記念艦「三笠」を見に行く

記念艦「三笠」と東郷平八郎の銅像

 

 横須賀市の三笠公園に保存展示してある三笠艦を見に行った。「三笠艦」とは日露戦争における日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃滅した日本連合艦隊の旗艦であった三笠である。昨年暮れ、NHKで放映されていた司馬遼太郎原作の『坂の上の雲』が第3部をもって終了した。テレビ放送は大河ドラマ枠の時間帯に毎年12月に行われ、その最終回(第13話)が「日本海海戦」だった。昨年、第1部から再放送されたので改めて第1話から全てを観てみた。私が『坂の上の雲』の原作を読んだのは随分前だったので小説のあらすじの大方は忘れてしまっていたがテレビ放映された第1話から見ていくと原作を読んだ当時の記憶の大方が蘇ってくるのを感じた。しかし日本海海戦の連合艦隊全体の動きがよくわからなかった。今回、三笠艦を訪れ船内の展示物の数々および日露戦争の概要を紹介したビデオを見たことによって納得できた。

 

 自宅のある幕張から横須賀へは総武線快速と横須賀線が相互乗り入れしているためJRで2時間である。12時発の「YOKOSUKA軍港めぐり」クルージングツアーに乗船しようと思い9時半の電車に乗った。クルージングは駅から徒歩5分の汐入桟橋から発着している。私が乗船券販売所に向かう時に11時発の船が50分の横須賀湾内クルージングを終えて帰港してくるところだった。乗船券はJR横浜支社発行の「横須賀線の旅」パンフレットに印刷されていた特典クーポンを使用し1割引きで購入した。12時発に乗船したのは約20名前後だった。クルージングコースは横須賀湾に浮かび在日米軍が管理している無人島である吾妻島を左回りで一周しながら、在日米軍海軍基地、海上自衛隊基地、海上保安庁基地などに停泊、修理している艦船を見て回るものだった。

 

 私は日本列島に寒波が押し寄せており、曇り空で気温も低いため甲板に上がることなく船内で周りの移りゆく光景を眺めることにした。出発してすぐに右側に黒い船体を現していたのは給油中の海上自衛隊の潜水艦2基だった。米軍基地の場所であったが日米で共同使用しているとの説明があった。次に現れたのはレーダー艦であるイージス艦である。特徴ある8角形のレーダーが目に付く。この1艦の建造費は1500億円で東京ディズニーランドがそっくり建設できる金額だという。このイージス艦が3あれば日本全土の範囲をレーダーカバーできるとのこと。イージス艦の奥には大規模修理中の原子力空母「ジョージ・ワシントン」が巨体を現した。333mという船長は遠目に見ても凄い巨体だ。船が修理中に乗組員が宿泊するためのシップホテルも停泊している。クルージング会社の社員が私たちの前に登場してくる建物や船体を次々に説明してくれる。なかなか上手な説明だ。海上自衛隊初の女性船長の船も停泊していた。

 

横須賀海軍カレーと東郷ビール

 

 軍港クルージングを終えたあと記念艦三笠が展示してある三笠公園に向かった。汐入桟橋から徒歩10分くらいの距離である。三笠公園入口のモニュメントをくぐると米海軍基地の裏門横に『WOOD  ISLAND』という名前のカレー屋さんがある。紺色の「海軍カレー」の桃太郎旗が店の入り口に立っており、海軍カレー人気店コンテストで堂々1位になったカレー屋さんである。入ってみた。店内は入り口が厨房でその前がカウンター席、奥がうなぎの寝床のように長く8人がけテーブルが2つあった。手前のテーブルにはカップルがいたので奥のテーブルに座ってビールと海軍カレーを頼んだ。

 

 出てきたビールが「東郷ビール」。一口飲んで美味いと感じた。東郷元帥にちなんだ地ビールだろうと軽く考えて飲んだのだが、三笠艦の見学を終わって管理事務所内の記念品売り場に東郷ビールが売られていたので1本買って帰った。夕ご飯時に晩酌として飲もうと思い包装紙を開くと「東郷ビールの由来」というチラシが出てきた。それによるとAMIRAALI東郷ビールは1972年にフィンランドのビューニッキ社ビール工場で生産が開始された。なぜ、フィンランドのビールに東郷元帥が登場したかは、1905年東郷元帥率いる日本連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃滅した。フィンランドは「東洋の小国日本」が「大国ロシア」に大勝利を納めた快挙に勇気づけられ、ロシアの圧政と支配からの独立運動を起こし1917年に遂に独立を果たすに至った。東洋の英雄「東郷元帥」は現在でもフィンランドの小・中学校の教科書で紹介されており、フィンランド人の心に深く刻まれているという。その後、ビューニッキ社は1991年にオランダのビール会社に買収され、2006年からは日本での生産に変わった、と東郷ビールの由来が記されていた。何気なく頼んで飲んだ東郷ビールだったがフィンランド生まれだとは驚きだった。

 

 横須賀駅から汐入桟橋までは江戸幕藩体制末期にフランスから製鉄指導にやって来たヴェルニー技師にちなみフランス庭園様式を取り入れたヴェルニー公園が整備されている。約2000本のバラが植えられているという。5月〜6月の開花期は見事なものだろうとその光景が目に浮かぶ。暖かな日を選んでバラの花を愛でながら再度訪れてみようと思う。

 

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