騾馬と人力だけが頼りの物資搬送?!
輸送の主力は騾馬(リーダー騾馬の頭には飾りが付けられている)
「騾馬と人力だけが頼りの物資輸送」と書き始めるとネパールというところは未開地なのかと思われる方がでるといけないので注意が必要だ。勿論、ネパールに自動車は走っており首都のカトマンズなどは排気ガスによる空気汚染でマスクをしている人々を度々見かける状態であり、40年も前のトレッキングレポートを読んでもカトマンズの空気汚染は酷かったようである。しかしトレッキング途中に通過する山村になると自動車が走れる道は整備されていない。昔からの幅2m程の石畳の道が延々と続く状態が殆んどである。
目的地に到着するまでの行程は谷まで降り、吊り橋あるいは丸太橋を渡って川を越すと再び尾根まで登り返し、尾根を乗っ越すと再び谷まで降るということの繰り返しで目的地に到着するというのが一般的である。登っては降り、降っては登りの連続で目的地に着くため、目的地が目で確認できていても目的地にはなかなか到着しないというのが実情だった。
従って必要とする物資は車が入るところまでは車で運ぶことができるが、それ以降の山村への物資の移送手段は騾馬か人間ということになる。騾馬の行列は5頭くらいのことが多いが、先頭を行く騾馬の頭にはリーダーを示す飾りが付けられている。そのリーダーが先頭になって進んでいくわけだが、騾馬の一隊を引き連れている馭者は最後尾に控えており全ての道順は先頭のリーダー騾馬に任せている。騾馬は毎日の行き帰りの行程を覚えているため安心して任せられるようだ。朝、地元の村を出て車が入る荷物受け取りの場所まで行き、荷物を受け取ったあとは荷物を騾馬の背中に括り付け、地元の村に戻ってくるという行程を行っているわけだ。
チョムロン村の住居と段々畑と生活道路
山村なので家の数があまりないのかというとそうではなく南斜面に結構多くの家が建てられていた。その家の傍に細い道が縦横無尽に付けられているような形となっており、トレッキング道もその中の一本で村と村を結ぶ基幹道路という形となって目的地まで伸びているというのが実態だった。
吊り橋と石畳の生活道路
ネパールに住む民族にとって白く輝く雪山は神聖なものであり標高が高くなり聖域となると騾馬は入ることができなくなる。そうなると当然のことに騾馬の代わりに人間が物資を運ぶことになる。日本で言うところの歩荷である。トレッカーの荷物を運ぶのはポーターであるが、ロッジで使うプロパンガス、トイレットペーパー、野菜や米などの食料品、酒類などの生活用品は全てドコと呼ばれている竹の籠に詰め込まれ一本の紐を額に当て歩荷が運んでいく。殆どの歩荷はランニングシューズを履いているが、なかにはビーチサンダルで軽々と登っていく人もいる。男性が殆んどであるが女性も見受けられる。歩荷を職業としている人たちは若い人が多いが急坂の場所もあり身体的にはきついだろうなぁと思う。私たちのトレッキングに同行した6人のポーターの中に2名の大学生がいたが、彼らは力仕事をやって得た賃金を学費に使っていると言っていた。日本の学生のアルバイトは交遊費に使われるのが殆どだろうが、ネパールの学生たちのアルバイトは学費に使われているのが実態だという。しかし、そのように苦労して大学を卒業しても就職率は50%という現実があるのもネパールの実態である。
荷物を運ぶ
ネパールという国にはこれといった産業がなく、ネパール・ヒマラヤという世界の屋根が聳え立つ農業国なのだが、同時にその自然環境を活かして観光にも力をいれトレッキングコースを整備している。ネパール第2の都市であるポカラのような風光明媚な土地にも観光客は訪れるが、年間数万人の人たちがトレッキングで入国することによりシェルパやポーターたちの仕事が発生するのだ。現金収入が殆んどない山間部の人たちにとってトレッカーの荷物持ち運びやコースガイドは重要なものとなっている。