なしか!を飲む
大分限定販売「なしか!」焼酎
一般的に輸送が不便な山小屋の食事は質素なものが多いが、法華院温泉山荘2泊目の夕食メニューは次のようなものだった。
豆腐のステーキとキノコの付け合せ、鯖の味噌煮、けんちん汁、温泉玉子、野菜サラダ、漬物、トマトのデザート、・・・
料理に心がこもっているのが感じられ、とても美味かった。この夕食を肴にワンカップの焼酎「なしか!」を2本飲んだ。「なしか!」は九重連山に入る前に、別府市内でも郷土料理「だんご汁」を肴に飲んだ。喉元爽やかな焼酎である。
コンセプトは「昔、もうちっと勉強しちょったら父ちゃんはもっと出世しちょったち。母ちゃんとも結婚せんやったち。なしか!」と、イガグリ頭の洟垂れ小僧が湯たんぽにヤカンのお湯を注ぎ入れている漫画の横に大分弁で書かれてある。大分県限定販売の芋焼酎だが、おもしろい名前とキャッチフレーズだなあと思った。アルコール度は20%であった。アルコール度20%という数値は水やお湯で割る必要もなく、そのままストレートで飲めるので丁度いい。
2泊目の宿泊登山者は6名であった。250名収容の山荘なので実に広々としている。料理も美味い。私は今まで30年ほど山旅を続けているが、ここ法華院温泉山荘の手のこもった料理は上位3指に入るだろう。バラエティーに富む料理を出してくれる。ちなみに一泊目の料理は、牛肉の煮物、馬刺し、ポトフ、野菜サラダ、漬物、デザート・・・であった。ポトフが美味かった。昨晩も「なしか!」を2本飲んだ。山荘で感激したのは料理の美味さのほかにビールの値段が安いことであった。500mlの缶ビールが320円であった。通常、山小屋のビールの値段は1ml=1円であるから、500ml=500円である。それが「さっぽろ黒ラベル」が320円で飲めた。感激である。風呂上りの必需品であるビールが安いことはビール好きにとっては嬉しい限りである。
19時ともなると辺りは真っ暗闇である。寝る前に再度、温泉に入った。身体がポカポカ温まり調子がいい。風呂のベランダに出ると坊がつるキャンプ場の一張りのテントからランタンの灯りが見え、天空には半月が輝き、星が瞬いていた。静かな山荘の夜は更けていく。耳に届くのは鳴子川のせせらぎだけである。
右から三俣山、水蒸気を上げる硫黄山と星生山
山荘を出発したのは7時40分だった。コースは坊がつるから大船山に登り、北大船山山頂を踏んだあと大戸越に降り、平治岳に登り返して昼食を食べ、坊がつるに戻ってくるというものだった。目覚めた時は雲ひとつない快晴であったが、山荘を出発する頃になると平治岳に雲がかかり、坊がつるも雲が覆い始めていた。坊がつるは野焼きの準備が進められ、湿原を大きく取り囲む形で10mほどの焼かれた帯に取り巻かれていた。ススキをはじめとした植物たちが枯れるのを待って火が放たれようとしている。
大船山への登山道は石が転がる樹林の中を登っていくのだが、木々の高さがあまり高くないので暗さはない。段原という分岐点まで登っていくと展望が開け九重連山の中心部の全てが見渡せる。三俣山、水蒸気を上げる硫黄山、星生山、久住山、天狗ヶ城、中岳、白口岳、稲星山、の山々が実に堂々として登場している。勿論、目指す大船山山頂は大きく眼前に登場しているが、阿蘇地方は真っ白な雲の下に姿を隠している。三俣山の右には坊がつるを挟んで平治岳が見え、北大船山から続く山頂湿原も見渡せる。遥かに由布岳や鶴見岳がある後景は雲の絨毯である。段原周辺はミヤマキリシマが隙間なくびっしり生えている。5月から6月の花期にはピンクの絨毯を敷き詰めたように山全体が桃色に包まれることを思い浮かべた。
大船山山頂直下は急傾斜の岩場だ。右側に落ちれば命の保障はない。人っ子ひとりいない山頂に着いたが残念ながら阿蘇地方の展望はなかった。全て真っ白い雲に覆われていた。天空は真っ青に晴れ渡っているのに山なみを隠す雲が次々に湧きだしているのである。大船山山頂はその展望の素晴らしさから江戸時代には「国観」と言われ、諸藩の動きを監視する展望台でもあった。大船山を南に下ると久住高原であり、竹田市には滝廉太郎が作曲した有名な『荒城の月』のイメージである岡城址がある。その岡藩の3代目藩主であった中川久清公は在任中に何度も「国観」に大船山山頂まで登ったという。しばらく山頂にいると南側のルートからヘルメットを被った登山者が息を切らしてミヤマキリシマの木々の中を登って来た。朝の挨拶を交わしたがルートが長いせいか本当に疲れているようだった。
水平線に広がる雲を見ていてもしかたないので段原まで戻り、北大船山に向かうことにした。ミヤマキリシマの木々の中を突っ切っていくのだが周りは本当にミヤマキリシマばかりである。途中、段原火口内の草原は黄色に変色し美しい景色だ。5〜6月頃は窪んだ草原は水をたたえた池に変わり、その周りをピンクのミヤマキリシマが埋め尽くしている写真を見たことがある。実に綺麗なものである。北大船山山頂から大戸越へ下る登山道は足元がよく見えず周りからの草木が覆い茂っている。登山道は整備されておらず自然のままに荒れ放題である。赤黒い岩石がむき出しになり、脆い地肌は雨に抉られ溝を深くし登山道の標識はない。道に迷わないように何回も踏み跡を確認しながらイヤハヤナントモの状態で大戸越分岐に降り立った。
坊がつるからの大船山遠望
平治岳に登り返した。登山道は、上り専用と下り専用の2つに分れ、登山口から南峰山頂までが一方通行である。「九重の自然を守る会」が提唱したコースだと言う。登ってみて一方通行の登山道の考えは良い考えだと思った。なぜかと言うとミヤマキリシマの開花期はその花を見るための登山者で平治岳はごったがえすという。平治岳の登山道は細く急で足元もよく見えず、登山者が擦れ違うには危険である。登山道を上り下りに整理しなければ事故がおきても不思議がない環境なのである。一方通行にすることによってその弊害を除去することが出来たと判断できる。
大岩が重なる南峰山頂から秋色に染まった「坊がつる」の全体が見渡せる。世話になっている法華院温泉山荘の赤い屋根や、『坊がつる讃歌』発祥の「あせび小屋」の赤い屋根も見える。平治岳山頂もミヤマキリシマが一面に生えている。平治岳は双耳峰のため本峰は南峰から東に5〜6分ほどの位置にあるが、その間もミヤマキリシマだらけだ。5〜6月の花期には文字通りピンク一面に染まることが容易に想像できるミヤマキリシマの多さなのだ。思いがけずに季節外れのピンクの花が咲いているのを見つけた。可憐な花である。
南峰に戻って三俣山と「坊がつる」を眺めながら握り飯とレトルトカレーの昼食を大岩に腰掛けながら食べたあと、太陽を十分浴びながら大岩の上で昼寝を楽しんだ。実に爽快であった。