『スラヴ叙事詩』(ミュシャ)を観に行く

 

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@   原故郷のスラヴ民族・1912年             Sスラヴ民族の賛歌・1926

 

 アルフォンス・ミュシャの展覧会が2017年3月8日から6月5日まで六本木の国立新美術館で開かれているので出かけた。今回の展覧会はミュシャが晩年に16年の歳月を注いで描いた大作『スラヴ叙事詩』20枚の連作が展示されることで、チェコ国外では世界初公開となることが今回の目玉となっている。国立新美術館の正門を入ると右側にチケット売り場がある。ミュシャ展と同時期企画展として日本が世界に誇る異色の芸術家であり、ギョロ目に真っ赤なおかっぱ頭と水玉模様が特徴的な草間彌生さんの『草間彌生・わが永遠の魂展』が開催されているため、平日の午後であったが長い列ができていた。案内嬢にチケット売り場窓口までの待ち時間を聞くと30分ほどです、とのことだったが半分の15分でチケットを手に入れ展示会場に入ることができた。

 

私は以前から輪郭線をはっきり描くミュシャの絵が好きだった。色は淡彩、絵は繊細であり、デザイン対象が花や美しく若い女性であることも好きになった要素だった。ミュシャの展覧会が開かれるたびに会場に足を運び、実物作品を観ると同時に図書館で関連書籍を借りて絵を眺めた。しかし、その中に『スラヴ叙事詩』は含まれていなかった。

 

 展示会場は5つに分かれていた。1番目は勿論今回の目玉である『スラヴ叙事詩』だった。2番目は「ミュシャとアール・ヌーヴォー」。3番目は「世紀末の祝祭」。4番目は「独立のための戦い」。5番目は「習作と出版物」という構成だった。2番目から5番目まではこれまでのミュシャ展覧会と同じだった。

 

 ミュシャは自由と独立を求めて戦い続けるスラヴ民族を一つに団結させる目的をもって古代から近代にいたるスラヴ民族の苦難と栄光の歴史を宗教や戦争という出来事を通して20枚の連作『スラヴ叙事詩』を描いた。20枚のうち自分の娘や息子を登場人物として描き出した「Qスラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い」は、手前に描かれている娘や息子の部分は完成されているが、中間部や後景は未完成である。ミュシャは1939年に79歳で亡くなったが、『スラヴ叙事詩』は1912年から1926年の間で描かれているが未完成のまま中断している。中断理由については不明である。作品で大きいものは横8m、縦6mだ。ヨーロッパの教会などの壁画や天井画ではスケールの大きな絵を見ることはあるが、展示作品として見るのは初めての大きさだった。作品の前に立つと圧倒的な迫力と描いた情熱と気概を感じる。

 

 私は会場入り口で音声ガイドを520円で借りた。ガイドプログラムには、お好きな順番でお聞きいただけます、と注釈が書かれていたが、描かれている絵は古代から近代までの歴史の中心的出来事が描かれているので、私は20枚の連作の順番通りに音声ガイドを聞きながらゆっくりと絵を鑑賞していった。展示作品を目で観るだけの場合と歴史的な背景を解説してくれる音声ガイドを聞きながら展示作品を観ていくのとでは作品の理解度が違うと思う。私は解説で分からないことがあると2度、3度と聞き直しながら進んでいった。描かれている題材はキリスト教の宗教対立や戦争のことが多く、私はスラヴ民族の歴史が分からないため理解度は浅いのだが、私が注目した1枚は「Gグンヴァルトの戦いの後」だった。戦いの激戦場面を描くのではなく、死体にすがりつく近親者の虚しさなどを描くことにより、戦いの無意味さ無常さを気づかせ平和の重要性を訴えているのだと思った。

 

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 四芸術「ダンス」・1898年       ヒヤシンス姫・1911

 

 これまでのミュシャ展覧会では『四つの花』『四芸術』『四季』『四つの星』などのシリーズや『ヒヤシンス姫』のような作品が展示されていたわけだが、『スラヴ叙事詩』はそれらとはまったく異なるスケールと描き方の作品であり、別な画家の作品と紹介されても疑いを持たないだろう。『スラヴ叙事詩』20枚の連作はミュシャの死後、故郷近くの城に寄託され、夏の一時期展示される以外は人々の目に触れることはなかったが、2012年に現在のプラハ市ヴェレトゥルジュニー宮殿に戻された後に常時展示されるようになったとのことである。その作品群を今回目にすることができ、ミュシャの別の一面を理解することができた。

 

 パリで成功と名声を得たミュシャは生まれ故郷のチェコに帰り『スラヴ叙事詩』を描いたのだが、第2次世界大戦の勃発とドイツ・ヒトラーの欧州制圧と侵略が進むなかでナチス党の秘密警察であったゲシュタポの要注意人物(愛国主義者)としてブラックリストに挙げられ逮捕され独房に収容後4か月後に亡くなってしまったのである。

 

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