウェルカムティーが出され、それを飲んでいるとガイド頭のサーダーが「トレッキングに出発するときは元気だった私の妻が突然亡くなった。どういう状況か分からないが家に戻らなければならない。みなさんと一緒にトレッキングを続けることができなくなり、申し訳なく思っています」という挨拶も慌ただしく、歩いてきた道を引き返して行った。トレッキングの途中から携帯電話で何度か話をしていたので、妻が亡くなった連絡と今後の対応を話していたのかと改めて思ったのである。サーダーの家はカトマンズにあると言っていたので、トレッキングを開始したヤナプールまで夜道を歩き、更に車で2時間近くかかるポカラまで出て、そこから車で7時間の距離にカトマンズは位置する。どんなに急いでも帰宅は明日の夕方になるだろうと思った。

 

私たちは夕食をすでに終え食後のお茶を飲んでいた20時頃、急遽、変更になったサーダーとしてカトマンズからやってきたのがパトナさんである。それにしても凄い機動力である。日中に代役の連絡を受け、カトマンズからポカラ、ヤナプールを経由して山道を歩いてガンドルン村までやってきてくれたのである。そのことだけでも凄い体力の持ち主だと思ったが、最初の一見だけで『週間少年ジャンプ』に掲載中で37年間も連続している人気アニメ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」通称「こち亀」の主人公である両津勘吉に似ているなぁと思った。ずんぐりしている身体、太い眉と全体から醸し出す雰囲気が正に両津勘吉だと思った。

 

パトナさんはとても日本語が上手だった。それ以降、パトナさんとはトレッキングの途中で度々会話をすることになったのだが、どこで日本語を習ったのか質問すると、カトマンズの日本語学校で4ヶ月教えてもらい、それ以後は独学だという。33歳のパトナさんは独身であり、今回のトレッキングには11人のポーター、コック、ガイドの人たちにお世話になったが唯一の独身者だった。ネパールの人たちは10代〜20代で殆どの人が同じ民族、同じカーストの人と結婚してしまうとのことだった。

 

ティータイムで話し込むサーダーのパトナさん

 

 パトナさんは11年前に荷物運びのポーターからスタートし、キッチンボーイ、サブガイドを経て、7年前からガイドとなったという。ガイドになる前の4年間で先輩ガイドのやり方を勉強すると同時に日本語を学んだという。トレッキングガイドの縁で日本からのお客さんに懇意にしてもらい、毎年ネパールの雨季である7月〜8月に日本の山小屋(南アルプスの御池小屋と言っていた)で働くことができていたが、日本における身元引受人として面倒を見てくれていた恩人が昨年12月に亡くなってしまい今年の夏は日本に行けなかった、と言ったのが淋しげであったが私にはどうにもできないことだった。

 

パトナさんのガイドは日本人専門で、英語は話せるが欧米人のガイドはしないという。いつもはエベレスト街道方面のガイドをしているのだが、今年はアンナプルナ方面に3月、4月、10月、11月と4回目だという。サーダーの役割はツアー添乗員と連絡を密に取りながらトレッキングルートと時間の確認、宿舎の手配、コックと料理の内容確認、ポーターの人たちとの連絡と統制、宿泊ロッジの料金精算、などなどトレッキング中に起こる様々なことを処理していく重要な責任者である。

 

仲間の一人が休憩途中でトイレに行きウエストバックを置き忘れた。その中にはパスポートやら現金などが入っていた。起き忘れたことも知らずにトレッキングを続け次の休憩所に到着直前に携帯電話で連絡が入った。サーダーのパトナさんはウエストバックを発見した関係者と50分近く携帯で話したが、相手は300ドル=3万円の謝礼を要求して譲らないという。結局、ウエストバックを置き忘れた人の了解のもとで300ドルの謝礼を渡して一件落着となったのだが、パトナさんは、みなさんが休憩し出発したあとで忘れ物がないか確認しなかった私が悪かったのです、すいません、と詫びたのだった。また、こういうこともあった。私が陶芸で粘土に混ぜる河砂をペットボトルに入れたいので、先ほど渡った河原まで戻りたいというと、わずか5分ほどの距離なのにポーター一人を付けて河砂を取りに行かせてくれた。常に最悪なことが起こるかもしれない、ということを考慮しての判断だったのだろうと思う。

 

ポーターをしていた頃は50kgの荷を担いだというパトナさん

 

 パトナさんは明るく陽気だった。大きな声でトレッキング仲間に声をかけ、冗談を言っては笑わせた。日本語が上手なのでツボを得た会話ができた。パトナさんはツアーガイドとしてはポカラで終わっていたのだが、私たちがカトマンズからバンコクに戻る翌朝にも別れの挨拶にバイクに乗ってやってきた。私は今まで、韓国、ペルー、タンザニア、パキスタンなどの山旅を経験してきたが、パトナさんのようなガイドはいなかった。パトナさんは「こち亀」の両津勘吉に外見と明るく陽気なところは似ているが、中身は周りへの気配りと繊細さが詰まった名ガイドだという印象を受けた。私はこれからもネパールへの山旅に出かけたいと思っているが、パトナさんと再会できるといいなぁと思う。

 

戻る