ネパールとアンデスの石積みの文化
ネパールの段々畑
11月にネパール・ヒマラヤのアンナプルナ・サンクチュアリ・トレッキングに出かけた。往復11日間のトレッキング中に天にも届かんとする段々畑に度々出会った。特にトレッキング初日と2日目に歩いたガンドルン村からチョムロン村までの区間で見渡せる段々畑は壮観という言葉に尽きる見事なものだ。谷底から尾根まで続く段々畑の光景を眺めていると、その段々畑を黙々と築き上げ維持管理してきた農民の労力と流された汗にただただ頭が下がる思いにかられた。私の目に入ってくる段々畑の光景は4年前に娘と甥っ子と訪れたペルーの段々畑を思い出させたのである。
マチュピチュの段々畑
ペルーで訪れたマチュピチュ遺跡も尾根上に築き上げられた段々畑であった。ペルーというよりもアンデス山岳地方の農業は山を開墾するという地理的条件のため必然的に段々畑とならざるを得ず、そこにジャガイモやトウモロコシやトマトなどを栽培しているのだった。そのアンデスの段々畑と今回のネパールの段々畑がオーバーラップして見えたのである。
ネパールの石垣と梯子(4段に築かれていた)
段々畑の共通性だけならば山岳という地理的問題と考えられ、標高による共通性は気象条件で栽培野菜もほぼ同じものが作られているのだが、更に私を驚かせたものがあった。それは石垣に築かれていた梯子であった。梯子というと私たちは木の梯子を連想するが木ではなく石の梯子である。
マチュピチュの石垣と梯子(3段に築かれていた)
石の梯子は石垣を積み上げていく段階で石垣より外側にはみ出す形でステップを斜めに積み上げていくのであるが、私はペルーで石の梯子を初めて見た時に、これぞ石積みの文化だ、といたく感動したものだ。その石積み方法による梯子に今回のネパール・トレッキングで出会い、改めて石積み文化の伝播とはどのようになされていくのだろうかという思いに馳せたのである。アンデスの山奥に築かれた石積みの文化は16世紀のスペイン侵略によりインカ帝国が滅ぼされる以前から黙々と築かれてきたものが現代に残っているわけだが、ネパールの石積みの文化がいつの頃から始まったのかは知る由もないが、中央アジアのネパールと南米アンデスでは地理的に地球の反対側であり2万kmも離れているのだ。それが同じ石積みの文化を共有していることに不思議な気持ちになったのである。