埃と喧騒のカトマンズ

 

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ハヌマンドカ前のカイバイラブ像

 

 ネパール山旅も終盤に近づき帰国の途につくためポカラから首都カトマンズに飛んだ。予定通り飛行機が飛べば午前中にカトマンズに到着し昼食後の午後は自由時間となる。この時間を利用して希望者は市内観光に出かけることにした。カトマンズに何回も訪れている3名を除いて残りの9名が市内観光に参加することになった。料金はガイド付きで30ドル=3000円である。ガイドはサンタという名前の40歳代と思われる男性ガイドで日本語がとても上手だった。

 

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排気ガスまみれのカトマンズ市内

 市内の観光施設に向かうためホテルから市内を専用バスで走っていくわけだが、驚くことは道路に反対車線との境目の中央線はもちろんのこと同方向でも車線は引かれていないのだ。信号があっても点灯しておらず交差点には警察官が立って交通整理をしているのだ。その交差点に人、バイク、自動車が隙さえあれば突っ込んでいく状況であり、渾然としているというのが第一印象である。排気ガスと埃で空気が汚れているのが実感できる環境であるから通行人や警察官はマスクをしている人が目につく。カトマンズの空気がこれほど汚れているとは来るまで知らなかったが市内ではマスクは必携のようだ。もっとも30年前にカトマンズを訪れた人からも交通整理をしている警察官は年間数人が呼吸器系疾患で死亡していると説明を受けたというから、その当時とあまり変わっていない感じだ。道路は整備しているものの路肩は土が丸出しで凸凹しており時折り牛がノンビリ散歩しているのに出会う。牛はヒンズー教にとっては神様であり決して粗末にしない、というが野良犬、野良猫ならぬ飼い主のいない野良牛が往来を闊歩しているのだ。オスが生まれると金にならないので車に乗せてきて捨てていくのだという。いやはやなんともの世界である。

 

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スワヤンブナート寺院のストゥーパ()

 

まず、最初は世界遺産にも登録されているカトマンズ市外西側の小高い丘に建つスワヤンブナート寺院のなかのストゥーパ(仏塔)に出かけていった。俗にいう目玉寺である。このお寺は野猿がいることでも有名で、いたるところに猿が見受けられる。油断をしていると持ち物を持って行かれてしまう。仏塔は四角の顔に薄目を開けるような2つの目と額に第3の目が光っている独特の顔で、鼻は平仮名の「の」の字が垂れ下がったような形をしているが、これは地獄から天国へ這い登る蜘蛛の糸だという。ネパールの世界遺産が紹介される時にカトマンズでは必ずといって良いほど登場する建物で、5色のタルチョが旗めくなかで日光に照らされキラキラ輝いていた。ストゥーパの周りには露天の土産物屋が様々な土産を広げていた。その中で目についたアンナプルナとヒマラヤの山岳トランプを買った。トレッキングの途中でポーターの人たちがトランプ遊びをしていたのを見ていて、そのデザインから買いたいと思っていたもので値段は1個150ルピー(150)だった。

 

専用バスまで戻る途中で目についたのは木彫りの仮面である。すぐに買いたいと思った。同じような仮面をトレッキング中にも見かけたが3000ルピーと値段が高かったので買いそびれていたものなので値段交渉に入った。最初3000ルピーだと言われた。高すぎるから買わない。1000ルピーなら買うと言った。相手は2000ルピーと値下げたので、1500ルピーだと言い返した。相手は安すぎるという。では買わない、と歩きだしたら1500ルピーでいい、と追いかけてきた。結局、1500ルピーで木彫りの仮面を手に入れることができた。土産物屋では値段は付いていないので全て交渉で決まるのだ。メデタシ・メデタシ(*゚▽゚*) この魔除けの仮面は現在我が家の玄関に飾ってある。

 

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アッサンのバザール

 

 ガイドのサンタさんに導かれて市内に残る史跡を次々と訪れた。木彫り彫刻が見事な14世紀頃の旧王宮や今も生き神様である聖少女クマリが生活するクマリ館も印象的だった。45歳でクマリになった生き神様は様々な重要な祭事を司るという。クマリは初潮を迎えると代交代し俗世の普通の生活に戻るというが、その後は生き神様だった女性と結婚を望む男性は少なく結婚もままならないと言われている。そのような文化が21世紀のネパールの首都でいまなお続いているのである。クマリの館に入ってみた。中庭の正面の2階に3つの窓が開かれており、真ん中の窓からクマリが顔を出すという。私たちが入ってから20分ほど経ったであろうか右側の窓から外庭に集まる人数を確認していた老人が中に引っ込むといよいよクマリの登場であった。出会ったクマリは小学生高学年の10歳位の少女だった。クマリが顔を出すのは瞬間的なので見逃さないようにとガイドから説明を受けていたが、実際に登場したクマリは2分間位窓から顔を出し、右下に視線を当てていた。2分間の終わりの数秒だけ私たちのいた左下に視線を向けた。目に独特の化粧をした少女の顔が眺められた。中庭からクマリを写真に撮ってはいけない決まりとなっているので彼女の顔をしっかり記憶にとどめようとしたが、クマリの顔はどこででも出会えるような少女の顔だった。館を出るときお賽銭として5ルピー紙幣を賽銭箱の中に入れた。

 

 日用品、食料品、衣料などあらゆる生活用品が売られている旧市街のアッサンのバザールにも出かけた。浅草の仲見世通りの混雑を連想させる人ごみの中にバイク、乗用車が遠慮なく乗り込んでくる。日本ではありえないが、車に轢かれる人間のほうが悪いのであるという考えがあり、ネパールでは当たり前の状況なのだ。道路を渡るのも車に轢かれれば人間が悪いことになる。信号が完備した日本人には道路を渡るのも命懸けである。バザールでは岩塩200gを5袋、トッピと呼ばれるネパール帽子、ジャガイモの皮むきを買った。

 

 私たちはカトマンズではアンナプルナ・ホテルに宿泊したが、そのホテル周辺は道路も広く開店している店も高級店ばかりで東京で言えば銀座通りなのだが、15分も歩くと混沌としながらも生活力旺盛なアッサンなどのバザールに行くことができる。ネパールは世界における最貧国の一つで、ガイドのサンタさんによると平均年収は5万数千円だというから月収にして約5000円である。日当にすれば200円〜300円に過ぎない。ホテルでビールを飲めば大瓶1本で680円となる。ネパール人の2日〜3日分の日当を毎晩食前酒として飲んでいるわけである。そのことが良い悪いではなく現実としてそのような実態があるということを実感した旅行だった。

 

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